相互認識
自室に戻った要は、脱いだ制服をハンガーにかけた。かけた後で、部屋着を用意していないことに気づく。仕方なく要はパンツ一丁で段ボールを漁り始めた。
積み上げた段ボールを全て降ろし、ガムテープを剥いで中身を確認していく。筆記具に新品のノート。春先用の洋服。別の箱には緊急時用のラジオや懐中電灯が詰め込まれている。なぜか一緒に乾パンも入っていた。全て玖楼が用意してくれたものだ。
それを一つ一つ手に取りながら、要は先の語りを思い出す。
「みんなが、それぞれ何かを抱えている、か……」
紗枝が語った過去の重さについて、要は想像することしかできない。実際に体験した紗枝の感じる悲しみや罪悪感は、そんな要の想像を軽く超えるのだろう。
他の寮生も紗枝と同じくらい、いやもしかすると、もっと悲惨な過去を背負っているかもしれない。
部屋着に袖を通した要は、フローリングの上に手を広げて横になる。伸ばした手の先には散乱した段ボールの中身が散らばっている。今の自分にあるのは、たったこれだけだ。
(居場所が欲しくて、俺はここに来た。俺を見つけてくれた玖楼の役に、少しでも立ちたかったから)
だが、認識が甘かったのだ。この寮にいるのは、みな他者を傷つけた者達。クロワの覚醒条件は『過去に人を殺したことのある少年少女』だ。だから……。
要はおもむろに携帯電話を拾い上げ、慣れぬ動作で通話ボタンを押した。数回のコール音の後、低い声が耳朶を叩く。
『はい藤沢。……要かな? 君が電話してくるなんて、何かあった?』
通話に出たのは要の養父だった。彼の携帯にかけたのだから当たり前だが。要は自分が言葉を用意していなかったことに気づいて、視線を泳がせた。
「ちょっと……。玖楼は今どこに?」
『国ぼ──出張先にいるよ。夜までには風間町に帰る。そっちはどう? 上手くやれそう? 寮生はみんなクセがあるからなぁ」
「ん、それは平気」
「それは良かった。…………なんだか声に元気がないけど、どうかした?』
「分かるのか?」
『そりゃあ着任歴二週間弱とはいえ、いちおう君の父親代わりだからね』
「そっか」
自信満々の声に要は微笑む。胸を張る養父の姿が目に浮かぶようだった。
息子の言葉を待つ玖楼に、要は悲しげに笑って告げる。
「俺は本当に、誰かを殺したんだな」
電話口で玖楼が口をつぐむ気配がした。
記憶はない。自分について覚えていることは何もない。だが確かに、要は誰かを殺した。そうして要にはクロワの適性が芽生えたのだから。
加害者となった少女の話を聴いて、ようやく自覚が芽生えた。
自分で口にした事実は要の胸に、重くのしかかる。
◇ ◆ ◇
紗枝が早めに一階へ降りるとすでに、夕食前だというのに寮生の大半が集まっていた。
「あら、みんな早いのね。一年生以外は全員いるじゃない」
呼びかけると三人が振り向く。同じフロア、向かい合ったソファーに座っていても、みんな別々のことをしている様子はどこか寒々しい。
だが二年間この寮で過ごした紗枝には、それも慣れた光景だ。
「一年生は?」
紗枝の問いに千夜が率先して答える。
「宇賀君は夕食の仕込み、桐埜は今日見てません。たぶんまた部屋に閉じこもってます」
「そう。でも学校には行っているんでしょう? 桐埜ちゃんもお腹が空いたら出て来るわ。桐埜ちゃんいい子だもの」
「そう言える紗枝先輩は大物やんな……」
「何か言った?」
「いいえ、何も」
紗枝が首を傾げると、千夜は苦笑いして目を逸らしてしまう。隣の啼臣は相変わらずの仏頂面だ。二人がロビーで過ごしているのは珍しくない。だから紗枝は、稀にしかお目にかかれないものへと視線を向ける。
「諫戸くんがこの時間にいるのは珍しいわね。どうかしたの?」
隣に腰かけて顔を覗くと、雑誌をくっていた諫戸が暗い金髪をゆらして紗枝を見返す。彼はいつものように、目の端に他者への拒絶を漂わせてぼそり呟いた。
「新入りの様子はどうだ」
どうやら彼がここにいる理由はそれのようだ。諫戸の調子を心得ている紗枝は、その質問を二年生へ繋ぐ。
「今日一日、要くんはどうだった?」
その問いが来るのをある程度予想していたのか、二人はすぐ思い思いに口を開いた。
「そうですね。人当たりは良いですよ。一般生徒とも挨拶しとったし」
「授業態度、立ち振る舞い、素行共に問題はない。むしろバカ面で気の抜けていることが多い」
「あー、ぼぅっとしてることは多かったですね。授業中に空見上げとったし。なんてゆうか、ほんと普通の男子高校生って感じ」
「同意だ。一般生徒と見分けがつかない。凄みもなければ覇気もない。まるで自分の立場を分かっていないようだ。フンっ、よほどの間抜けか、大物かだな」
啼臣が嘲笑するように鼻を鳴らす。それに諫戸が鋭い視線を向けた。
「大物?」
啼臣が肩をすくめる。
「つまり頭が空っぽか、おれたちとは次元の違う大量殺人鬼かだ」
途端に空気が固くなる。女子二人がテーブルを挟んだ対角線上で目を合わせ、冷や汗と共に口角をひきつらせた。
「そりゃ、さすがに……ねえ先輩?」
「ええ、ないんじゃないかしら」
「おれは主観を求められたから答えただけだ。本当のところなど分からん。ただ、おれの勘だと二桁は殺っている。そうでなければ、わざわざ多忙な指揮官たる藤沢玖楼が養父を買って出るものか」
啼臣の言葉には一定の説得力があった。全員が階段のほうへと目を向ける。正確にはその先にある要の部屋へだ。
例年にない、中途半端な時期にやって来た新しい入寮生。それだけでも警戒の対象に相応しいというのに、当の本人がアレだ。余計な勘ぐりもしたくなる。
丁度その時、パンツ一丁のまま段ボールを漁っていた要は、自分が話題に上がっていることなど知る由もなかった。




