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母体初戦


『戦闘開始だっ! みんな頼む!』


 玖楼くろうが号令をかける。それによって狼の咆哮に意識を飛ばした寮生たちが我に返った。


「っ! 第一陣行くぞおらああ!」


 戦端の幕を切って落とす初めの一歩は、やはり諫戸いさどだった。大剣を地面に突き刺すと狼の腹の下で土が盛り上がる。飛び出したのは尖った岩だ。硬い岩盤が獣の腹目がけて襲い掛かった。そのまま腹に突き刺さればいいが、怪物もそんな愚は冒さない。地を蹴り空に跳躍する。


「ふん、者ども出だしが遅いぞ。だが……ふっ、見事にかかったな」


 しかし逃げ出した宙は万人に開かれた安全地帯ではない。


「おれの手から逃れられると思うな。喰らえ、おれの全力だ」


 眼鏡をキラリと輝かせた啼臣が掲げたこぶしを思い切り振り下ろした。


 途端に巻き起こった暴風が狼の体を真上から押し潰す。風に捕らわれ急降下する狼の下には先ほどの鋭い大岩が無数に生えそろっている。避けて着地することは不可能だ。


 だがその腹が子ヤギを食った童話の狼のように裂かれることはなかった。

 怪物が前足を振るう。足元に迫った大岩の先がいくつか砕ける。狼は器用にそこへ着地した。

 けれど狼では猫のようにしなやかに、とはいかないらしい。

 足場が悪く踏ん張りがきかない。見るからにバランスが崩れている。その一瞬の隙が最初の狙いだった。


『いまだ! 次!』


 すかさず玖楼の指示が飛ぶ。動いたのは女子たちだ。


 紗枝がハンマーで地を殴る。砕かれた大岩の中に仕込まれていた蔦が急激に成長し飛び出した。蔦が太い四肢に巻き付く。狼はそれを焼き払おうというのか、口の中に火炎を含み顔を下に向けた。


「ここでっ、うちの、出番やね!」


 死角から千夜がボブヘアーを振り乱して大地を蹴る。生えた岩の間を跳躍し一瞬で狼の頭上へ飛び出した。


 少女が空中で金棒を振り上げる。そのまま落下の勢いと合わせ、クロワによってみなぎったパワーを振り下ろした。


「ホームランっ!!」


 掛け声と共に金棒が狼の脳天に着弾する。硬い物同士が潰し合う大きな音がして狼の体がふわりと浮く。横倒しになった狼をそのまま樹木の幹が包むように捕縛した。


 倒れた狼の脇腹に、今度こそ大岩が突き刺さる。


 響く獣の咆哮にかき消されないように諫戸いさどが金髪を振り乱して声を張った。


「畳みかけんぞっ!!」


 ここまでは作戦通りに進んでいた。狼の体勢を崩して捕縛する。そしてそこへ最大火力を叩き込む。それが作戦の第一義であった。


 勢い込んだ寮生たちは集中砲火を浴びせんと地を蹴る。だが捕まった狼の目は全く戦意を衰えさせていなかった。カメラで遠方から事態を見守っていた玖楼が、狼の腹が膨らんだことに一番に気付く。


『っ! 待て、来るぞ!』


 静止は、桐埜きりのが水飲み場の蛇口に斧を振り下ろしたのと同時だった。


 吹き出る水しぶきの向こうに要は見た。空気を思い切り吸い込んだ狼の口の中で炎が渦巻くのを。


 巨大な弾と化した炎が吐き出される寸前、桐埜が焦り混じりの金切声で叫び斧を振るう。


「さっせるっかー!」


 破壊された蛇口から吹き出た水が宙を滑って狼へ殺到する。塊となった水が放たれた火球に衝突した。水が炎の勢いを阻むが相殺するまでには至らない。


 だが、その数秒が命運を分けた。


 水を蒸発させきった火球が、今度は諫戸が展開した泥壁にぶつかりかき消える。大技を連発しすぎた諫戸が膝をついたが負傷者は出ていない。急場をしのいだ寮生がほっと息をつくがインカムの向こうの玖楼は張りつめた声で指示を飛ばす。


『状況は第二フェーズに移行! 各員そなえろ、ここからは油断した者から炭になるぞ!』


 見れば狼はすでに大岩から身体を引き抜き体勢を整えている。低くうなりながら牙の隙間から連続的に吹き出す炎は心臓の鼓動に似ている。

 いつの間にか首元の炎もより大きくなっている。母体は完全に警戒態勢に入っていた。


 最初の奇襲は失敗に終わった。

 ここからは母体からの反撃を心せねばならない。


 母体がひと際大きく遠吠えをする。要は狼から一番遠くにいるはずなのに、背筋に悪寒が走った。


 それは予感ではない。こうなることを事前に知らされていたからだ。


 要は思わず振り返る。遠くに、公園の外からこっちを目指してくる何かが見えた。あのシルエットは見覚えがある。二足歩行するヤギ、この区の低級コレールだ。母体が彼らを呼び寄せたらしい。


 新手の登場は研究所のほうでも観測された。


『予想より早いな……。宇賀くん。君のクロワは母体と同系統、相性が悪い。母体戦のサポートを外れてコレールに注力してくれ』


「でっ、でも……。……中級まで、いるし……」


 宇賀が猫背をさらに丸めて顔を青ざめさせる。確かにヤギに混じってさらに大きな影があった。数十メートルはなれたここからでは極端に肥えた成人男性のように見えるが、頭部の膨らみが異常だった。近づけば分かる。あれは豚だ。三つに別れた頭が三方を睨みつけていた。


 豚のコレールはヤギよりも力が強く一人で相手するのは危険だった。


『過去の母体戦のデータから、このコレールたちが積極的に攻撃してこないのは分かってる。恐らく彼らは、母体が取り込んで傷を癒すために集められているんだ。だから母体に近づけさせないよう足止めに専念してくれるだけでいい』


「……や、やって……みます」


 諭すような説得に宇賀が泣きそうになりながらも戦線から離脱する。これでひとまず、残りの者は母体討伐に集中することができるだろう。


 だが一環して状況は不利だ。

 ここからは母体も死力を尽くして寮生を狙ってくる。せっかく負わせた傷も、コレールを取り込まれると回復されてしまうのだ。そうして終わりの見えない戦いに持ち込まれるとタイムリミットが来てしまう。


 もし倒す前にギャリッグウールが終わると次のチャンスはひと月後だ。それでは母体が全快するどころか、他の母体に挑む機会もなくなる。


 それでは結局生き残っても卒業後の死の運命を回避できない。頭にちらつく焦りのせいで、メンバーの中に暗い予感が落ち始めた。


 そんな空気を払拭するように玖楼が呼びかける。


『母体が散開していたコレールを呼び寄せたということは、それだけ奴が弱っているということだ。追いつめているのはこちらだ。あらゆる西洋の物語において欲を出した狼がどうなったか、ここで教えてやれ!』


「っ──おう!」

「はいっ!」


 えかけた気力に希望という名の薪をくべる。

 それは大人の言葉にただ引っ張られた空元気だったのかもしれない。だが、武器を握る手に力が籠ったのは事実だ。


『諫戸くん、大技はあと何回だせそうだい?』


「ニ……いや三回は撃てるっ! 防壁に使うんだったかっ!?」


『ああ。二年生組は自衛できるクロワじゃない。ただの放射なら祇遥ぎようくんが防ぐが、さっきの炎弾を出されると終わりだ。そこを頭に入れておいてくれ』


「了解だっ!」


『倉科くん、平野くん、君たち二人はひたすら斬り込んでくれ。母体の攻撃はこっちで予測するから』


「っしゃー! やっちゃる!」

「ふんっ、当たり前だ。攻撃は最大の防御なのだからな」


『風杖くんは──』


「二人のサポートですよね。──大丈夫よ、千夜ちゃん倉科くん。何があっても私が守るわ」


『祇遥くん、君がみんなの生命線だ。頼んだよ』


「へいへーっい言われずともぉ」


 玖楼は一人一人に声をかけ意識を再度確認していく。


 諫戸を潰そうとした前足を千夜が殴り飛ばす。

 千夜を狙った炎を桐埜が防ぐ。

 桐埜に向きそうになった母体の視線を啼臣がひきつけた。


 明らかに動きが良くなり、連携がとれ始めている。全員が玖楼の指示に耳をすませている証拠だ。


 要は桐埜だけで手が回らない細かな穴を必死に塞いでいた。弱い自分にできるのはそれくらいだ。それですら一瞬たりとも気が抜けない。自分のミスが全体の失敗に繋がるのを如実に感じる。


 だがプレッシャーに早くなる心臓は息苦しさだけではない。いい得も知れぬ高揚も感じていた。


かなめ


「ああ」


 囁かれた養父の言葉に短く頷く。


『まだ自分の力すら把握できてないお前をこの場に出してしまったのは僕の責任だ。だけど、要にしかできないことがきっとあるから』


「ああ!」


 たったこれだけしか力になれない不甲斐なさ。それを挽回したいと願う意思。二つがない交ぜになって少年の集中力は極限にまで高まっていた。


「ふんっ!」


 その時、啼臣の風に煽られ狼が濡れた地面に足を取られた。すかさず蔦が四肢に巻き付く。千夜に脇腹を殴られた母体がひっくり返る。


 地面に縫い付けにされた狼が起き上がろうとするが、太い蔦は一瞬では千切れない。


 狼の腹部が無防備になる。初手で負わせた傷口に諫戸が大剣を突き刺した。


「これで終わりだオラあああああああ!」


 砲丸でも投げるように身体を大きくひねって剣を振りぬく。刃はみごと狼のしなやかな皮とひきしまった肉を裂いた。


 勢いのまま飛び降りた諫戸の後ろで狼が悲鳴のようなうなりを上げて暴れる。傷口から噴き出したのは血ではない。喰われた女の子も羊も出てこなかった。


 それはまるで霧吹きのように、発光する白い粒子が舞う。


 それはコレールが消えるときと同じ現象だった。母体は傷口から徐々に姿を薄れさせていく。見慣れた光景に、寮生と研究所マントールが勝利を確信した。


 だが近接戦をしていたメンバーと違い、少し離れた場所にいた要と桐埜には見えた。裂かれた腹が大きく膨らむ。痛みに食いしばった牙の隙間から漏れたのはまぎれもない炎だ。


 頭巾のように燃え盛っていた火が消え、代わりにかつてない大きさと密度を持った太陽のような炎が狼の口から吐き出される。


 最後の断末魔と共に炎弾は空へ打ち出される。粒子となり消えた狼を弔う送り火とでも言うように、それは中天で爆発した。


 見上げた者の表情が勝利の喜びから絶望へと変わる。

 人を一瞬で炭と変貌させる高温の暴力が、まるで舞い散る花火のように、防ぎようのない質量で公園の一面に降り注いだ。




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