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初戦の結果


 要は絶望的な気分で空を見上げていた。

 さっきまで真っ暗だった夜空は、いまや照明よりもさらに目映まばゆく、昼間の喧騒を思わせる。

 打ちあがった青い火球が四方へ広がる。その有様はどこか滝か、カーテンのようだ。


 夜だというのに、青い光に覆われた空は目を潰すほどに明るい。


 ほうほうへ散った炎が寮生の頭へ雨のように降り注がんと落ちてくる。

 炎は上空にありまだ遠い。なのに、すでに熱風が肌を焼き始めていた。青い炎は普通の火よりも高温なのだと、いつ知ったか判然としない知識が要を震えあがらせる。


 母体は倒した。だが灼炎頭巾の狼が遺した置き土産が、己を殺した者共を消し炭にせんと迫っていた。


『マズイ! これは今までの比じゃないっ、総員全力で身を守れ! 範囲が広すぎる、退避が間に合わない。身体をできるたけ小さくして装甲を分厚くするんだ! 三年生!』


「はい!」

「やってるっつうのっ!」


 玖楼くろうの声には明確な焦りが見える。それに応える三年生組には疲労が見えている。大技を繰り出し過ぎたせいだ。


 それでもきしむ身体にむちを撃ち、全員が自分の身を守るために動く。


 千夜が地面を殴ってえぐる。できた穴を啼臣が風で削って形を整えた。二人が即席の塹壕に飛び込むと待っていたかのように植物と土が幾重にも蓋をする。


 採掘に向かない要と桐埜きりのの足元にも、諫戸が用意したらしい穴が生まれた。


 さすがに三年生は不測の事態への対応とサポートが早い。要は自分にできることはないか桐埜に指示を仰ぐ。


「俺たちは!?」

「あんっなんに水ぶっかけても焼け石に水ぅ! 大人しく隠れる!」

「了解っ」


 穴に飛び込む桐埜の後に続こうとして、ハッと後方を振り返る。

 そこには集まってきたコレールの相手をしていた宇賀が一人、取り残されている。彼のクロワでは降り注ぐ火の雨を防ぐことはできない。


 三年生が自分たちの退避を後回しにしてどうにか宇賀を助けようとするものの、距離が離れすぎていて力が届かないようだ。


「くっそっ、遠いっ!」

「宇賀くん逃げて!!」


 悲鳴のような叫びにも宇賀は動かない。恐怖に足がすくんでいるようにも見えるが、様子がおかしい。放心するように空を見上げて何事か呟いている。


「火だ……。あっ、あの時と同じ熱さ(・・・・・・・・)……ボクを、責めてる……」


『宇賀湊太君! とにかくどうにか退避を! ──駄目だ聞いてなくないかねぇ!?』


 焦りで玖楼くろうの口調もバグっている。

 そうなるのも仕方のないことだった。もうあと数秒で火が地面を焼き尽くすさんとしているのだから。


「どうして宇賀くんっ」

「ふんっ、死にたいやつは放っておけ。己の罪を浄化の炎で命ごと炭にでもするのだろうさ」

啼臣ていしんは黙りゃあ!」


 無線越し啼臣の皮肉が届く。たとえそうだとしても宇賀を見捨てるわけにはいかない。


 もう、怯えている時間はない。


「──させないっ」


「ちょっ、要!?」


 要は桐埜きりのの静止を聞かずに上半身を穴からとび出す。腕を伸ばすのは宇賀のいる方向だ。


「先輩たち! クロワを!」


 地響きのような炎の迫る音に負けないよう声を張った。何をしようというのかと困惑する紗枝のうめきと、──そして響く頼もしい声。


「わかってらあああクソおおおおっ!!」


 要には、諫戸が最後の力を振り絞るのを明確に感じた。だが一人のクロワでは宇賀を救うに至らない。


 だが。


「うわああああああ!!」


 がむしゃらに、自分の中に感じる光に手を伸ばす。それは諫戸の色だ。追従するように紗枝のクロワも感じる。要はそれらに自分のクロワを乗せた。


 途端に光の勢いが増す。宇賀の足元が盛り上がる。飛び出した木の枝が棒立ちの宇賀を膝付かせ、他の寮生と同じように土が彼の体を包む。土の層は一瞬で墓標のように分厚くなった。


 それを要は吹き飛ぶ視界で見届けた。気づけば土の下にいる。桐埜に襟を掴まれ引き戻されたのだ。


 大地が大きく揺れたのは直後だった。

 炎がついに地面に到達したのだ。爆弾が辺り一面で弾け続けるような音と衝撃。轟音が小さな穴の中に反響して耳の奥が痛くなる。バチで打たれる太鼓の気分だ。


 身をかがめてとにかく耐える。

 永遠に続くかに思えた炎の侵略は、心臓の鼓動を二百数える頃には収まっていた。


 揺れが収まってもまだ地面が小刻みに震えている気がする。ともかくこれで地上に出られると喜んだのも束の間、耳鳴りが起きた。


 それはギャリッグウールが終わる合図。

 そして、寮生たちからクロワの力が消える音だった。


 この穴は諫戸と紗枝が協力してクロワで作ったものだ。それなりに深く、外側は分厚い装甲になっている。


 クロワなしに作ったり壊したり気軽にできるものではない。


「…………え、これ出れる?」


「うっげぇっき埋めぇ。ちょっと、狭いから動かないでくれまっすう? 焦んなくても研究所マントールがどうにかするっしょ」


「でも通信切れてる」


「地中には電波届かないんじゃん?」


「なるほど」


 やたら耳元で聴こえる桐埜の声は冷静だ。つられて、パニックになりかけていた要の頭も冷えて来る。

 そして頭が冷えれば冷えるほど、香ってくる少女のものとおぼしきいい匂いに顔が熱くなるのを感じた。


 ◇  ◆  ◇


「待機職員総員に告ぐ、至急寮生を掘り出しに向かってくれ。位置は送信済みだ。各自把握を。くれぐれも慎重に頼む。…………これでやっと一体か」


 多量のモニターの前に一人座った男は部下にそう指示を出し、通信をひとまず切った。両手を組んで思い切り伸びをする。


 強張った背骨が鳴る。男──玖楼くろうは息をついて、自分のパソコンに送信されてきた観測データに眼をやった。


「宇賀君を守ったさっきのクロワの出力、やっぱりおかしい。諫戸いさど君も風杖かざえ君も、あれだけ疲労していて普段の倍は力が出ている。火事場の馬鹿力では説明できない。…………かなめがやったのか?」


 表示された数値を指でなぞる。クロワの出力がこうも急激に上昇するなどありえない。あるとするならば、他のクロワによる干渉の結果だけだが……あの場で三年生以外にクロワを使用していたのは、要だけだ。


「要のクロワはただのコピーではない……?」


 他者のクロワを反映するクロワが、過去なかったわけではない。それでも出力まで他者から借り受けるようなものは理論的に存在しない。クロワは自分の出力範囲でしか使えないのだから。


 手を尽くしているが、いまだ要の素性は分からない。彼がどうして罪を犯し、どうやって人を殺したのかは謎だ。


 クロワはその人間の本質に紐づいている。歴代のクロワ使いを見ても、例えば土や植物を操るものは他者を支える基盤となる人格の人間が多かったし、逆に風や水を操る者は捉えどころがなく、協調性に欠けることがほとんどだった。


 要は記憶を失っている。その人格を育んだはずの情報が欠如している。彼がどんな人間なのか、まだ測りかねているのが現状だ。


沼端ぬばた顕治けんじといい要の件といい、今期は予想のつかないことが多い。やはり準備を進めなくては……)


 戦闘後のゆるみで弛緩しかけた緊張をもう一度張り巡らせ、玖楼は上着から小瓶を取り出した。厳重に封がされたその中には、青色をした不気味な錠剤が一粒、入っている。


(もしも彼らが敗北し、使い物にならなくなった時の保険。あまり考えたくはないけど、この戦いは負けられないんだ。たとえ、何を犠牲にしてでも)


 小瓶を握りしめる。その瞳には、暗い覚悟が宿っていた。



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