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アプローチ


 幸か不幸か、要はこうと決めたら即行動する人間であった。


 さすがの体育祭本番は強制参加らしく、諫戸いさども朝から自分の所属する黄団のひな壇にちゃんと座っている。手始めに要は、次の競技の準備をしながら諫戸に手を振ってみた。


「せんぱーい。おはようございまーす」


「…………」


 無視された。しかし想定内だ。


 次いで諫戸の参加する競技に合わせて最前列を確保し応援してみる。


「諫戸先輩、頑張ってー」


「………………」


 女子を真似て声色を可愛くしてみたが、げんなりした顔を一瞬向けられただけで、返事はない。結局その後一瞥(いちべつ)もくれないままレーンを走っていってしまった。


 ちょっと悲しかったので紗枝さえのことも同じように応援してみる。


「紗枝せんぱーい。頑張ってくださーい」


「ふふっありがとう。でも、私は黄団、要くんは緑団、敵同士よ?」


「寮生の絆に所属は関係ありません」


「まあ。要くんは良い子ね。じゃあ私も寮生のこと応援するわ、たとえ黄団が負けることになろうとも」


「もっと気軽なお気持ちで応援してくれ」


 なごやかに手を振り返してくれる紗枝に心を癒される。


 その後も要はすれ違う度に諫戸へ声をかけた。無視されてもめげず、睨まれてもひるまない。そうして着々と競技は消化され続け、ついに昼食休みの時間。


「ちぃっ、逃げられた」


 一年生の宇賀が寮生用にお弁当を用意してくれているというので迎えに行ったのだが、諫戸は一足先に雲隠れしていた。


 仕方なく、体育館の隅っこに集まった寮生のブルーシートへしょげ帰る。


 そこには、諫戸を除く緑輪寮生の姿があった。


「駄目でした」


 報告すると二年生組から手招きされて、二人の真ん中に座る。すると両側から紙皿と割り箸を渡された。


「ふん。食べたくない奴は放置していればいいのだ。そら、おれの卵焼きをわけてやろう」


「いや卵焼きまだいっぱいあるし。食べかけ渡しやんな。にしても要君もようやるよ。あ、こんからあげも美味しいよ」


 お皿に次々と食べ物が乗っけられる。宇賀が小さい体をさらに小さくして、ちょこちょこと紙コップにお茶を注いでいった。


 手を合わせておかずを食べる。夕食の時も思ったが、宇賀の作る料理はおいしい。冷えていてもしっかり味がする。おいしいよ、という意を込めて宇賀に笑顔を向けると、なぜか怯えられてしまった。


 重箱に詰められた昼食を六人でつつく。成長期の男子もいるせいか、お弁当はものの数分で半分が胃袋に消えていった。


 小食の紗枝さえがお茶で一服して、自分の隣を見てため息をつく。


「なんでかしらねえ。去年は一緒に食べてくれたのだけど。お腹が空いてないのかしら」


「そういう問題やないと思います」


 紗枝の横にあるのは未使用の紙皿だ。言うまでもなく、諫戸の分だった。


「去年はここで食べてたんですか」


 尋ねると、紗枝は微笑んで答える。


「ええ、一緒に。去年は研究所マントールで作ってもらったオードブルのようなものだったけれど、倉科くらしなくんと取りあいしてたわよね?」


 矛先を向けられた啼臣が箸を咥えて顔を上げる。


「むぐっ、そうだな。おれが狙いを定めたエビチリを奴は奪おうとした。そこからは戦いしかあるまい」


「あれは啼臣が悪い。それに最後は笑って譲ってくれたやん」


「笑って……?」


「うん。啼臣があまりに食い下がるけん。苦笑しとったよ」


 要は視線を落した。手元の、食べかけのからあげを見る。


 笑っておかずを取りあって、それを後輩に譲って……。


 そんなの、ドラマで見た普通の高校生と何も変わらない。それのどこが罪人の姿だというのか。


「つっか要はさ、なーんでエス極先輩追いかけてんです? 今日一日おっかしいよぉ」


 桐埜きりのに問われて我に還る。桐埜は面倒臭そうな様子でペットボトルに手を伸ばし、自分のコップにお茶を注いでいる。彼女はもう要を見ていない。それほどこの話題に興味があるわけでもないのだろう。諫戸があの態度なのは今に始まったものでもないはずだ。


 だが、と要は思う。自分は何も知らないからこそ、思ったまま行動しなくてはならない。


「同じ寮生だし。目的も同じだ。だから仲良くしたい」


 さほど気にしない素振りで言ってみる。反応は皆一緒だった。


「そうね。私たちはチームで動くわけだから、仲が良いに越したことはないのだけれど……」


「やめておけ。この間の剣幕を見ただろう。人の本質は変わらん。悪人なぞどこまでいっても悪人だ。手なずけようとて噛まれるのがオチだぞ」


 紗枝が言いにくそうににごした部分を、啼臣が継ぐ。そこには冷たさも温かさもなく、ただ当たり前のことを口にしたという響きがあった。


   ◇  ◆  ◇


 もやもやとした物を抱えたまま午後のプログラムが始まった。諫戸がいるべき場所に目を向けるが、そこには誰もいない。まだ彼の出場種目はあるので帰ってはいないはずだが、もしかすると、要から逃げているのかもしれなかった。


 気持ちを切り替えて、唯一の参加種目である百メートル走の列に並ぶ。先頭から順に走っていくのを見送って、次が自分の番になった。地面に指をつきスタートの姿勢をとる。


 今年の体育祭は例年になく盛り上がっている、らしい。三つある団は僅差でここまで来ている。どこが優勝するかまだ確定していない。一人ひとりの活躍が勝利に貢献し、失敗が敗北を引き寄せる。それを肌で感じるからか、主に三年生の圧力が強かった。先輩方に怯えた部活動生を中心に、全力を出す生徒が多い。


 今も四方から声援が届いている。友人を鼓舞する声、所属の点稼ぎを望む声。聴こえてくる言葉は様々で、耳に届く前に混ざってその正体をあやふやにする。けれどみんながこの瞬間を楽しんでいるのは分かった。

 それがよけい太鼓の振動みたいになって、要の心臓を早くさせる。


 大勢で騒ぐというのは、こんなに楽しいものなのか。要は初めての感覚に頬を紅潮させて前を見据えた。準備を促す係の言葉。直後に響く、遠く空まで射抜くような破裂音と同時に走り出す。一気に加速しコーナーを曲がる。前を行く男子生徒を追い越すと視界が開けた。


 目測残り三十メートル。もう少しだ。最後の前傾姿勢に入ったところで、ゴール付近で動くものを捉えた。


 ゴール横の保護者テントから誰かが大きく手を振っている。振り過ぎて残像が見えるほど。白髪混じりの男だ。その横にはごついビデオカメラが三台も設置されている。


「なっ──!」


 間違いない、玖楼くろうだ。玖楼が保護者席の先頭でレーンに半ば身を乗り出し要に手を振っている。視線が合うと手の動きが倍増した。輝きで闇夜を照らさんばかりの笑顔だ。


 対する要は突然の光景に足がもつれてしまう。


(何でいるんだ玖楼《あの人》! ってヤバっ)


 傾いた身体を強引にひねってなんとかゴールテープを切る。歓声が上がるが体勢が立て直せない。要はそのまま地面に顔を激突させ、一メートルほど滑ったところで停止した。


 遅れてどよめきと笑い声が押し寄せる。


 全校生徒に醜態を目撃された要はこの日、一位と引き換えに顔面でスケートした男の名誉を手にすることとなった。


   ◇  ◆  ◇


「じゃあ、僕はこれで。おでこ大丈夫?」


 カメラの撤収を手伝うと、玖楼に前髪をかき上げられた。要はそれをやんわり避けて笑う。


「ああ、平気。皮()けただけ。ほんとに俺を見に来ただけだったんだ」


「同僚がちょっとの間だけ仕事を代わってくれたんだ。義理でも父親なんだから応援に行け! ってね。ご厚意に甘えてしまった。出場種目はあれで終わりだろう? 見たいものも見れたし、もう帰るよ」


 そう言って車の助手席に乗り込む玖楼を見送る。運転席にいた若い女性に一礼された。研究所マントールで見かけたことがある。確か玖楼の部下だったはずだ。要も彼女に一礼すると、黒塗りの車はすぐに発進する。遠ざかるナンバープレートが角を曲がるまで校門で立ち尽くし、振り返るとそこには諫戸いさどがいた。


「よぉっ」


 にこりともせずに諫戸が近づいて来る。最近はずっと逃げられていたので、こうして彼の顔をまともに見るのは久方ぶりだった。


 気安げに声をかけながらも、諫戸の眼は薄暗い。


「お疲れ様です先輩。どうしたんですか」


「これだよ、これ」


 諫戸が手に持った紙を広げて見せる。そこには手書きで『親しい後輩』と書かれていた。体育祭の準備を手伝った要は知っている。あれは借り物競争で使うクジだ。準備委員の生徒と手分けして書いたので覚えている。


「何ですそれ」


「借り物だよ。説明させんなっ」


 要はいぶかしんだ。借り物競争は午前中に終わっている。確かに三年生の種目だったが、諫戸は出場していなかったはずだ。今更あの紙を持ち出してどうするつもりか。


「それ」紙を指差す「俺のことですか」


「いんや。んなわけねえだろっ」


 少しの期待を込めた言葉は、目の前で散り散りにされる。諫戸は手に持った紙を真っ二つに裂き、さらに細かい紙片へと変えていった。


「俺がこれ引いてたら失格だったぜっ。『親しい後輩』なんて俺にはいねぇし、これからもそうだからな。まっ、そもそも出てねぇけどっ」


「俺は──」


「まだ分かんねぇか? 俺は誰とも仲良し小好こよしなんかするつもりはねえってことだ。こっちの事情も何も知らねぇくせにへらへら笑いやがって。他人ひとに踏み込もうとすんじゃねえってことだよ!」


 諫戸が手を振るう。殴られるのかと身構えたが違った。破れた紙片が二人の間に舞い散り、見えない壁を作るようだった。


「分かったら、俺に付きまとうのはやめろ!」


 言い放って諫戸は要に背を向けた。要の返事など待ってはいない。一方的な絶縁宣言だった。


 表情など見えないのに、そこにありありとした拒絶が浮かんでいるのが分かる。運動場へ遠ざかる背中を力なく見つめていた要は屈んで、足元に散らばった紙片を拾い始めた。


 一枚ずつつまんで左の手の平に乗せる。半分ほど集めたところで強く風が吹き、盛り上がった紙屑の山は蝶々のように飛んでいった。


 空っぽになった手の平を、要は握りしめる。


「何も知らないくせに、だって……?」


 自分の底から湧いて来るのは、悲しみや絶望ではなかった。ふつふつと湧き上がるのはもっと激しい感情だ。怒りともやるせなさともつかない憤懣ふんまん。それが要の手を震わせる。


「知らないってだけで関わっちゃいけないなら、俺は自分自身すら赤の他人じゃないか」


 奥歯を噛みしめ小さく吐き捨てる。おもむろに立ち上がった要は、ポケットに入れていた携帯を手に取った。




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