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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
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一日目・2

 アンカルヤは基本的に文明の領域を活動範囲としている。

 このような未開の森林での行動は専門外で、知識も経験もなかった。周囲の木々を見ても、「松かな? 杉かな? それともオークかな?」といった程度である。


 森の中の移動は、彼女の想像を遥かに超える困難であった。

 安定した足場などどこにもない。無造作に転がっている大小の石、落ち葉に隠された凹み、地面からはみ出している木の根、濡れて滑る腐葉土などに足を取られ、何度も転びそうになった。

 足元の状況を確認するために下生えを払おうにも、刃の小さい片手斧ではナタのようにはうまくいかない。


 とりあえずの目標は、この森からの脱出か、テントが設置できそうな場所を見つけることである。

 しかし致命的なことに、どの方向に進めばそれらの目標が達成できるのか、アンカルヤには皆目見当がつかなかった。

 つまり彼女は自分の勘だけを頼りに、森の中を闇雲に彷徨い歩いているのだ。

 無謀もいいところであった。

 すでに最初の窪地を後にして、かなりの時間が経過している。

 だがどれだけ森の中を進んでも、周囲の景色に変化は見られない。相変わらずの木と草と地面だ。

 まさか、同じ場所をぐるぐる回っていたりしないだろうか。

 思わず泣き言を漏らしそうになるのを堪えながら、さらに一時間ほど森の中をさまよったところで、彼女は初めて自分以外の生き物の姿を確認した。

 幸運にも、それは危険な肉食動物などではなく、大人しそうな二頭の鹿であった。

 両者の間はかなり距離が開いていることもあってか、鹿たちはアンカルヤの方を特に警戒する様子もなく、呑気に鼻で地面をつついている。おそらく落ちている木の実か何かを食べているのだろう。

 それを見て、アンカルヤは食料確保の問題に思い至った。

 早々にこの森を後にして人里にたどり着かねば、森の中で食料を探す必要に迫られることになる。

 まあ、無理な話だ。

 彼女には、食べられる植物と食べられない植物の見分けなどつかない。植物が食べられないなら、菌を食べればいいじゃないと言いたいところだが、素人が野生のキノコに手を出すなど論外だ。

 クロスボウを持っているので、鹿を狩ることは可能かもしれないが、できるのはそこまでだ。彼女にとって肉とは肉屋で購入するものであり、狩った鹿を食肉に変える方法など知らない。精々、血を抜くとか水につけるとかいう話をどこかで聞いたような気がするという程度である。


 この問題も、テントの機能が予想通りのものであれば解決するのだが、この状況で自分に都合のいい期待を抱くことは、それを裏切られたときの心理的ダメージを考えると躊躇われた。






 人間は慣れと学習の生き物だ。

 それはアンカルヤも例外ではない。

 こうして森の中をさまよい歩いていれば、拙いながらも森を歩くコツのようなものも掴めてくる。

 まだまだ順調とは言い難いが、最初に比べれば足取りも随分とましになっていた。


 テントが設置できそうな場所を見つけることは、そう難しくはなかった。

 実際、アンカルヤはこれまでに何度かそういう場所を見かけていた。

 いくら平らな地面の少ない森の中であっても、小さなテントを一つ設置するくらいのスペースはあるものだ。

 だがアンカルヤはテントの設置よりも、日が沈むまでにこの森を出ることを優先して行動していた。森の中での野営は、できれば避けたかったからだ。

 しかし、そうもいってはいられない気配が漂い始める。

 空を見上げると、薄曇りの空は随分と暗くなっていた。

 夜の足音が聞こえる。

 しかし、どこまで進んでも森が途切れる気配はなかった。

 木に草に、デコボコした地面。そればかりである。

 この様子では、日没までにこの森を脱出することは不可能だろう。

 アンカルヤは優先目標を森の脱出からテントの設置に切り替えた。


 程なくして、アンカルヤはテントが設置できそうな、ある程度開けた平らな地面を見つけることができた。

 今ならまだ、夜を迎える前にテントの設置を終えることができそうだ。

 アンカルヤは背負っていたバックパックを地面におろし、括り付けてあったテントセットを取り外す。

 そしてテントの設置作業を始めてすぐに、彼女は奇妙な違和感を覚えて首をひねった。

 おかしい。

 彼女の記憶なら小さなテントの設置など、ものの十分もあれば完了する作業だった。

 しかし何故か全く要領が掴めない。

 慣れた作業のはずなのに、まるで知識としては知っているが実際に作業を行うのはこれが初めての様な奇妙な感覚に、ペグを打つ手もおぼつかず、結局のところいつもの三倍近い時間をかけてテントの設置を終えた。


 西の空は薄暗く、東の空はすでに夜であった。

 本当にギリギリだった。ギリギリで間に合った。

 しかし、気を緩めるのはまだ早い。

 むしろ本番はこれからだった。

 このテントの機能の確認である。


 外見だけを見れば、何の特徴もない平凡なテントである。

 中にベッドロールを一つ設置すればそれだけでスペースが全て埋まってしまうような、小さなテント。

 そう、外見だけならば。

 重要なのは、その内部だった。

 アンカルヤは小さく一呼吸を置いてから、意を決してその内部を確認した。






 テントの入り口を開くと、そこには驚くべき光景が広がっていた。

 どう見ても、テントの外と内のサイズが釣り合っていない。

 人一人が横になるのがやっとといった外見に反し、その内部には二階建ての民家がまるまる収まるくらいの広々とした空間が広がっていた。


 エンチャントテント。

 付呪といわれる、魔法の効果を品物に付与する技術を用いて作られた魔法のテント。

 それが、この一見何の変哲もない小さなテントの正体であった。


 付与されている魔法の効果は、内部空間の拡張だけに留まらない。

 ちゃちな見た目に反して、テントの強度は石造りの城塞に匹敵する。並の嵐程度ならばびくともしないし、攻城兵器の直撃でも受けない限り破壊されることもない。当然、野犬や熊などの野生動物がどうこうできるものではない。

 つまりこのテントの中ならば、極めて高いレベルの安全が確保できるということだ。


 アンカルヤは安堵のため息を吐いて、テントの中のソファーに腰を落とした。

 不慣れな森歩きの負荷からようやく開放された両足が、ジンジンと痺れていた。

 テントの内部は、ランタンの光に淡く照らし出されている。このランタンには、何年もの間消えることなく燃え続けている魔法の火が灯っていた。

 ソファーの側に設置されている薪ストーブが、時おり薪の爆ぜる音を奏でながら周囲の空気を温めている。

 コンパクトな簡易キッチン。

 パーティションで区切られたバスルーム。

 錬金術に使用する作業机、調合用の各種機材、薬品類の保管棚。

 ロフトの上には天蓋付きのベッド。

 テントの奥に置かれている数個のチェストは、全て付呪によって収納容量が拡張されている。まだ確認はしていないが、その中には大量の物資が収められているはずだ。特に食料の備蓄は優に数年分に達する。節約すれば、かなりの長期間を食いつなぐことができるだろう。

 テント内にはポンプ式の井戸も設置されているので、水の確保についても問題はない。さすがにそのままでは飲めないが、一度沸騰させるだけで飲用可能だ。

 唯一不安があるとすれば、暖房などに使用する薪のストックくらいだ。しかし、それも大量にある食料の貯蔵と比較しての話で、今日明日に不足するということはない。

 そもそも、ここは森の中である。きちんと加工された薪ほどの質は期待できないが、いざとなれば燃料用の木材の確保は難しいことではない。

 こうして当面の安全と食料の確保という最優先の課題は、あっさりと解決を見たのであった。






 最も重要な問題が解決したことで、今まで目をそらして考えず、棚上げにしていた様々な問題が再びアンカルヤに伸し掛かってきた。

 さて、どの問題から確認するか。問題が選り取り見取りの選び放題である。

 彼女はしばらく考えた末、安全と食料の次に優先度の高いと思われる問題について確認することにした。

 それは他ならぬ自分自身の体についてだ。


 ロフトに繋がる階段はしごを登り、ベッド脇のサイドテーブルから手鏡を手に取る。

 鏡の中には、美しい女性の姿が映っていた。

 セミロングの灰色髪。キリッとした薄紫の瞳。当の本人が思わず見とれてしまうほどの、整った顔立ち。

 ぱっと見の印象としては、少女というには大人びていて、女性というには幼さが残る、ちょうど大人と子供の中間といった年頃に見える。


「やはりか。自分の手足、声、身に纏っている服装。まさかとは思っていたが――」


 その容姿に相応しい凛とした美しい声が、淡く桃色に色づいた唇から紡がれた。


「ああ、やはり私は、アンカルヤになっていたのだな」


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