小さな希望の発見
小鬼のゴブリンは、俗に妖魔に分類される妖精の一種だ。
ゲームの王冠物語にも、序盤の敵性Mobとして登場している。
性質は野蛮で暴力的。
体格は人間の子どもほどで、身体能力は一般的な成人男性とほぼ同等。
肌は浅黒く、尖った鼻と耳、大きな目と頬まで裂けた口に鋭い牙を持つ。
毛皮や植物の粗末な服をまとい、木や石の道具を作成して扱う程度の知性がある。
ゴブリン語という独自の言語を持ち、様式的な行動を取る文化性も有している。
妖精なので、特定の条件の揃った環境があれば自然に発生する。
寿命が短く世代交代が早いので、発生後はかなりの短期間で勢力を拡大する。ただ社会性は低いので部族社会の形成が限界であり、文明を持つまでには至らない。限界以上に拡大してしまった集団は自身を維持できずに自壊するので、人類に比肩するほどの勢力に成長することはない。
他の特徴として、亜種の多様さがある。同じゴブリンという名であっても、全く異なる種といってよいほどの差異があることも珍しくない。極めて例外的ではあるが、高い知能と長い寿命を持ち、高度な魔法を操るゴブリンも存在する。
ゴブリンは人類にとって、とても身近で一般的な脅威である。
人間から見た場合のゴブリンの最も恐ろしい点は、その絶妙な強さにある。
先にも述べたように、ゴブリンは人間よりも小さく、力も同等だ。その事実が、一般人でも対抗できるという誤解を生んでしまう。確かに見通しの良い明るい環境で人間とゴブリンが正面を向き合い一対一で戦うのであればそれも可能だが、現実にはそんな状況はありえない。
ゴブリンによる被害の大半は、素人が自力で対処しようとして被害が拡大するパターンである。
どうしたものかと、アンカルヤは頭を悩ませた。
巣にゴブリンの姿は見えなかったが、放棄された様子はない。明らかに現在も使用されている気配がある。
ゴブリンがいないからといって、不用意に近付くのは危険だ。
かといって、無視するのも賢明なことか疑わしい。
とりあえず周囲にゴブリンの気配がないことを確認して、可能なところまで近づいてみることにした。
罠や警報を警戒しながら、慎重に巣に接近する。ゴブリンが住処に罠を設置することは滅多にないが、それでも注意するに越したことはない。
そして何事もなく、拍子抜けするほどあっさりと巣の入り口まで到達してしまった。
太く大きな木の根元に、枯れ草や動物の毛皮を重ねた寝床が九つ。一つは他のものよりも一回り大きく、一つは使われている形跡がなかった。大きな寝床は集団のリーダーのもので、使われていない寝床は何らかの理由で死んだ個体のものだろう。つまり計八匹の集団だ。
基本的にゴブリンは夜行性なので、昼間に巣を留守にするのは不自然に思える。
しかし彼らは意外と個性の差の大きい種族である。ゴブリンならばこう行動するだろう、という思い込みは危険だ。夜型の人間がいるように、昼型のゴブリンがいても何もおかしくはない。
どうやら、この巣の群れは日中に活動するタイプのようだ。
そして大切な住処を見張りも置かずに留守にしているのは、リーダーの支配力が目の届かないところにまでは及んでいないということだ。
群れの統率や規模から見て、おそらくまだ若い集団だ。
他に確認しておきたいのは、彼らが使用している道具類だ。これを調べることで、この群れの知的水準を推察できる。
巣の内部には食い散らかした果物や木の実、動物の骨が散乱していた。骨にこびりついた腐肉には、蛆と蝿がたかっていた。
それらの放つひどい腐臭に、アンカルヤは端整な顔をしかめた。
そして呼吸を最低限に我慢しながら、巣の様子を観察する。
木の枝を削った槍に、石を研いだナイフ、尖った石を植物の蔓で木の棒に巻き付けた斧。まだ作りかけのものや、破損したものが、巣の中に無造作に散らばっている。
火と弓を使用している痕跡がないことは朗報だ。
稀に火や弓を扱うゴブリンがいるのだが、これらの運用が可能なレベルにあるゴブリンの群れは、戦術的にかなりの脅威なのだ。
「さて、こんなものか」
情報を手に入れたら、長居は無用である。
何時、この巣の主が戻ってくるかもわからないのだから。
それに匂いの問題もある。
ゴブリンの鼻は人間よりは鋭敏だが、犬には遠く及ばない。
アンカルヤの匂いに気づかれることはまずないだろうが、それでも長居して巣に人間の匂いを残すのは宜しくない。
だが問題は自身の匂いよりも、むしろ巣に充満する悪臭の方だ。耐え難かった。
速やかに巣を後にしようと振り返った所で、視界の端に白く小さな光が反射した。
「ああ、どうしてこういうタイミングで、そういう物を見つけてしまうかなぁ?」
それは中頃でポッキリと折れた、金属製の短剣だった。
巣を立ち去るのは、もう少し後になりそうだった。
ゴブリンが文明を持つに至らない理由に、彼らの社会性の他に寿命と言葉の制限がある。
彼らの寿命は短く、高度な技術を身につけるには足りない。そしてゴブリン語には文字がなく、語彙はとても少なく、集団ごとの方言に別言語レベルの差異があるため情報の共有に限界があり、世代間での知識の継承が困難だ。
つまりどういうことかというと、ゴブリンは冶金の技術を持っていないのだ。
そのゴブリンの巣に、金属製の武器があるという事実は無視できるものではない。
アンカルヤは折れた短剣を手に取ろうとして、しかしその手を止めた。
巣の状態に手を加えるのは不味いだろうと、思い留まったのだ。
ゴブリンは金属加工の技術を持たないが、彼らが金属製の武器や道具を手にするのは、さほど珍しいことではなかった。
人間から入手するのである。
問題は、どういう経緯でゴブリンの手に渡るかだ。
信用という概念を理解できないゴブリンを相手に、商取引は成立しない。なので入手は売買以外の方法となる。
残る手段は奪うか盗む、もしくは拾うだ。
折れた短剣は表面に薄っすらとサビが浮いているだけで、まだ新しい物のようだった。ゴブリンの手に渡ったのは、最近のことだろう。
この短剣が人間の所有者からどういう経緯を経てゴブリンの手に渡ったかは、あまり想像したくないことだった。人間の所有物がゴブリンの手に渡るというのは、大抵の場合ろくなことではないからだ。
だが何よりも重要なことは、この折れた短剣が人間とゴブリンの接触を指し示す具体的な証拠であるということだ。
人間の存在の痕跡がある以上、ここは無人島ではない可能性が高い。
それを確認できただけでも、危険を犯してこの巣を調査した甲斐があった。
「何にせよ、この群れの縄張りが人間の活動範囲と重なっていると知れただけでも僥倖だ」
アンカルヤがゴブリンの巣からこれだけの情報を得ることができたのは、キャラクターである彼女の知識のおかげだ。
『彼』のゲームの知識だけでは、ここで他の人間が存在する可能性に気付くことはできなかっただろう。
「――アンカルヤの記憶のおかげか。彼女には助けられてばかりだね」
そしてアンカルヤは、足跡を残さないように気をつけながらゴブリンの巣を後にした。