それぞれの
どれだけ胸中が荒れ狂おうとも、告げられた事実に心を痛めようとも、ギャリッグウールはやって来る。
寮から最も離れた第十二区で、諫戸と紗枝は手馴れた様子で影法師のコレールを引き裂いた。最後のコレールが風にさらわれる煤のように消え、二人は武器を下ろす。
「今日は珍しく学年ごとになったわね」
紗枝は微笑みかけたが、諫戸は難しい表情で黙りこくっている。普段は戦闘になるとうるさいくらいに声を張り上げる彼だが、先ほどからずっとこの調子だ。寮で玖楼からの宣告を聴いてからずっとこうだった。
玖楼は言った。歴代の寮生は全て例外なく、卒業と共に処分されたと。自分たちももちろんその運命にある。今のままでは例えコレールとの戦いを無事に乗り越えても、寮生に未来はない。
諫戸と紗枝にとってたった一人だった先輩も、研究所によって処理されてしまったのだから。
だが玖楼の交渉によってチャンスが生まれた。この一年の間に残る全ての母体を倒せば、寮生の命は卒業後も保証される。コレールを生み出す母体。現在六体いるそれを倒す。母体は強力だ。三年生である二人は入学直後から母体の戦力調査を行ってきたが、勝てるビジョンが見えないくらいには、母体の実力を知っている。
玖楼は自分たちを必ず勝たせると言う。それが寮生を鼓舞する虚言なのか、本当に目星がついているのかは判断が難しい。少なくとも犠牲なしに、というのは不可能に思えた。可能性があるとすれば──
「おい風杖っ」
考え込んでいると、いつの間にか諫戸が目の前にいた。さっきまで考え込んでいるふうだったのに、今の彼の瞳には強い意思が宿っていた。不思議に感じてその目を見つめ返すと、諫戸がただ一言、質問を投げてきた。
「命に未練はあるか」
端的だった。飾り気の欠片もない。だが紗枝には彼の言わんとしていることが分かってしまう。突然すぎてちょっと目を見開いてしまったが、紗枝はすぐ表情を微笑みに変えて答えた。
「ないわ」
「考えてることは一緒ってか?」
「そのようね」
同意すると、諫戸がニッと笑って拳を叩いた。
「俺たちが剣となり、盾となる。後輩共から犠牲なんて出させねえっ」
「失敗して一番に殺されるのは、三年生である私たちだものね。けれどあの子たちには最短でももう一年猶予がある。藤沢指揮官なら、もう一度くらいは相手を交渉の場に連れて来られるでしょう。そうすれば私たちは、あの子たちに後を託すことができる」
獰猛に笑う諫戸とは対照的に、紗枝はそう優雅に語る。インカムの向こうで話を聞いているだろう藤沢にも自分たちの考えが届くように。
諫戸も頷く。
「藤沢が一年って条件にしたのは、俺たちも救うためだな。だがどうせ死ぬはずだった命だっ。失敗は損失にならねえ。順当に死ぬだけだっ。なら、惜しむもんでもねえっ!」
掲げられた大剣に、紗枝も自分の武器を重ねた。金属のぶつかる澄んだ音が響く。それは誓いの音だった。
「俺たちが前戦に立つ。必ず守るぞ。……そんでまあ、俺たちも生き残ろうやっ」
最後に付け加えられた言葉に、紗枝は思わず心の底から破顔した。彼は自分たちの命を後輩に背負わせる気はないらしい。共に戦い早二年。ようやく彼の本音が聴けたことに、紗枝は感謝した。
◇ ◆ ◇
二本足でチョークを投げつけてくる子ヤギ型のコレールが背後から迫る。要は正面のヤギを切り捨てて、後ろを剣の峰で撲りつけた。こうしていると動物をいじめている気になってくるが、子ヤギの目が異常に血走っていて草食動物にあるまじき犬歯の鋭さを有しているので恐怖が勝り、罪悪感も薄れる。
要は危うく片足に噛みつかれそうになりながらも、視界に入る三匹を倒した。
「ふぅ。今日は多いな……」
額の汗を拭って辺りを見渡す。今日の討伐はちょうど学年ごとのチームに分かれた。高級そうな造りの住宅が立ち並ぶ道で残り二人の姿を探すが、見当たらない。どうやらコレールを追って離れ過ぎたらしい。
このままではまた迷子になる。こういう時にすべきはヘタに動かないことである。そう寮に来てから学んだ要が道の真ん中で立ち尽くすと、どこからか少女の怒鳴り声が響いてきた。声を頼りにじりじりと進む。すると道路を二本挟んだところのトンネルで、啼臣と千夜が言い合いをしていた。
千夜のほうなど今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「なんで言わんかったんじゃ!」
普段よりも語気が荒い。いつもの軽い言い争いでないことを察して、要は慌てて駆け寄り千夜を啼臣から引きはがした。
「千夜っ、どうしたんだ」
後ろから両肩を掴んで彼女の動きを止める。するとようやく要に気付いた千夜が振り返った。
「要くっ──」
「落ち着け。喧嘩はいつものことだけど、様子が変だ」
「うちは変じゃないっ。コイツが頭おかしいんや。コイツっ、寮生が卒業する時に殺さるって知っとって黙ってたんよ!?」
少女は一瞬我に還ったようだが、またすぐ頭に血が上った様子で啼臣を睨みつける。予想外の言葉に要も啼臣を見つめた。彼はいつもの仏頂面を涼し気に浮かべている。
「啼臣、そうなのか」
尋ねると啼臣は、指先で眼鏡のつるを押し上げながらため息をつく。
「おれは最初から研究所から聞かされていた。人を殺したおれは死を持って自分を裁こうとしていたからな。どうせ死ぬなら役に立てと奴等は言った。これは当然の報いだ。貴様らが知らなかったほうが驚きだとも。
……だが、お前らは本当に気づかなかったのか?」
「はぁっ!? そんなん気づくわけっ」
「この戦いはすでに四十年以上続いている。従事者は毎年一人いるかどうか。だが、それでも戦死せずに卒業した人間はそれなりにいるはずだ。だがどうだ。この町の中に、この腕輪と同種の戒めを受けた人間が一人でもいるか? 研究所はお前らに言ったらしいな。『これは狂犬にはめる首輪と同じ。卒業後も解放されることはない』と。力なき者がギャリッグウールに入らぬよう素材こそ別物だろうが、腕輪のデザインは変わらないらしい。一般人と罪人の見分けがすぐつくようにな」
つらつらと語って左腕を掲げる。その手首に光る緑色の腕輪。それは寮生の証であると共に、罪人の証であった。寮生とそれ以外を区別する手枷。それがこの腕輪だ。寮生は卒業後も町から出ることはできない。なのにこれを付けている人間が町にいないということは、一つの事実の証明である。
啼臣が呆れたように目を細め、千夜たちを流し見る。
「生きてこの寮を卒業した人間などいない。あんな希望、研究所の欺瞞だと、見抜けないほうが間抜けなのだ」
「……っ。だったら、教えてくれても」
悔し気にもらす千夜に啼臣は首を傾げた。
「言ってどうする。一度寮に入った時点でおれたちは町から出られん飼い犬だ。結果は何も変わらない。それに罪人がいくら死のうが、おれは何とも思わん」
侮蔑するように千夜を見下ろす。啼臣はいつもこうだ。まるで、罪を犯した人間には何の権利もないだろうというような態度。啼臣はどんな状況でも変わらない。そんな彼に、要はかける言葉を思いつかなかった。極端が過ぎる思考でも、言っていることは完全には間違っていないと感じるから。
そんな躊躇いから生まれた沈黙を打ち破ったのは千夜だった。千夜は拳を震わせキッと啼臣を見上げる。
「あんたはそうやろ。でもうちらは実験室のモルモットやない。たとえ罪人だとしても、考える頭がうちらに有る限り、騙されて殺されるなんておかしいじゃろ! たとえ結果が変わらんくても、自分の運命なら、全て知った上で自分で選ぶ! この罪だって自分で選んで背負ったもんやっ。だったらこの先の贖罪だってうちのもんに違うんか!」
言って、拳で啼臣の胸を突く。よろけた啼臣は途端に真面目な顔つきになった。ふむと視線を落し、またすぐ上げる。その目は真っすぐ千夜を見つめていた。
「違わないな。おれも死ぬと分かってこの戦いに参加した。それは偏に罪人に堕ちたおれでも成せる正義がこれだと思ったからだ。選択の上での申し出だったのなら、おれが見誤っていた。謝罪しよう。悪かった」
深々と頭を下げる。そのまま地面に手をつこうとするので千夜のほうが慌ててしまうほどだった。
「えっ、いや……そんな謝らんでも……。ほら立って。うちがいじめっ子みたいになっとる」
そんな二人を眺めながら、要はトンネルの冷たいコンクリートに背中を預ける。
(知った上で……か。そうだ、俺は知りたい。どうすれば思い出すことができるだろうか)
自分の罪を。背負うべきものを。そして、命をかけて戦う意味を。
寮生のことを知る度に思う。自分も己の罪と向き合わねばと願うのに、その罪の形が分からないことがなんでか無性に悔しかった。
◇ ◆ ◇
襲い来る四体の小鬼型コレールを一人で薙ぎ払い、桐埜はおもいっきりため息をついた。これで周囲のコレールは討伐終了だ。今日は総勢十匹程度だったとはいえ一人で全て倒すのは骨が折れる。実際に腹部に受けた打撲痕がじくじく痛む。
普段のツーマンセルならば敵は分散されるから、こんな集中砲火にはならない。怪我を負うようなミスを冒すわけがなかった。
桐埜はオレンジがかった髪をガシガシと掻き、商店のすみっこで小さくなっている宇賀の背中に蹴りを入れる。
「おらっ働けえい」
「うわっ」
バランスを崩した宇賀が地面に両手をつく。恨みがましく見上げられるが、一人で戦わせられた桐埜からすれば謝ろうとも思えない。
「いっつまでうじうじしてんの? 蛆虫の親戚なの? 蝿にすらなれずに叩き潰される願望持ちとかマジ引くわ。分かってんの? 今ギャリッグウール中なんですけど。まともに戦ってくんない? 男を甘やかす気とかさらさら無いんですけどお」
「だって……」
「ああっ?」
前髪を指先でねじりながら呟く宇賀に余計苛立ちが募る。桐埜は舌打ちしてもう一度足を振り上げた。宇賀がそれから逃げるように立ち上がる。しかし顔は背けられ、折檻に怯える幼子のように腕で顔を守ったままだ。
今度は斧の腹で殴ってやろうか。こめかみに青筋を浮かべて桐埜が迫ると、宇賀は言い訳するように口を開いた。
「ぼっ、ボクは、ただ一人で……背負えなかったから、ここに来ただけで。……殺されるとか、そんなの……聞いてない。……ボクは……母体となんか、戦えないっ」
つっかえながら話す宇賀を桐埜は冷たい目で見つめている。宇賀の震えは生後間もない子犬のように止まらない。桐埜はため息をついて、投げやりに呟いた。
「初めっから、母体討伐は私の在学中に決行させる予定だったし」
「え……?」
予想外の言葉に思わず宇賀が少女の方へ視線を向ける。桐埜はその一瞬を逃さず、手を伸ばして宇賀の頬をぐにっと掴んだ。たたらを踏んだ少年の顎を上向かせ、桐埜が間近でその瞳を見下ろす。
宇賀には少女の笑みが、人の足を掴んで地の底に引きずり込んでいく悪魔のそれに見えた。
「私と同じ学年になったのが運の尽きだね。勝つまで地獄は終わんないよ」
「しょんなぁ……」
「ははっ」
宇賀の潰れた口から悲鳴気味な言葉がもれる。桐埜はやっと少年から手を離した。ヒリヒリする両頬を撫でる宇賀を放って、桐埜は寮のほうへ帰っていく。宇賀が呆然と立ち尽くしていると、少女は突然に振り返った。
「心配すんなようがっち。平気、勝つし。だぁって天才の私がいるんだからっさ」
手にした斧で空を斬り、ニヤリと笑う。
「やぁったね、幸運じゃん」
「…………」
いやそれ絶対に不運だ。喉まで出かかった言葉を飲み下し、宇賀は少女の背を追った。




