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職場訪問


 母体討伐が雨で中止になった翌日のことである。

 昨日の就寝が早かったためか、珍しくいつもより早く目が覚めた要は、登校の準備を整えてラウンジに下りて行った。


 各々が自由に朝食が取れるよう、ラウンジとキッチンスペースには明かりが灯っている。だが早すぎるこの時間、まだ誰の姿もないはずだ。そう油断して適当に自作した即興の歌を口ずさんでいた要は、ソファーの影にオレンジがかった髪がゆれるのを見て肝を冷やした。


「ららっら────んわっ、ひっ、人がいたっ」


「はあ? うるっさ。いっるでしょ人くらい。……て、要じゃん。何さっきの歌。……いや歌か? ぼやきじゃなくって?」


「歌だよ。おはよう桐埜きりの。朝はやいんだ」


「今日はたまたまー。あーあ、せっかく朝から見るなら男のしけたつらより、かっわいい女の子の生足がよかったなー」


「うーん……俺にスカートは似合わないと思う」


「なんっで要が履く前提なの。誰の得にもならないっしょ」


 桐埜きりのが大きなため息をつく。おもむろに立ち上がった彼女は、要の手を取った。


「ま、ちょうどいいや。ちょっとついて来て」


「?」


 言われるままにもと来た階段を上る。その足は二階で止まらず三階へ向かう。そこは女子の部屋が連なるスペースだ。普段から男子の立ち入りは禁止されているはずなのだが。


 桐埜きりのはそんなこと気にする様子もなく、廊下をずんずん進んでいった。要が恐々と辺りを見渡すのにも気づいていない。よほど強引な少女だなと要は思った。


 そんな桐埜が手をかけたのは、廊下の一番奥にある一室のドアノブだった。鍵を開けて中に入る。どうやらここが彼女の自室らしい。


「ほいっと、ちょっと待っててね」


「うわっ」


 男の自分が入っていいものか、逡巡しゅんじゅんする間もなく中に引き入られる。扉が閉まると薄い照明が点いた。


 部屋の広さは要の所と同じだろう。だが、やたらと狭く感じるのは物が多いからだ。


 広めのベッドの布団は乱れ、壁際を埋める棚には分厚い本や何かの段ボールが詰め込まれて隙間もない。床にも何やら紙の束が積んである。乱雑に見えるのはそのためか。


 その中でひと際目立つのは、一番奥のデスクで光る三台のパソコン画面だった。


 なぜか全て電源が入っている。そのうちの一台では、画面の中で大きな銃を背負ったキャラクターが草原を駆けていた。思わず見入ると、それは映像ではなくゲームの画面らしい。左下にキャラのHPと残弾数が表示されていた。


「ああそれ? 最近ハマってるオンラインゲーム。銃で敵をぶっ倒すやつね」


「へぇ」


 軍服に身を包んだキャラは、誰も操作していないのに敵の軍団に突っ込み銃を乱射させた。そういう自動で進むモードでもあるのだろうか。


 ぼへーっと画面を見ていると、桐埜がその背を軽く蹴りつける。


「人生ぼっやぼやしない。はいこれ」


 つんのめった要が振り返ると、桐埜は彼に茶封筒を差し出していた。反射的に受け取って、その思いのほか分厚い封筒を眺める。


「これは?」


「昨日、藤沢ふじさわ指揮官来てたっしょ。あの人が忘れてった書類。たぶん重要なやつだから、届けに行ってあげれば?」


玖楼くろう……」


 何をやっているんだ、あの人……。


「ほっらほら、そうと決まればさっさと行く」


 また背中を押される。今度は手で押されたが、蹴られてはたまらないので大人しく部屋から出た。


「えっ、でも学校……」


「サボればいいじゃん。藤沢ふじさわ玖楼くろうって、いちおう父親でしょ? 息子の来訪を邪険にしないって」


「じゃあ電話を……あっ」


 先だって玖楼に絡しようと取り出した携帯を桐埜に取り上げられた。


「だーめ。こういうのはサップライズじゃなきゃ。不意打ちじゃなきゃ素なんか見っえなーいし。藤沢玖楼ちちおやむすこのいない研究所で何をやってるのか、気にならない? 気になるっしょ。だったらよぉく見ること、覗くこと。あの研究所マントールの中でのことを見て、覚えて、帰ってきて。いい?」


 間近で目を覗き込まれ、要は無意識に頷いた。

 彼女の瞳の奥に映える青が、自分から選択肢を奪ったかのようだった。



   ◇  ◆  ◇


 寮と学校の間に流れる川を渡り、学校手前の道をひたすら北へ進む。そうして街と外との境に、その研究所はあった。


 高い塀に囲われた、白い三階建ての建物。大きさは校舎ほどもあるだろうか。塀のてっぺんには侵入者を防ぐ金網が張り巡らされていた。唯一の出入り口には守衛が立っている。


 見る者が見れば、その有様が製薬会社よりも監獄に近いと気がつくだろう。


 要はひと時出入りしていた場所を見上げる。

 寮に行く前に暮らしたアパートはこの裏にある社宅だが、玖楼に付き添って中に入ったことがあった。


 なので要は、実家に帰る気軽さで守衛に近づいた。


 背が高く、体格の良い男だ。三十代半ばほどだろうか、両眉がひっつかんばかりに寄り、小さな目は曇りでも目映すぎると言わんばかり細められている。それが警棒をぺしぺしと弄んでいるから通行人も萎縮して男から離れて歩く。


 要が彼の前に立つと、一瞬だけいぶかし気に少年を眺め、そしてすぐにそのいかめしい表情を破顔させた。


「おお、誰かと思えば藤沢さんが引き取った子じゃないか。要くんだったね。久しぶりだなあ。どうした? 今日は学校じゃないのかい」


 要が制服を着ていたからだろう。守衛がそう親し気に訪ねてくる。要は脇に挟んでいた茶封筒を掲げて見せた。


「昨日、玖楼が忘れて行った。届けにきたんだ」


「おお、えらいなあ。藤沢さん呼んでやろうか」


「待って」


 守衛室の電話に手を伸ばした男を、要は引き留めた。

 桐埜から、必ず研究所の中へ踏み込めときつく言われているのだ。


「自分で玖楼に届けたい。入っていい?」


「驚かせたいってことかい? あー、本当は部外者入れちゃいけないんだけどな。まあ藤沢さんの息子なら誰も追い出しゃしないだろう。ここに名前だけ書いてってな。よし、真っすぐ部屋に向かうんだぞ。迷って変なトコ潜り込まないように。危ない薬品取り扱ってる部署もあるもんでな」


「分かった」


 念押しされて門をくぐった。

 さすがに何度も行った玖楼の部屋への道順は覚えている。そこから一歩でも離れればあやういが、記憶しているものをなぞるだけなら容易い。


 正面玄関を入る。エントランスの受付の人にも、守衛と同じような対応をされた。


「まあ、藤沢さんの身内ならいいよ。場所分かるよね? ここ、入り組んでるから気をつけて」


 道行くスタッフと思しき者たちも同様だ。


「あっ、君あれだよね。玖楼くろうさんの養子の。よく話に聞いてるよ。玖楼さんなら今は自分の部屋にいると思うよ。迷子になったら慌てず騒がず、周りの人に助けを求めてね」


「おお、要君だ久しぶり。玖楼さんに呼ばれた? 違う? まあいいか、玖楼さんの部屋はあっち。迷うなよ」


 もとから顔見知りだった者も、そうでない者も、なぜか要を知っていて好意的に接してくる。それは要に対する好意というよりも、玖楼に対する信頼のようだった。


 なぜ自分の養父がこれほどの信頼を獲得しているのか、不思議に思いながらも要は進む。要にとって玖楼は、自分を迎えにきてくれた人であり、要にめちゃくちゃ甘い養父でしかない。


 討伐隊の指揮官として指示を出す玖楼は声だけで顔が見えない分、未だに本人が有能という実感が湧かなかった。


 だから実を言うと、玖楼が普段なにをしているのか興味があったのは事実だ。だからこそ桐埜きりのの口車に乗った。


 室長室とプレートのある部屋の前に辿り着く。同じような部屋が並んでいるが、ここが玖楼の部屋なのだと分かっていた。


 少し躊躇って、弱弱しくスライド式のドアをノックする。返事を待たずに取っ手に力を入れたが開かない。鍵がかかっている。


 なおもガタガタやっていると、中から慌てた声が響いてくる。


「ちょっと誰っ!? 無言は怖いんだけどっ! 今開けるから待ちなさい!」


 慌てたように走り寄って来る足音。鍵を開く音がして、視界が開けた。目の前に玖楼の顔がある。


「うわあっ! かっ、要? どうしてここに?」


「忘れ物、届けに」


「え……? それ……え、僕忘れて行ってた?」


 頷くと、玖楼が白髪混じりの頭を揺らす。


「うわー……ごめん。ありがとう。中身見た?」


「俺は見てない」


「うん、ならいいんだ。わざわざありがとう。学校は?」


「サボった」


「何やってるのさ。まあ、仕方ない。中に入って。そうだな、お茶菓子でももらってこよう。座って待っていなさい」


 そう言って、玖楼は部屋を出て行った。要は大人しく中に入り、部屋を見渡す。


 以前に入った時となんら変わりない。両際を埋める本棚に、来客用のソファー。奥には窓を背に執務机が置かれている。それだけで窮屈になってしまう程度の広さだ。


 要はソファーに腰かけず、なんとなく玖楼が使っている机のほうへ回った。


 木製の引き出しがついた机だ。学校で生徒が使う机なんかとは比べようもないほどに頑丈そうである。机の上には作業の途中らしき書類が散らばっていた。


「…………あ」


 見渡していて気づく。よほど慌てて閉めたらしく、引き出しの一つが少し飛び出している。玖楼がいるも鍵をかけていた引き出しだ。開いているのを始めて見た。


「…………」


 頭の中に、今朝の桐埜の言葉が思い出される。


『よぉく見ること、覗くこと……』


 いつもなら、他人の机の引き出しを勝手に開けたりはしない。けれど今日は少女の言葉に浮かされるようにして、要はそっと木製の出っ張りを引き出した。


 中に入っていたのは、小さな小瓶だ。ガラスの瓶にコルクで蓋がされている。そのコルクを覆うようにテープが巻かれていて、厳重に封がしてあった。


 中には青色をした錠剤が一粒、入っている。


 これはなんだろう。どこか不気味なその色に背筋を冷たいものが駆け抜ける。しかもその薬は、要の目には微かに発光しているように見えた。さらによく見ようと掲げると、その向こうには人影が。


 あっと思った時にはもう遅い。


 部屋に戻ってきた玖楼は要の持つ瓶に気付くと、間髪入れず叫んだ。


「それに触るな!!」


 聞いたこともない怒声だった。要の肩が跳ねて危うく小瓶を落としそうになる。


「ごっ、ごめんなさい……」


 半ば呆然として謝罪が口をつく。あのどこまでも優しい養父が自分に怒鳴り声を上げたことが信じられず、呑み込めなかった。


 玖楼もはっとしたように怒気を収める。


「あ……いや、ごめん。それはその、うちは製薬会社でもあるから、ほら、まだ調整ができてない危ない試薬もあるんだ。だからそれは置いてくれ」


「……分かった」


「いや、分かってくれればいいんだ。もう勝手に触ったりしたら駄目だよ」


「ああ……」


 言われた通りに小瓶を机に置く。すると玖楼は安心したようだ。持ってきたお茶菓子をテーブルに並べ、いつもの様子で話しかけてくる。要も息をついてソファーへ腰かけた。怒られたことなど嘘のようだ。


 ただ、玖楼が小瓶をすぐにあの引き出しに仕舞ってしまったことだけが、やけに意識の隅に残った。


   ◇  ◆  ◇


 しばらくとりとめもない話をして、要は玖楼の部屋を出た。時刻は昼を過ぎ、しかしお菓子を大量に与えられたせいか腹は空かない。今から学校に向かうのもどうかと考えながら白い廊下を進む。


 玖楼はまだ仕事があるからと、見送りには来てくれなかった。


 そう考え事をしながら歩いていたせいだろう。

 要は自分を見つめる視線に気づいていなかった。


「おや、要君ではないですか」


 玖楼の部屋からだいぶ離れた頃、背後から声をかけられた。振り返ると、そこにいたのは沼端ぬばた顕治けんじだった。


 珍しく直立している顕治がニコニコと笑っている。要が挨拶をすると、彼は笑みをさらい深めた。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね。どうです? 私の部屋でお茶でもしませんか?」



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