不和
寮へ帰ると思わぬ姿があった。
オレンジに近い温かな光に包まれたラウンジ。そのソファーの背から、白髪の混じった男の頭部が覗いている。それを最初に見つけたのは紗枝だった。
「あら、あれって……」
「玖楼……?」
要が呼びかけると、男が振り返る。色素の薄い瞳がすぐ要を捉えて、優し気な笑みが目元に浮かんだ。
「要、お帰り」
静かに微笑み、杖をついて近づいて来る。要はそんな彼に駆け寄りその身体を支えた。
「なにしてんだ、玖楼。どうしてここに」
「えっ? いやだって、要がカメラに手を振ったんだろう? だから何か用があるのかと思って、こうして…………」
言われて思い出す。戦闘が始まる前にカメラへ手を振ったのは確かだ。だがあれは何かを伝えたかったわけではない。あれを玖楼が見ていることも知らなかった。要の様子で、玖楼も気づいたらしい。眉を困ったように寄せ、確認を取るように要の顔を見る。
「あれっ、もしかして、僕の早とちり?」
頷くと、玖楼はあちゃーっと手の平で自分の額を押さえた。何か行き違いがあったらしい。
「玖楼はそそっかしい」
「くっ、普段ぼんやりしてる要に言われたくはなかった。まあでも、元気そうで良かったよ」
一方、武器を置いた紗枝が玖楼へ駆け寄って来る。紗枝に手を引かれてきた桐埜は面倒臭そうな顔であらぬほうを向いている。紗枝だけが、玖楼へ丁寧に頭を下げた。
「藤沢指揮官。いつもお声は聴いていますが、お顔を拝見するのはお久しぶりですね。息子さんに会いにいらしたんですか?」
「あー、うん。そうなるのかな。お邪魔して悪いね」
「そんな、研究所所属の指揮官が寮に来るのはおかしなことではありません。それより藤沢さん、後ろのお方は?」
紗枝が、要と玖楼の背後を覗くように身体を傾ける。要はまったく気づかなかったが、彼女の見る方向には、確かに一つの人影があった。
テレビの影に隠れるようにして座り込んでいたのは、玖楼より少し年嵩の男だった。前髪をかき上げ狭いおでこが丸見えだ。重力に引っ張られたみたいなタレ目で、目が悪いのか片方つむったままだった。銀縁の眼鏡をかけている。ぱりっとしたスーツを着込み、ラメの入ったネクタイが首元で輝いていた。
目の前に一人掛け用のソファーがあるにも拘わらず、なぜか冷たい床に体育座りをしている。あまりに小さくなっているから視界に入らなかったのだ。
振り向いた玖楼が男を紹介する。
「ああ、みんな初めてだったね。彼は沼端顕治さん。先日から新しく僕の補佐に着任した人だ」
「はじめまして、どうも沼端です。研究所所属の機械技師をしています。コレール討伐隊の指揮官補佐になります」
手で示された顕治が座ったまま頭を突きだすようにして礼をする。
「いやはは、皆さんには後日改めてご紹介に預かるはずだったんですがね。藤沢さんがカメラ映像を見て『要が僕を呼んでる! 我が息子!』っと飛び出していくものですから。補佐として追いかけてきたわけです」
「ちょっ、僕そんなこと言ってませんよ!?」
「背中が言ってましたよ。セナカフェチの目は誤魔化せません」
「フェチズムって気配を言語化できるのか!?」
狼狽する玖楼に向かって、顕治は朗らかに笑う。しかしあくまで床に座ったままだ。見かねた紗枝が口を開いた。
「あの、差し出がましいようですが、ソファーに腰かけられてはいかがですか?」
「いえいえ、地べたのほうが落ち着くんですよ。気にしないでくださいな」
「はあ……」
顕治は遠慮するでもなく、人好きのする笑みで提案を固辞する。変な人だなと、要は思った。
そうこうしている間に、二年生組が帰ってきた。
「おれの帰還だ!」
「ただいまー、っと紗枝先輩、先に帰ってたんですね。千夜と啼臣、無事戻りました」
勢いよく扉を開けて入ってくる啼臣と、その後に続く千夜。啼臣は相変わらずの仏頂面のまま、目ざとく来客の存在に気づく。
「こんな時間に藤沢指揮官がいるのは珍しいな。むっ、なんだその男は」
地べたに座ったままの顕治を見つけて顔をしかめる。見知らぬスーツ姿の男性がすみっこで体育座りをしていたら怪しく見えるのは当然だろう。察した紗枝が顕治を紹介しようと啼臣に微笑みかける。
「彼は沼端顕治さん。藤沢さんの補佐官だそうで──」
「おれと眼鏡キャラが被っているではないか!」
紹介は途中で遮られた。啼臣が片手で眼鏡を押し上げ、もう片方で顕治を指差す。指された顕治は何事か理解が及ばず、笑みを浮かべたまま首を傾げている。力強く指しすぎてそり返った啼臣の人差し指を、千夜が横から叩いた。
「なんでそこかい! 近視にキャラもなんもないやろ。失礼にも程があるわ。あと年齢的に啼臣のほうが後出なのは確か!」
「だが千夜。この寮では俺が唯一の眼鏡キャラだったのだぞ。オンリーワンだったのだぞ」
「はいはい。そんなにオンリーがいいなら鼻眼鏡でもかけときよ」
「は? 鼻眼鏡? 何を言っているんだお前。あれは視力矯正器具ではない。パーティーグッズだ」
「急にまともぶらんで!?」
「だがかけろと言うならやぶさかではない」
「誰も望んどらん!! ──っあ、すみません顕治さん。うちのアホが言いがかりを」
「いえいえ、面白い子が多いんですね、この寮は」
千夜が悪びれない啼臣に代わって頭を下げる。顕治は両手を掲げて首を振った。異次元の難癖をつけられたというのに顕治の顔はにこやかだ。大人の余裕というよりも、彼の性根がすこぶる穏やかなようである。
にぎやかな空気が流れているからか、慣れない戦闘に緊張していた身体がほぐれていくのを要は感じた。それどころか、この寮に来てずっと感じていた心細さも薄れていく。すぐ傍に玖楼がいてくれるのもあるのだろう。要は自分で思っていたよりも、この養父を頼りにしているらしかった。
無意識に玖楼の白衣を指先でつまむ。要の様子に気づいた玖楼は、杖を持ち直して要の頭に手を置いた。ぽんぽんと軽く、不器用に髪の毛を撫でられる。
「慣れないことだらけだろうけど、不安があるなら相談に乗る。だから、これからも頼むよ」
手はすぐ離れてしまったが、玖楼は要の手を振り解こうとはしない。自分は期待をかけられている。要は決意を新たにした。
少しでも、玖楼の役に立ちたいと願う。白衣を握りしめた手を要は自分から離した。それを待っていたかのように、玖楼が暇を告げる。
「それじゃあ僕らはそろそろ帰るとするよ。遅い時間に長居するのもあれだからね。君たち、明日から連休だからって、夜更かしは身体に毒だ。万全な体調管理のためにも睡眠は十分とるように……おやっ、まだ帰ってきてないペアがあるようだけれど?」
言って、玖楼がエントランスを見渡す。この場にいる寮生は五人。総員は七人のはずだ。
「そういえば、諫戸くんと宇賀くん遅いわね。もう帰っていてもいい時間なのに」
紗枝が困ったように頬に手を当てる。その横では桐埜が我関せずというように欠伸を噛み殺していた。
玖楼の目がにわかに鋭くなり、声が一段低くなる。
「沼端さん」
「はい指揮官。研究所からの報告はないです」
「最悪の可能性はない、と。では何か──」
裏に予感を隠した会話が要の不安をあおる。昨日怪物に襲われた時の恐怖が足元から昇ってきて背筋を震わせた。その震えはすぐ、まだ帰らぬ二人への心配に変わる。
その時、扉が開いた。
外の闇に浮かび上がる、小さな影と大きな影。それは館の証明に照らされて、すぐ輪郭を表した。
一人は大剣を背負った背の高い少年。染めた金髪の下には苦虫を噛み潰したような渋面が浮かんでいる。三年生の諫戸僚介だ。
その後ろ、長めの黒髪を後ろで縛った小柄な少年が随行している。一年生の宇賀湊太だ。要はまだまともに会話したことがないが、可愛らしい顔立ちながらいつも眉を八の字にしているイメージがある。
宇賀の様子がおかしい。レイピアと呼ばれる細長い剣の鞘部分を両手で握り、おどおどと諫戸の背を追っている。黒い服の肩口に滲みのようなものが広がっていると思えば、彼の顔に所々、赤い汚れが付いていた。
いち早く異変に気付いた紗枝と千夜が、宇賀に駆け寄る。
「宇賀くん!?」
「どうしたんその血!」
「えっ……こっ、これは……」
女子二人に両側から迫られ、宇賀がその小さな身体をさらに縮ませる。女子の中で一番背の小さい桐埜と同じくらいの身長か。宇賀が猫背なのでもっと小さく見える。一年生組は低身長が集まったらしい。
宇賀はこめかみに怪我を負っていた。傷はそこまで深くはないが、血管が集まる頭部のことなので血がたくさん出たらしい。
一緒に帰ってきた諫戸は大剣を背負ったまま、宇賀たちを傍観するように棒立ちになっていた。その視線は宇賀を見ているようで見ていない。
紗枝がそんな諫戸を、心配するように振り返る。
「諫戸くん、あなたが付いていてこうなるなんて。コレールと相性が悪かったわけでもないのに、どうしたの? まさか具合でも──」
「それぁ俺がやった」
「……どういう?」
「その傷は、俺が付けたんだ。手ぇ滑ったんだよ。なあ、宇賀」
「はっ……はい……。でも、あの……」
諫戸の睨みつけるような視線に、宇賀はしどろもどろに言葉をつっかえさせている。その様子に諫戸はさらに苛立ちを深めた。
「チッ、うじうじしやがってっ」
眼を細めて背を向ける。どうやら自室に帰るらしい。要はそんな諫戸の首元に赤い汚れを見つけた。横を通った彼の腕をとっさに掴む。
「首、怪我してます。手当を――」
「うるせえっ。話しかけんな」
「怪我は治療しないと」
「いらねぇ」
「でも」
「だから、うぜえってのっ」
腕を掴む要を振り払う。勢いにたたらを踏んだ要に、諫戸は一瞬の間をあけて詰め寄った。
あらゆるものへの憎しみを込めた鋭い眼光が、要を貫く。
「いいか、俺たちは所詮ただの人殺しだ。慣れ合いは必要ねぇ。分かったら二度と俺に構うなっ!」
怒鳴りつけられ、要はひるんでしまう。諫戸は舌打ちをしながら上階に消えて行った。
エントランスに気まずい空気が流れる。けれどそれは、他者を案じたものではない。みな諫戸の態度に興味がないような冷たい顔で沈黙している。そんな中、紗枝だけが悲しそうに無言で宇賀の傷を見ていた。
すでに出血は止まっているのを紗枝が確かめ、救急箱を取りに立つ。すると宇賀がぽそりと零した。
「ぼっ、ボクが……悪いんです」
諦観していた啼臣が耳ざとく聞き返す。
「というと?」
「ぎっ……ギャリッグウールって、いっつも……勿忘草が、咲いてるから。不思議で。ボクが、『勿忘草の花言葉ってなんでしょうね』って……言ったら、不機嫌になって」
「それで、お前は斬りつけられたのか」
「いえ……事故、みたいな感じで。……手が滑ったって、嘘じゃない……けど。いつもより荒っぽかった……のは、確かでした」
宇賀の証言にまた場が静まり返る。なぜ諫戸がその程度の質問で不機嫌になるのか、分からなかったからだ。
「あんなので……すぐ、機嫌悪くする、なんて。……あの人、嫌いだ……」
宇賀が下を向いて、誰とも目を合わせずにぼそりと呟く。諫戸に初日から助けられた要にも、フォローすることができなかった。
帰りそびれた玖楼が厳しい顔で黙々と宇賀の手当てを始める。
最後まで諫戸に発見されず話題からも取り残された顕治が、床に体育座りしたまま泣き出しそうな顔で呟いた。
「勿忘草──私を忘れないで……、いや彼の場合は『真実の友情』ですかね。なんて悲しい子なんでしょう。自分の罪に囚われ続けるなんて。……そうは思いませんか、ねえ」
「…………」
自室に帰ろうと横を通りかかった桐埜が、呼びかけられて足を止める。面倒臭そうにそばかす顔を歪め、桐埜は欠伸を噛み殺した。
「どっうでもいいしぃ。研究所のおじさん達はさっさと帰れば?」
そのまま一瞥もせずに階段を上っていく。顕治はその背に強い拒絶を感じた。
「うーん、もしかして研究所の人間、寮生に嫌われてるんですかね。ま、そりゃそうだろうとは思いますけど。仲良くしたいんですけどね」
眼のふちに慈悲の涙をためて、顕治は大きくため息をついた。




