キャラメイク
完全没入型ゲームが開発され、数十年の時が流れた。人類の技術は、とうとう人の意識を掌握するに至ったのである。
かつて多くの創作物に見られたVRMMORPG(バーチャルリアリティ・マッシブリィマルチプレイヤー・オンラインロールプレイングゲーム)をはじめとして、新世代対戦ゲームVRAFG(バーチャルリアリティ・アクションファイティングゲーム)、虚構恋愛ゲームRTLS(リアルトレース・ラブシミュレーション)、育成体験ゲームRATS(リアリティ・アニマルトレーニング・シミュレーション)など、様々なゲームジャンルが誕生した。
こぞってのシステム開発。無限の広がりと無尽蔵の現実性によって再現された世界は、人類を新たなステージへと押し上げる。技術は医療、インフラ、工学、ITなど、多くの現場に活用され、産業の現場は幾度もの変革を迎えた。
しかし、かつて火薬が殺傷兵器に用いられる事を考えられていなかったように、巨大な光を生み出した技術は世界に相応の影を落とす。今や詐欺、恐喝、強盗のうち半分はVRで行われるものであり、ゲームデータの改竄すら法で処罰される。
人の生活は、それほどまでにVR技術と密接に関係しているのだ。
そんな世界。
ゲームで生活費を賄う人間はプロとすら呼ばれなくなった。サラリーマンや大工をわざわざそう呼ぶ事がないように、ゲーマーも当たり前の職業として溶け込んでいるのだ。
どこかの企業をスポンサーにつける事なく、誰にもプロデュースされる事なく、彼らは今日も1と0の延長で呼吸をしている。
マネーゲーム。
ゲーム内通貨を、現実の物とする事ができるゲーム全般に対する呼び方だ。全てのゲーマーは、そういったゲームによって稼ぎを出している。
これは、とあるマネーゲームの話。
この時代にあってなお珍しい、プレイヤーが金を稼ぐ事“のみ”を目的としたゲームである。
◆
『ようこそおいで下さいま……』
「ごめんね、ちょっと急いでくれる?」
『はい、ではキャラクターメイクをどうぞ』
案内用音声AIの言葉を遮り、先を促す。
少女の名前は、篠原愛生といった。
彼女が立つのは、暗闇の中に時折ギラギラと輝く何かが遠くに見え隠れする広大な空間であり、その背景以外は文字通り何もない。
端的に言うならば『キャラクターメイクを行うための空間』だが、それにしても殺風景この上ない。
プレイヤーが初めて降り立つゲームの中であるその場所は、あらゆる気を回して世界観を体感できる工夫がなされているものだ。例えば暖かな風が吹く草原であったり、硝煙と土埃の臭いが立ち込める廃墟であったり。しかし、この場所にはそういった世界観を体感できる何らかが何もない。
手抜きであると、愛生は思った。
旧世代のNDGではないのだ。プレイヤーはキャラクターの背後に目を持つわけではなく、コントローラーも手にしない。キャラクターはもはや分身などではなく、真にプレイヤー自身といえる。
現実で、このような何もない空間に立つ事などあるだろうか。遥かに続く広大な空間に、自分ただ一人などという経験などそうそうありはしない。そういった乖離から、プレイヤーの心は冷めてしまう。ゲームであると同時に現実でもあるのだという塩梅が、このゲームには欠けているのだ。
人によっては、あまりに拙い出来であると鼻で笑うだろう。
しかし、そんなものは愛生の興味ではなかった。例えこのゲームが拙かろうと、あるいはつまらなかろうと、彼女の知るところではないのだ。
「姿は私をスキャンして、そこから調整するわ」
『かしこまりました、そちらがキャラクターデータとなります』
愛生の目の前には、現実の愛生と相違ない姿が映し出される。この姿から調整する事で、ゲーム内の姿を決定する。最もポピュラーなキャラクターメイクである。
「少しだけつり目にして赤色に。肌は白めに。背はほんの少しだけ低くして、でも手足の長さは変えないで。髪は腰まで伸ばして、色は銀髪。頬に少しだけ桃色を差して。鼻を少し低くして欲しいけれど、決して豚鼻にはしないで。あと、全体的にボディラインを少し絞って、胸は小さく」
愛生は、全く悩む様子もなくキャラクターメイクを終えていく。
人によっては数時間、時には数日もかけるキャラクターメイクだが、彼女はそこをこだわるつもりは毛頭ない。しかし、メイキングの内容は詳細であり、態度と行動がいかにもチグハグだ。
それは、彼女の目的が関係している。
愛生は、決してゲームを楽しもうというわけではないのだ。
彼女は、根本的にゲーム好きというわけではない。勉強に精を出し、時折友達とカラオケや流行りのドラマなんかの話をしたり、美味しい物を食べに行き、最近ではお洒落にも興味を持ち始めた。本当に、ごく普通の少女だ。比較的容姿が優れてはいるものの、特別目を引くかといえばそれほどでもない。
こうしてゲームで小遣い稼ぎをする事以外には、特に変わった事もない少女。
しかし、愛生はゲームが得意というわけでもなかった。
キャラクターメイクの自由度が限りなく無限に近づいている昨今、素人にとってはキャラクターの容姿を作る事が非常に難しくなった。自分の姿をスキャニングする事によって不自然なく人型を作る事はできるものの、自らの理想を作り出そうとすればその難度は当然上がる。
そうしてできたのが、キャラクターメイクを請け負う職業。それを生業としている者の手によって、芸能人などの再現からオリジナルキャラクターの制作まで幅広い依頼がなされる。
愛生にはそこまでの腕はないが、優れた容姿によって愛らしい女性キャラクターの製作は容易だった。注文の内容に合わせて、自らの容姿から調整を加えていくのだ。こうして作ったキャラクターとアカウントを、送金と同時に譲渡する手筈となっている。
決して優れた技術を持つわけではないためにあまり大金を稼ぐ事はできないが、友達と遊ぶ程度の端金なら充分に賄う事ができる。
『……この様になりました。よろしいですか?』
「まあ、うん。大丈夫」
愛生は面倒そうに適当な返事をする。良いか悪いかと言われれば、よく分からない。愛生は注文通りにキャラクターメイクしただけであり、出来上がりの良し悪しの判断は先方に確認を取るしかないからだ。
見た目としては、まるでアニメーションに出てくる様な美少女。華奢な体躯と銀の髪が、非常にあざとく仕上がっている。現実的な堀の深い顔立ちでなくどこまでも童顔であるところなど、非常にそれらしいと感じられた。
愛生の経験上、こういったキャラクターを欲しがる相手は相場が決まっている。
「自分とかけ離れたキャラクターは操作できないのに……」
『? お客様ならば問題ありません』
「ああ、そうね。確かにね」
事情を知らないキャラメイク用のAIが、疑問符の浮いた言葉を発する。
キャラクターデータは現実の肉体に即したものでなくてはならないというのは、現在販売されている全てのゲームに共通する規制の一つだ。現実と乖離する様なキャラクターはまともに体を動かす事すらままならないし、それに慣れてしまえば今度は現実の生活が覚束なくなる。
それを回避するために、ゲーム側で制御がなされているのだ。
キャラクターは人として違和感のないデザインでなくてはならず、身長もあまり変えられない。他にも、肉体の重心や体重などによって細かな規約が存在する。それに違反している限り、キャラクターを動かす事はおろかそもそもゲームに入る事すらできない。
「いや、不正アクセスしてでもやる人はやるかな……」
『? それは許可できませんし、お客様なら問題なくアクセスできます』
「ああ、そうね。確かにね」
AI音声が再び疑問符を浮かべる。愛生は適当に返す。
『容姿の確認が終わりましたら、名前の決定をお願いします。容姿も名前も、ゲームの途中で変更ができませんのでご了承ください』
「は〜い。名前は確か……」
依頼内容を確認し、キャラクター名の項目を見る。名前の変更ができないゲームの多くは、この様な注文を受けるのだ。
目の前に古いタイプの五十音表の様なものが浮かび上がる。それで名前を入力するのは一目瞭然なのだが、ほとんどが音声による認識である昨今には珍しいシステムだった。
「さっきまで音声だったのに、なんでここだけアナログ……? まあいいや、名前は『ダックラック11』? 変わってるなあ、どういう意味かしら」
疑問を浮かべても答えは返らない。愛生はすぐにそんな興味を失い、注文表に記された通りのキャラクターネームを入力した。
『ありがとうございます。これにて面倒な処理は終了いたしました。ようこそ、暗く醜い地の底へ』
近年のゲームとしては、あまりにもお粗末なメイキング。スキル選択もなければ種族決定もない。職業もなく、世界観の説明もなく、何をすればいいのかも分からない。
愛生は気にも止めない。どうせ売ってしまうアカウントだからだ。気にする必要など、何一つない。
これが、あまりにも甘い考えだった。悪意を煮詰めたこの場所に足を踏み入れる人間の心構えとしては、あまりにも愚か。興味がないなどという甘えを以て、知識がない事への理由付けとした。
いや、あるいは言い訳とも言える。いずれにせよ、最も愚かしい行動を正当化してしまったのだ。
すぐに関わらなくなるとか、今回限りなど、何一つ免罪符になどならない。自らを危険に晒す事への免罪符など、何一つない。
それは、この世で最も罪深い人の性。すなわち愚鈍であり、あるいは楽観であり、時にそれは『怠惰』と呼ばれる。
このゲームは、何一つの容赦無くそれを抉る。
あるいは富豪と呼ばれる者どもへと成り上がる者もいる一方で、時として命に関わる程の負債をプレイヤーに押し付ける。
名を、ゴールドラッシュ・オンライン。
汚泥のような黒の背景に浮かぶ下品な金色のロゴが目印のパッケージだとは、公式自身の言葉だ。
このゲームで死ぬ者は、決して悲鳴をあげたりしない。
涙を流し、肩を震わせ、そして膝を折る。嗚咽を漏らすかもしれない、目を見開くかもしれない、しかしそれでも、恐怖のあまり叫び出す事はなかった。
【本編と関係ない話するコーナー】
『NEW WORLD(仮)』
本編開始時から数十年前に現れた世界初の完全没入型VRゲーム。通称はNW、ニューワ、柔和、パパなど。
その性質は現代のそれと比べても遜色ないほどの完成度ではあったものの、βテスト中にAIが本来想定していない挙動をとってしまった事によって販売が延期。公式からはその後音沙汰なく、実質的な販売停止となった。
恐らくは不具合を修正できずに開発が頓挫したのだろうといわれているが、一部ではシンギュラリティに達したAIによる反乱が原因であるとも囁かれている。
完全に情報を秘匿して行われたクローズドテストのみが唯一の稼働時間であったため、その実態は謎に包まれているものの、テスト参加者の発言から恐らくはファンタジー世界を舞台にしたアクション対戦ゲームであったと思われる。
なお、ゲーム内の情報はスクリーンショット一枚も残っていない。