【出発準備】
【二〇一六年 二月】
「お世話になりました! 三月いっぱいでやめさせてください!」
「……どうして、今?」
「前々から自転車旅行したいと思ってたんですが、我慢できなくなりまして」
俺の名前は八十 四朗。もちろんバリバリの偽名だ。
何年も通い詰めた職場の小さな事務所での宣言は、我ながら良い笑顔で云えたと思う。
ちょいとばかし膝が笑ったが、まあ仕方ない。
「……疲れちゃったんだね」
すごく可哀想な物を見る目で言われたが、気にしないでおこう。
「有給溜まってるから、一か月くらいだったら辞めなくても旅できるけど」
「いえ、一か月じゃ足りないんです」
「どこまで行く気なの?」
「日本一周です!」
またまた我ながらすごく良い笑顔で云ったと思ったが、そのときの上司の【あ、ダメだこりゃ】という表情は忘れられない。
仕事は出来ていたと思う。頑張っていたし、向いていたとも思うし、会社の役にも立っていただろう。
引き留められたし、勤めようと思えばもっと長く、でも良かったかもしれない。
「私が親だったらそんなことするなって云うけどなァ」
「ダメだったら戻って来ていいから」
「頑張って下さいね」
「長い間、お疲れさん」
同僚には口々に言われた。
辞めると決めた日、風呂の中で、なんでかは知らないが泣いた。
嫌なことや失敗も多く、仕事のわりに給料は安いと思っていた。
ただ、それでも大事な人や思い出もたくさんできて、俺を育ててくれた場所だったように思う。
色々な人に支えられていたんだなと思う。さらば。
んで。
有給は本当に溜まっていたらしく、三月一杯休日となり、二月二九日まで勤務し、翌月は有給消化で形だけ所属していた。
【三月】
調べることがあった。
まず、無職で長期間過ごすということで失業保険という制度に調べてみた。
無職期間中に生活を保持できるようにする制度らしく、貰えるなら貰おうと思った。
が。調べてみると二週間に一度は転職活動をしなければならないらしい。
日本一周中にそんなことができるわけもなく、貰える金額とこの活動に拘束される時間を考えると現実的ではなかった。
早く旅を終えて、早く就職活動をした方が良いという結論。
そしてもうひとつ、就職活動前に調べる物として高卒認定が有った。いわゆる大検。
もちろん、既に高校を卒業しているなら不要だが、八十と言う男は中卒のまま就業しており、持っていなかった。
離職も有り、せっかくだから旅の途中で取得しようと思った。
次の仕事で使うかもしれないし。
よく勘違いされることだが、これを取っても高校卒業にはならず、あくまでも最終学歴は中卒。
大学に行く気はないが、『やるだけのことをやっている』ということで評価してくれる企業も増えているので、再就職をしやすくするための取得。
人生でほとんど勉強らしい勉強をしたことが無い人間なので、これがどれも斬新。だが。
重い。
いや、本当に重い。
A4サイズの本を八教科分。
どれくらいデカイ本なのか知りたい人は高卒認定ワークブック、というのを書店で探してみて欲しい。
重すぎる。人生の重さと同じだなァ……いや、そんなボケとかじゃなく、物理的に。
「え、それ、全部持ってくの?」
「おう! 全然分からないからな!」
「……それ、途中で捨てながら旅するの?」
「暗記したら捨てるけど、まー、無理じゃね?」
知人と会話していて驚かれるレベル。
中卒なので八教科を受験する必要が有るが、それぞれに参考書が一冊以上。これだけで二キロくらいあり、とても嵩張る。
英語なんかアルファベットから怪しいので、数冊。
ママチャリに取りつけるサイドバックがひとつで大体五キロで左右ひとつずつだが、片側は本だけで埋まった。
前カゴに入れる雑多とした荷物が二キロくらい、そしてテントが四キロ、俺が背負うリュックも五キロ、都合二十キロくらい。
全装備の少なくないパーセンテージが教科書とマップ。
我ながらイカれてますが、イカしているとも思います。一文字違いです。
そんなこんなで、三月は装備をそろえるのに奔走していた。
有給の消化期間なので一応就業中。
四月になって無職になったら国民健康保険・国民年金への移行を済ませてから旅に出る予定で奔走。
しかしながら、旧職場から離職票が届かないという事態が発生。
問い合わせをしてみても要領を得ず、国民健康保険は離職から二週間以内じゃないといけないんだが! とやきもきする時間。
が。
後々になってみて判明したこと。
離職票は単純に最後の給与明細書と送るためにその日に合わせていただけ。
そして国民健康保険も二週間以内じゃなくても別にペナルティもなかったりした。
ヤキモキしながら、ただゴロゴロしていた。
だが不思議と、今考えても無駄な時間だったとは思えない。
前職は充実していたが徹夜有り・薄給・サビ残有りと、まあまあ過酷な環境。
俺のメンタルには、この期間が必要だった。そんな気がする。
【四月十四日】
というわけで、離職票を片手に役所へ。
てっきり国民健康保険は後で郵送されると思っていたが、当日、その場で発行してくれた。
これなら明日には出発できる。待たせやがって!
この日は前もってチケットを取っていた野球観戦へ。
仙台市民なので捻りはないが俺はイーグルスファンなのだ。
先発した新外国人が打たれて負けるという事態だが、いつもと違ってブチギレることなく、余裕が有った。
明日からは、したいことをたっぷりしよう! 行きたい所へ行ける! そんな余裕が有ったように思います。
が、矢先、帰宅後に熊本の震災を知った。
映像を見ていて、東日本大震災のトラウマがフラッシュバックした。
フラッシュバックという言葉を初めて実感した。
映像と体験が体に蘇った。俺は仙台育ちで東日本のときはしっかりと被災していました。
今は俺にできることはない、今日は寝るしかない。野球で敗戦したショックは立ち消えていて、俺は茫然と眠りについた。つくつもりだった。
「……あれ、歯、痛くね?」
奥歯が、痛い。めっちゃくっちゃに、痛い。
ここまでの流れで野球も震災も何も関係ない、唐突なタイミング。
創作だったら、こんなタイミングでなんで被せるんだよ、という意味不明さだが、事実だから仕方ない
震災と歯痛にガンガンと締め付けられるようなストレス。またも出発は中断された。
【四月十七日】
歯医者の予約を取り、診察。
どうやら短く生えていてハブラシの届きにくい位置、左上の親知らずが真っ黒になっていたらしい。
被せ物をしても再び悪くなる可能性も有り、それこそ旅先で再び居たくなると深刻な事態になりかねないため、抜いてもらう。
「抜いたあと、血が止まらなかったり、薬を飲んでも痛みが治まらなかったら、連絡下さいね」
「はい、ドーモー」
位置が良かったのか、歯科医の先生の腕が良かったのか、抜歯も傷もなんともない。
ただ、なぜかアゴが痛い。
検索してみると抜歯後のよくある症状らしく心配はしていなかったのだが、これはこれで眠れない。
その後、アゴは治ったが、抜いた側の頬や舌に口内炎。痛い。地味に痛い。
口内炎なんて十年くらいできていなかったが、歯を抜いたせいでバランスが変わって噛んでしまうらしい。
慣れれば大丈夫らしいが、痛いもんは痛い。
で、この頃になると募金が整いだすので、ネットから熊本へ募金を行う。
この辺りの話はツイッターで細々と言っていたし、本題とは関係ないので割愛する。
災害時に一番無駄が生じないのが信頼できる募金先への募金だと思う。
他のケアももちろん必要だが、俺のできることで一番効率的に熊本の役に立てる、ということでこういう形になった。
自粛してもしょうがない、今旅をやめたらそれこそ一生の後悔である。
【四月二四日】
最後の虫歯を治すために歯医者へ。
今回は削って詰めるだけなので、普通に一回で終了したが、そこで驚愕の発言が飛んでくることになる。
「今回で終わりですよね?」
「いえ、あと最後の点検と歯石取りが有りますので、そこで問題が無ければ次回で終わりです」
「あー、そうなんですかー。じゃあできるだけ早めで」
「希望の曜日や時間はございますか」
「ありません。できるだけ早い日付でお願いします」
「分かりました。それでは…えー…五月七日になりますね」
……ん?
「すいません、今日って何日でしたっけ?」
「四月二四日ですね」
「で、最速が?」
「五月七日です」
「( ゜Д゜)」
とどのつまり、俺は毎日夏休みだが、ゴールデンウィーク休みとダブってしまった。
最速では退職日である四月一日に保険証を発行していた場合、四月二日には出発できたはずの俺の日本一周は最初から一か月間の頓挫をしたという経緯である。
結果的には旅先で虫歯治療をせずに済んだだけ良かったのだが、幸先が悪いと言わざるをえない。
とにかく、出発は五月八日になったりした。
冒険、始まります!