焼けついた
「母体一体討伐あーんど期末テスト終了お疲れ様!」
学校が終わるころ寮にやってきた玖楼が華やぐ笑顔でクラッカーを鳴らす。しかしラウンジは葬式のごとく静まり返っている。集まった寮生たちはみな重々しげに、ソファーに沈むようにして俯いていた。
「あれ……? みんなテンション低いね」
「当たりまえだろうがっ! こちとら骨にひび入ってん──っ痛たた」
いつものように怒鳴り声を上げようとした諫戸が脇腹を押さえる。隣にいた紗枝がその肩を支えた。
「無理をしないで諫戸くん。怪我をしているのはみんな一緒よ」
彼女の腕にも包帯が巻かれている。火傷の痕だ。包帯をしているのは三年生だけではない。母体との戦闘で前線にいたメンバーは、いずれもどこかを負傷していた。
軽症で済んだのは一年生の二人と要だけだ。
だが彼らが疲労しているのは戦いで負った傷のためだけではない。翌日から四日間にわたり行われた中間考査のせいでもあった。
母体対策に割かれていた試験前期間。母体戦翌日の試験初日。傷の痛みに耐えながら受ける試験はとても集中できたものではない。その上、試験期間であってもコレール討伐は休みなく行われる。
そしてこの地獄の四日間を乗り切った寮生が欲しているのは、称賛ではなく休息であった。
何かを思い出した千夜が震えながら呟く。
「全身包帯だらけでテスト受けてるうちら、寮生同士で喧嘩しとったつばいって噂になっとったよ……」
「それっ、俺らのクラスでも言われてたなっ……。寮生だけ満身創痍だからとか言って、影でコソコソ噂しやがる。うるっせぇから睨みつけてやったぜっ」
「それたぶん逆効果だ」
要の言葉は遠い目をした彼らには届かない。
「つーかっ、なんでテストとかやんだよっ。せめて母体戦と日を分けろよクソっ」
「点数が低いとなぜかペナルティがあるのよね、この寮……。ええ、もちろん勉学に励むのは当然なのだけれど」
「先輩がたあ、テストごときで大げさじゃないですかあ?」
つまらなさそうに桐埜がゲーム機から顔をあげた。そんな彼女に諫戸がギラリと鋭い視線を向ける。
「っはー! もとから点数とれる後輩は言うことが違えなーっ!」
「エス極先輩やっさぐれすぎい、ウザ」
面倒臭そうに顔をしかめている。
やりとりを傍から見ていた要は首を傾げた。
「桐埜、頭いいの?」
「あの子あれでも入試一位やんな」
「そうよ、そして今は寮生なのに進学クラスなのよ。ふふっ、やっぱり桐埜ちゃんはいい子ね」
「いや紗枝先輩、ああいうんは天才って呼ぶんですよ」
要の疑問に女性陣がひそりと教えてくれる。
言いつのる諫戸を携帯ゲーム機をいじりつつあしらう桐埜は、そんな天才には見えない。大き目のTシャツに袖を通しただけのだらしない格好といい、人は見かけによらないものだと要は思った。
その時大きな柏手が鳴った。視線が集まる。音の出所は玖楼だ。
注目を集めて満足した玖楼が笑みを浮かべる。
「みんなまだまだ元気にあふれてるみたいで良かった」
「ねーよっ」
「どこをどう見たらその結果になるというのだ。ふんっ、まあおれは元気に満ち溢れているがな」
「アンタも一時腰が曲がらんかったやん」
「ふっ、たとえおれの腰が崩れゆく氷河のように悲鳴を上げようと、それでもこの眼鏡の輝きは鈍らないのだ!」
「なんの話や……」
口々に文句が飛び交う。だが玖楼は続々と上がるブーイングをものともしない。
「なに、もうじき梅雨入りさ。雨の夜が増えるだろうから、君たちも少しは休めるよ。来月の母体討伐に向けて張り切っていこうじゃないか!」
拳を掲げるが随伴する者はいない。ノリを間違えてすべってみたいになって、玖楼はちょっぴり肩を落としていた。
しかし要が気になったのは養父のしょんぼり顔ではない。その語った内容だ。
「雨の日は休める……?」
確かにそう聴こえた。寮のコレール討伐は日課だ。怪我をしようとテスト前だろうと休みはない。そう思っていたのだが。
「桐埜、コレール討伐は雨天決行じゃない?」
ここに来てから夜に雨が降っていた日はなかったから本当か疑わしい。頭がいいらしい少女に訊いてみる。桐埜はゲーム画面から顔を上げないものの、欠伸のついでというように答えてくれた。
「ふわぁあ。そっ、ギャリッグウールは雨天中止ぃ。コレールたちも、じめってる日は気乗りしないんじゃない? 知らないけど」
「なるほど」
「うっわ、説明それで納得するわけ? まじかぁ……。…………これがほんとに希望にゃのかねぇ」
「?」
ぼそりと呟かれた言葉が聞き取れない。顔を近づけるとなぜかため息をつかれた。かと思うと恨めしそうに睨まれている。
(女の子の情緒は分からない……)
自分に向けられる視線の意味が分からず、要は内心で眉を寄せるのだった。
◇ ◆ ◇
あまりに寮生が疲れているので、その日は解散となった。
コレール退治がなくならない代わりに、夕食は高級料理店からの配達であった。祝賀会代わりということらしい。
普段は目にしない豪華な食事に寮生が喜ぶなか、一人晩御飯に手を付けない生徒に要は気づいた。黒髪の小柄な少年がこそこそと席を外し、キッチンへ引っ込む。影が薄いからみんな彼の奇妙な行動に気付いていないようだ。要はなんだか気になって、彼と同じようにこそこそと席を立った。
音を立てないようにキッチンを覗く。そこでは、乏しい明かりの中で肉を焼く宇賀の姿があった。
「……宇賀君」
「ひっ」
声をかけると肩がはねる。振り向いた少年の顔は青ざめていた。
「宇賀君なんで肉焼いてるの。向こうの、食べないの」
「あっ……えっと。ぼ、僕……僕が作った……もの、しか、食べれ……なくて」
「ああ、確かに宇賀君のごはんはおいしい」
「えっと……まあ、はい。それでいい……です」
宇賀は要の納得の仕方に、どもりながらも呆れた様子である。
要は宇賀の側に寄った。少年は及び腰だが逃げはしない。肉を焼いている最中だからだろう。
視線がフライパンと要を行ったり来たりする。
肉には香辛料がふられ、油をパチパチと跳ねさせていた。良い匂いが香ってくる。
要がじっと焼ける肉を眺めていると、宇賀が躊躇いがちに見上げてくる。
「あ…………あの」
「…………」
「えっと……あの、時。……ありがとうござい、ました」
「あの時?」
聞き返すと、怯えたように視線をさ迷わせる。
「ぼ、母体討伐の……時。おかげで……死なずに、すみました」
「ああ、あの時」
言われて思い出す。宇賀はたぶん母体が最期に吐き出した炎のことを言っているのだ。それで訊きたかったことを思い出して、要は椅子を引き出して腰かけた。
「宇賀君、あの時逃げなかったのなんで」
「えっ…………」
青い炎が降り注ぐ瞬間、宇賀は空を見上げたまま棒立ちになっていた。啼臣は死にたいのだろうと言っていたが、こうして要に礼を言うということは違うはずだ。
要には、あの光景を前にして動かなかった彼が不思議でならなかった。
宇賀は問われて、逃げたそうにしている。だがその顔をじっと見つめ続けると、観念したように声を絞り出した。
「火が……怖い、から」
「火が?」
宇賀が頷く。
「火は……僕を、責めてる。僕がそうやって、殺した……から」
少年の顔はひどく青ざめていた。見れば指先が震えている。
要はようやく思い至った。
これは、彼の殺人の記憶だ。
「そうか。火は確かに熱くて、火傷は痛い。俺も怖かったよ」
手を伸ばして宇賀の肩を優しく叩いた。すると、宇賀が涙を滲ませて膝折れる。震える彼を放っておけず、要は黙って彼の嗚咽を聴いていた。
少年の頭上では、肉の脂がはねる音が響いている。




