校舎案内は殺意風味
学食から教室への帰り道。要はせっかくなのでと遠回りをし、校舎を案内してもらっていた。校舎裏なので人気がない。前を行く千夜と啼臣の背中を追いかける。
「んで、実はあそこ鍵壊れてるから、非常階段から屋上行けちゃうんよねぇ。緑輪寮生に代々伝わるサボりスポットだよ。運動場が見渡せて見晴らし良かし」
「職員室からも教室からも見えないからな。昇り放題、遊び放題。おっと、日焼けサロン代わりにはしないほうがいい。夏場はむき出しのコンクリートで火傷した者もいるという。それは燃えてるんだろうかというような暑さらしい。のたうち回るその様は、まさにさせたことだよ夏の太陽が、アーチーチ……」
「なんで急にひろみっ? 古くない!?」
啼臣が真顔のまま、なぜか詰襟をバサバサと半脱ぎしたり着たりする。要には意味が分からなかったが、千夜は笑いを堪えるように震えていた。芸能人か何かのモノマネのようだ。
(俺にも記憶があれば、一緒に笑えたろうか)
思った瞬間、顔が下を向き足元まで視線が落ちる。自分の中に生まれたモヤっとしたものの正体が分からず人知れず首をかしげていると、どこからか怒鳴り声のようなものが聴こえてきた。
要は顔を上げて辺りを見渡した。
「今なにか……」
「怒鳴り声かな?」
「教師のものではなかったな。あっちか」
「ちょっ、啼臣っ。土足っ!」
引き留める千夜の言葉など聴こえないというように、啼臣は渡り廊下を出てどんどん林の奥へ行ってしまう。残された二人は仕方なくその後を追った。
◇ ◆ ◇
ちょうど体育館の裏へ続く曲がり角で啼臣に追いついた。声は向こうから聴こえて来る。三人で並んで角を覗き込むと、そこには壁に追い詰められた小柄な少年と、それに覆いかぶさるように威圧している長身の生徒が二人いた。
「だぁから、金持ってこいって言ったろ? 持ってんだろ? あ?」
「何黙ってんだよ。さっさと出せよ」
長身の生徒たちがアゴを突き出して吼える。片方の生徒は手に折り畳みのナイフを持っている。要は玖楼が見せてくれたテレビドラマを思い出した。間違いない、あれは典型的なカツアゲだ。本当に起こりうることなのかと、いっそ感心してしまう。
「どないしよ。先生呼んでくる? ──って、ちょっ!?」
場の状況を把握した千夜がそう提案した瞬間、啼臣がおもむろに角から飛び出した。啼臣は肩を怒らせずんずんとカツアゲ少年たちに近づいて行く。
「やめないか貴様ら」
「ああ?」
「んだよっ」
呼びかける啼臣に、不良たちが振り返る。前髪だけ赤く染めた少年と、口ピアスの少年だ。カツアゲされている生徒は怯えて震えていた。不良たちはガタイの良い啼臣の登場に少したじろいだが、彼が一人と分かるとまたアゴを突き出し始めた。
「なんか文句あんのかよ」
「ある。人に金をせびるな。自ら稼げ。対価無く得た金は心根を汚すぞ」
怒気を滲ませた声音で言いながら啼臣は止まることなく不良たちに近づく。後姿なので要たちからは見えないが、よほど彼は怒っているらしい。不良たちは焦り始めた。自分がかざし振り回すナイフに反応しない啼臣が、彼らには異様に映るらしい。
「意味わかんねえよ! こっちくんな!」
「貴様らが彼を解放すればおれも止まる」
「っざっけんな! それ以上くんじゃねえ。ぶっ殺すぞ!」
「殺す?」
その一言で、啼臣の雰囲気が変わった。
「これしきのことで殺すだと? よもやそこまで阿呆とは。言葉とは口から出た時点で質量を持つ。それは、本当に殺す覚悟も無い者が軽々しく口にしていい言葉ではない」
「なぅっ」
声音はさっきよりも静かだった。代わりに、込められた激情が爆発する時を待つような、空気のひりつく感覚がある。向けられる眼光に吃音を洩らした不良たちは、目前の異物を排除しようと拳を握った。
一方の啼臣は手首を鳴らして準備万端である。殴り返す用意があるのは明らかだ。一触即発の現場はしかし、第三者の介入で変化する。
割って入ったのは、いつの間にか要の横から消えた千夜だった。
「はーいっ、そこまで、そこまで。あんたらも啼臣も、頭に血昇りすぎだよ」
速足に近づき、今にも殴り返しそうだった啼臣の首根っこを掴んで不良たちから引きはがす。啼臣は抵抗しなかった。その代わりに、不良たちの顔をじっと見ている。
小柄な女子生徒が現れたせいか、不良たちは口ごもりながら千夜へ視線を向ける。
「なっ、なんだよお前」
「女がなんの用だよ」
「私は二年生の平野だよ。ごめんね。こいつ怖いでしょう。啼臣は手加減とか知らんからさ、さっさと逃げたほうがいいよ?」
丁寧な物腰でニコリと笑う。不良たちも釣られて不恰好な笑顔を作った。バカ丸出しの顔だ。逃げろと言われているのに彼らは動かない。千夜はその様に内心イラつくのを抑えて続けた。
「あとね、殺すとか、あんま言わないほうがええよ? あんたら、人間がどれだけ殴られれば死ぬかなんか分からんでしょ。人間ってね、金属バットで頭かち割ってもまだ息してるんよ。しばらくは死なないの。そうかと思えば打ち所次第じゃ一発でご臨終。加減間違えると危ないんよ?」
千夜が笑いながら物騒なことを言うので、不良たちは困惑しているようだった。うろたえる少年立ちの姿に、千夜はゴミか何かを見下す冷えた目つきになった。
一歩彼らの懐に踏み込み、下からその揺れる瞳を貫くように見る。
「どうすれば人を殺せるか、殺さずに痛めつけられるか。殺すって、その本当の意味も分からんねんねごときが、調子に乗るんもたいがいにせぇよ」
彼女の瞳が怪しく光る。刹那、前髪の赤い生徒の手から千夜がナイフを奪った。乱暴な動きではなかった。ただ軽く少年の手に触れただけだ。前髪少年がナイフを奪われたことに気づいた時には、その刃先はすでに彼の首筋に触れていた。
少年が息を呑む。千夜はすぐナイフを離し、刃先を仕舞って前髪少年のポケットに滑り込ませた。遠目にしていた要の背中を遅れて悪寒が走る。彼女の動きに躊躇いがなかった。握った刃が相手を傷つけるかもしれないという躊躇いが、千夜には微塵もなかったのだ。
「分かった?」
少女が瞳を和らげ微笑む。すると不良たちは金縛りが解けたように後ずさった。
「っぁ、しっ、知るかよ。……めんどくせっ、おい行くぞっ」
「あっああ」
先に我に還った口ピアスの少年が前髪少年の腕を引く。力の入っていない舌打ちを残し、不良たちはすくむ足を無理矢理引きずるようにして去って行った。
「なんや根性ないなぁ」
「三流の悪党だ。根性など期待するほうが間違っている。そこのお前、怪我はないか」
「ひぃっ!」
不良たちを見送った啼臣が、カツアゲされていた生徒に片手を伸ばす。すると少年は悲鳴を上げて縮こまってしまった。震えているのが要の位置からも見て取れる。
「なぜだ!」
啼臣が甚だ心外であるという顔で立ち尽くす。代わりに今度は千夜が接近した。しかし──。
「啼臣は見た目いかついから。ねえ君、大丈夫?」
「ごっ、ごめんなさいぃ」
「千夜も怯えられているぞ」
「うちもか! なんで!?」
「貴様の見た目がいかついということではないか」
「どげん神経しとったら女子にそんな言葉浴びせられるん!? ……しゃあない。要くーん」
名前を呼ばれて、要は千夜の意図を察する。そうして震える少年にそっと近づき、遠くに二人の視線を感じつつ話を聞きだす作業を始めた。