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裏と表


 連休が明けると体育祭が目前に迫っていた。本番まで一週間もない。

 要が編入したこの風間かざま高校は体育祭に力を入れる校風らしく、授業の半分が体育祭の練習になっていた。


 しかし要に今から種目を覚えろというのも困難な話である。よって要の出場は徒競走一つのみとなった。運動場で嫌々創作ダンスの練習をさせられるクラスメイトをよそに、要は体育祭の準備を手伝っている。


 赤いチリ紙のようなものを数枚重ねて折り畳み、せっせと花をつくる。そうやっているうちに日付は進み、金曜日。五月十一日、体育祭予行練習日となった。


 運動場の奥には各団用のひな壇が組まれ、レーンを囲むようにテントが張られている。飾りつけもほぼ完成していて、足りないのは観客だけだ。


「そこー、誰かこっちの手伝いいいかな?」


「あっ、俺手空いてます」


 クラスメイトとひな壇で涼んでいると、担任の男に召集を受けた。それに頷いて立ち上がると、一緒に休んでいた千夜ちよ啼臣ていしんがそろって要を見上げる。


「ごめんね要君。うちら次、創作ダンスやから手伝えないや」


「ふっ、進んで奉仕活動か。いいだろう、こっちは任せろ。おれのダンスがチームを優勝へ導くだろう」


 啼臣が真顔で、わざとらしく眼鏡を持ち上げる。要は彼に笑いかけた。


「ああ、啼臣の歌舞伎、楽しみにしてる」


「歌舞伎ではない。曲はヒップ・ホップだ」


「あー……いやあ、あれはねぇ」


「あーではない。おれは真面目にやっている」


「ま、あれはあれで味があるんやない?」


「その通りだ! はっはっはっ、よく分かっているじゃないか千夜」


 口だけの不気味で不器用な笑い声を上げて周囲を引かせる啼臣に背を向けて、要は遠くで待つ担任の元へ急いだ。


   ◇  ◆  ◇


 体育倉庫から必要な物を取り出し、代わりに使わなくなった物を奥へ放り込む。そんな作業を黙々こなしていると、要にこの作業を任せた担任の若い男が戻ってきた。隣に並んで、気まずそうに口を開く。


「しかし、本当にいいのか藤沢」


「何がですか」


「お前の出番、一種目だけだろ。今からでも参加しないか? 例えば創作ダンスとか」


「あの珍妙な踊りにですか」


「いや……珍妙になってるのは倉科くらしなが歌舞伎るからで……。とにかく、年に一度のお祭りなんだから、周りを気にしなくてもいいんだぞ?」


「やめときます。今からじゃ順番も動きも覚えられない。こうやって手伝いしてるほうが気楽でいい」


「そうか……。わかった。じゃあ、俺はあっちに行くから、コーンは向こうに配達頼むな」


「了解しました」


 敬礼に敬礼で返し、要は重ねた赤い三角コーンを抱え上げた。最後の方の種目で使うらしい。これをゲート付近に置いておけばいいという。そうしてコーンを置き、ひな壇に戻る前に一つ背伸びをしていると、視界の隅に見慣れた金色が見えた気がした。


 この高校で、あんな派手な頭をしている人間は一人しかいない。


(今のは……諫戸いさど先輩か)


 ジャージを着た諫戸は両手をポケットに突っ込み、人目を避けるように校舎の方へ歩いて行く。そういえば彼の彼のクラスがいるひな壇に諫戸の姿はなかった。なんとなく要はひな壇に戻らず、彼の姿を追いかけた。


 諫戸は校舎の裏に入り、渡り廊下の方へ進んでいく。もう運動場は見えない。スピーカーから流れる音楽と生徒たちの喧噪けんそうも徐々に遠くなっていく。


(どこに行くんだ?)


 辺りには人一人いない。木陰に隠れるようにして大きな背中を追っていると、諫戸は階段を上り始めた。校舎の屋上に続く外階段だ。鉄板を踏む音はどんどん上に遠ざかっていく。


 屋上に通じる門の鍵は壊れている。だから屋上は緑輪寮生に伝わる隠れたさぼり場だ。そう千夜たちに教えてもらったのを思い出す。どうやら諫戸は予行練習をさぼる気らしい。納得した要はきびすを返そうとして、なんとなくまた、彼の消えた方へ足を踏み出した。


 足音を殺して塗装の剥げた鉄板を一段ずつ上がっていく。金属のこすれ合う音がして頭上を見上げたが、螺旋らせんの向こうに諫戸の姿は無い。すでに屋上へ入ったらしい。


 忍び足に腰をかがめて、階段の途中から頭を出す。この高さなら屋上が見えるはずである。鉄柵の門扉が半開きになっていて、侵入者があったことを知らせていた。


 高いフェンス越しの空間。澄んだ空の青と無機質なコンクリートの灰色とだけが世界を彩る寂しい景色の中に、その染めた金色が浮かんでいる。


 諫戸は屋上の中ほどでフェンスの向こうにある運動場をぼんやりと見下ろしていた。

 金網に背を預け、上体をひねるようにして外を眺めている。暑いのか、ジャージの腕と足を折り込んでいた。髪の色も相まって不良然としている。


 彼はいったい何を見ているのか。諫戸の視線の先へ目を移すと丁度、運動場から短い破裂音がする。それに合わせて歓声が上がった。どうやら徒競走が始まったらしい。要の眼ではギリギリ人の識別ができない。


 眼を凝らしていると、先頭を行く長身の男が足をもつれさせ地面に突っ込んだ。


「あっ」


 思わず身を乗り出して運動場を見る。聴こえた呟きを要は最初、自分の声だと思った。けれど要は口を開いていない。心で思っただけだ。つまり今の声は……。


 こけた男子生徒は勢いのまま二度前転し、シュタッと体勢を立て直す。自軍のほうに大きく手を振りながらゴールへ走って行った。怪我はないようだが動きがうるさい。


 要がほっと息をつくと、屋上のほうからも同じような吐息が聴こえた。


「はぁ、何やってんだよ啼臣ていしんのやろうは」


 安堵と、笑いを含んだ声だった。その言いかたがあまりに優しくて、幻聴でも聴いたのではないかと要は自分の耳を疑ってしまう。段差から頭を出して諫戸の表情を覗き見れば、幻聴ではないと理解するに十分だった。


 諫戸は微笑んでいた。彼の眼には、あのこけた人物が識別できているのだろう。列に並ぶ生徒たちを微笑まし気に見下ろしている。まるで大人が我が子に向けるような、人がペットの愛らしい失敗を見つめるような、そんな瞳。そこには先日の憎しみに満ちた色はない。


 要は気づかれないようゆっくり頭を引っ込め、階段を下っていった。


 諫戸いさど僚助りょうすけという人間が、あんな目を寮生に向けるのが不思議だった。自分が思っていた彼のイメージと、今見たものが頭の中でうまくかみ合わない。であればきっと、どちらかが間違っているのだろう。


 要は自分の頭の奥から響く『もう間違えたくない』という声に深く頷いて、応援席へ走った。



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