一人、想う
今日の格言:運命なんざ死人の言い訳だ。
俺たちを決めるのは運命じゃねえ。
俺たち自身の、あがきだ。
――――フェリア王:バジーリオ
人は、時折「もしも」の世界に思いを馳せる
もしも、あの時、違う結末になっていたら
実際の世界を変えることは出来なくても
自分の空想の中の世界であれば、いくらでも作り壊すことが出来る
いうなれば、人にはそれぞれの世界を持っていて、現実をより自分の世界に近づけようと頑張っている
けれども、あまりにも行き過ぎた空想の世界は、結局は「現実離れ」に過ぎない
信長が本能寺で殺されず、天下を統一したり……
ナポレオンがワーテルローで勝利したり……
未来から超人的なヒーローがやってきて、南北戦争で南軍を勝利に導いたり……
どれも可能性は無かったとは言えないが(さすがに三番目はほぼゼロに近い)
過去に起きたことは決して変えることはできない
変えることが出来るのは、未来だけ
しかしその未来すらも、過去の姿によってある程度決まってしまう
だからこそ人は「もしも」の世界に思いを馳せる
自分たちはできたはずだ
彼らは成し遂げられたはずだ
不可能なら不可能すら捻じ曲げてしまえばいい
人がそれで満足するのなら
その日、三日月和壬は、教室の電気も点けず、窓から差し込む夕日を明かりにしながら、1人読書に耽っていた。
本のタイトルは『Pacific War』――――直訳すると『太平洋戦争』とでもいうのだろうか。近年、アメリカ連邦で発売された人気の『架空戦記』である。
「第一次大戦はアメリカの介入で協商国の勝利…………英国と帝国を仲違いさせ、孤立無援となった帝国を徹底的にたたいて、最後は新型爆弾を帝国本土にお見舞いする……か。なんともまぁ、連合国のご都合主義満載だこと」
終盤まで読み進めた和壬は、一旦本から視線をはなし、思いにふけるように中空を仰ぎ見た。
「確かに第一次世界大戦でアメリカが協商として参戦すれば、協商は確実に勝利した……かもしれない。そしてあの最悪の『不況』もなかったかもしれない。けど、いくらなんでも敵である大日本帝国と英連邦がおバカすぎるんじゃないかな。だいたい敗北寸前まで追い詰められ、竹槍で武装させた民兵で本土決戦だなんて……余程作中の政治家が無能だったか……あるいは外交に疎い作者が悪いのか…………まるで実際の歴史を見てきたかのようなリアルさがウリって聞いていたけど、期待外れだ」
特別な伝手を辿って、ようやく手に入れた敵対国家の本、それもベストセラーの架空戦記だった。
ひょっとしたらどこかに参考になりそうな戦術や戦略が書いていないかと期待したものだ。
確かに初めまでは冷静な分析に基づいた「もしも」が展開されていたが、「本来の歴史」から完全に外れた後は散々だった。
特に自分の祖国――大日本帝国の扱いがひどすぎる。
政府や軍人はことごとく無能揃い。外交のかじ取りを誤るのは日常茶飯事、戦争は完全に弱い者いじめというあんまりなものだ。
「ん~……だけどこの作品が大衆に広く受け入れられているってことは、それだけあの国の恨みが凄まじいってことなんだろうな。あーやだやだ、僕は戦争反対だ。戦争が起きるなら、僕が死んだ後にしてほしいな」
「おい和壬! 軍人が戦争反対してどうする! つーかまだ残ってたのか」
「おっ、おっと! 一澄~、いるならいるって言ってよ、心臓に悪い」
和壬の背後から突然威勢のいい声が聞こえた。彼が慌てて振り返ると、そこには見慣れた親友の姿があった。千住院一澄――――同期にして同じ読みの名前の親友、そしてライバルの男だ。
「僕は18:00に進路指導室に行くんだよ。名木城先生から実技終了後に直接「来い」っていわれてね」
「そっか、それはご愁傷様。遺書は書いたか?」
「遺書ならいつも部屋の机の中に…………って大げさすぎるっての!」
「じゃあなんで呼び出されたんだ?」
「なんでだろうね?」
「けどよ、あの『人殺し先生』直々の呼び出しなんて、普通生きた心地しないぞ」
「そうはいっても悪いことした心当たりないし。ま、なんとかなるでしょ」
「お前は本当に楽観的だなぁ。神経の太さだけはお前に勝てる気がしないぜ」
実は和壬、このあと校内最恐と知られる名物先生に呼び出されているのだが、まったく恐れの色はない。
親友の一澄は彼の身を心配するが、和壬はどこ吹く風だ。
「そんなわけで、たぶん今日は夕飯の時間までには戻れないかもしれない。下手すれば就寝時間ぎりぎりかな。鍵は閉めないでおいてね、あと遺書は机の中だから」
「お前な……。ま、どうせ明日は休みだ。ゆっくり説教でもなんでもうけてくるといい」
「悪いねー。さて、そろそろ時間かな」
和壬が教室の時計を見ると、針はすでに18:00五分前を指していた。
彼は席から立ち上がり、今呼んでいた本をカバンの中に入れようとする……
「お、そういえばお前、何の本読んでたんだ? 英語で書かれていたみたいだが」
「あ……これ? ほら、例のアメリカ連合国で流行ってるって噂の」
「わざわざ手に入れたのか、物好きだな」
「まあね、もっとも今は買ったことを若干後悔してるけど」
「ふーん…………あまりいい内容じゃなかったのか。だが、若干気になるな。よかったら今貸してくれないか?」
「まだ全部読んでないからちょっと……。それに、どうせ君は明日デートなんでしょ。彼女と読む気?」
「何でわかるんだよお前は……」
「ははは、何年君の『親友』やってきたと思ってるんだい? 君と僕はずっと以心伝心、違うかい?」
「ふっ、その通りだな」
三日月和壬と千住院一澄…………方や平民、方や歴史ある華族という差はあるが、お互いに名前が同じだっただけで入学以来すっかり意気投合した。それ以来何があってもこの二人は常に息がぴったり。さらに二人とも成績優秀だったため、学校の名物コンビとして名を馳せている。
ただ、そんな二人にも近く別れの日が来るかもしれない。
彼らは最高学年……そして今はこの学校で過ごす最後の夏だ。
「それより和壬……時間が――」
「あ、まずい! あと3分だ! じゃあ行ってくるね!」
「じゃあな和壬、くれぐれも生きて帰ってこいよ」
「うん! またあとで!」
親友が突然訪ねてきたせいで時間ぎりぎりになってしまったが、廊下を走るのは厳禁。
和壬はまるで忍者のように、静かに早足で目的地「進路相談室」に向かった。
××××××××××××××××××××××××××××××
コンコンッ!
「失礼いたします! 三日月和壬、参上しました!」
「入れ」
「はっ!」
南校舎二階の片隅にある進路相談室。
この部屋は、全体的に特殊なこの学校の中でもさらに特殊な場所である。
冷暖房完備、防音壁に加え、この部屋の中では携帯やラジオの電波が妨害され、さらに盗聴防止付きという異常なまでに厳重なセキュリティーがなされている。
しかし、部屋の内装はいたって普通で、窓ガラスが防弾性なこと以外は、そこいらの学校の学生相談室といたって変わらない。机と椅子があって、壁にちょっとしたお知らせのプリントが張ってあるだけだ。
そんな部屋の中で和壬を待っていたのは、紺色の作業用軍服に身を包んだ、グラマラスな妙齢の女性だった。
「1秒違わず時間通りか。相変わらずの神経の図太さだな」
「お褒め頂きありがとうございます♪ああ、この部屋初めて入りましたけど、冷房が効いているんですね」
「まあな。何しろ完全な密室だ、空調がないと暑くて死んでしまう」
「……一般私学校はほぼすべての教室に空調が付いているご時世に、うちの学校はいまだについていないものですからてっきりお金がないのかと思いましたが、余計な心配でしたね」
「貴様…………『人殺し先生』の前で、よくそんな戯言が吐けるな。遺書の用意はしてあるか?」
「まあまあ教官、これは教官へのお土産です。これでも食べながらお話しませんか」
和壬は殺気を放つ美人教官を前に、臆することなく鞄の中から箱をひとつ取り出した。
箱の中身は…………羊羹だった。それも、そこそこ老舗のブランド品だ。
「ほう、おぬしも悪よの」
「いえいえお代官様ほどでは」
『はっはっはっはっは!』
そんなやり取りの後、教官――――名木城麗子。通称『人殺し先生』は、カズミに椅子に座るよう促す。
一見すると気さくな女教師にしか見えないが、彼女はれっきとした軍人であり、若いながら大尉階級を持っている。
気さくに見えるのは、三日月和壬と彼女の気が合うためであり、普段の彼女が生徒たちにどう見られているのか……通称で察してほしい。
「で、教官。こんなところに呼び出して、どんな御用でしょうか」
「ああそのことだが、三日月。本題に入る前に少し話をしよう。貴様にとって、今の世界情勢をどう見る? もちろん、軍人としての視点からだが」
和壬は自分が何か試されているのか、若干疑問に思いながらも、正直に自分が思った通りのことを述べることにした。こんなところでの話で評価を上下させるほど、目の前の教官は理不尽ではないだろう。
「世界情勢ですか…………第二次世界大戦以降このかた、各地で小競り合いは起きていますが、おおむね平和を維持しています。ですが、それは卵を積み重ねたよりも危ないバランスで成り立っています。きっと将来、この歪みを是正するために、再び人類全体を巻き込みかねない大戦争がおこることは確実でしょう。その大戦争が……僕が生きている間に起らないことを願うばかりです」
「まあ、おおむねその通りだろうな。正直な話、各国が平和を維持しているのは、各国とも問題を先送りにしているだけにすぎん。誰かが動けば…………それこそあっという間だ。この状況に関して、解決策はあると思うか?」
「………………解決するだけでいいのでしたら、どっか適当な小国にクーデターを仕掛けて、世界大戦の引き金を無理やり引くことが考えられます。ただでさえ世界各地に火種があるのですから、火をつければ燃え広がるのはあっという間でしょう」
「なるほど、童顔に似合わず強引だな」
「顔は関係ないと思うんですが……」
和壬はコンプレックスになるほどの童顔で、顔だけ見れば弱気で軍人には向かなそうに思える。
しかし、時折さっきのような「人としてそれはどうなの」と思えるような冷酷非道を平然と言ってのけることがあるから侮れない。
「ですけど………………それは完全に下策でもあります。軍人は国家を守るために戦うのですから、国家を敵にさらすために戦うなんてあってはなりません。それに教官、この問題を解決するのは僕たち軍人じゃなくて、政治家たちの役目のはずです」
「ほほう、貴様は軍人のくせに武力での解決を否定するのか?」
「だって教官、政治的に解決すればだれも死なないし、あまり恨みも買わないし、一石二鳥です」
「で、お前の言う政治的解決とやらで、具体的な問題解決はできるのか?」
「できます、たぶん!」
「たぶん、て……貴様な」
「簡単ですよ! この国がもっともっと豊かになればいいんです。そして経済力で圧倒して、敵を軍拡自爆に追い込めば、すべて解決です! あとは自由貿易という名の札束ビンタで、敵の経済力を鷲掴み、世界はもはや大日本帝国なしでは生きていけなくなったとさ! めでたしめでたし! …………どうです?」
「完全に夢物語だな」
「ですよねー」
だが、それでも和壬は根本的なところでは優しい人間だ。
考え方は現実主義的なのに、どうしても理想を捨てきれないでいる。
それが彼のいいところでもあるが、同時に欠点でもある。
「なるほどな、やはり貴様はそういう人間なのだな。これで確信が持てた」
「あの~…………なんか僕、呆れられてます?」
「そんなことはないぞ。ただちょっと貴様の本心が知りたかっただけだ。これでようやく本題に入れるな」
いよいよ本題に入る。その言葉とともに、麗子教官は膝を組むのをやめ、寛ぐようにソファーに凭れていた背筋を伸ばす。顔も先ほどの友人と談話するような温和な(それでも若干こわいが)表情から一変、真剣勝負……というよりまるで愛の告白をするような引き締まった表情になる。
その変わりように、カズミも思わず緊張のあまり体を一気に硬直させた。
「え、えっと……本題とはいったい?」
「単刀直入に言おう。貴様、軍大学に入る気はないか?」
「軍大学!?」
「どうだ、ハイかイエスかオーケー牧場かで答えろ」
麗子教官の言葉に、和壬は逆の意味で予想外の衝撃を受けた。
軍大学と言えば…………この国の国防を担う中枢を育成するエリート育成所であり、ある意味この国の最高学府ともいえた。
「答えろと言われましても、入る気があるかどうかで行ける場所じゃないと思うんですが」
「大丈夫だ。お前の学力だったら試験突破は不可能ではない」
「いえ、試験云々以前の問題で、一般市民の僕では試験自体受けられない…………」
「確かに入学する奴は大抵華族の出身だが、それはあくまで指揮官候補がそんな奴らばっかなだけだ。学校やお偉い方の推薦状があれば、身分など関係ない。
現に、一般からの卒業生も100人単位でいるぞ」
「それに入学金も…………」
「かかるわけないだろう。むしろ在学中は給料が出るんだぞ」
「………………」
和壬は、混乱のあまり頭を抱えた。
なぜ自分が軍大学を進路として勧められたのか、あまりにも不可解だった。
普通軍大学というのは、ある程度軍務経験を積んだ軍人が、さらに上を目指す場所であり、教育の場である大学とは訳が違う。そのため、予科練卒業後にいきなり軍大学へ入学できる人間は殆どいない。
よほど成績優秀か、あるいはコネでなければ……
その上平民出身となれば前例はほぼないに等しい。
その時、彼の脳裏にふと自分の半身たる親友の顔を思い浮かべた。
「教官! まさか一澄が……!」
「やはりそう思うか?」
千住院一澄の生家……千住院家はこの国でも屈指の格式を持つ華族であり、一族は何人もの将校を輩出してきた由緒ある軍人の家柄だ。
彼自身も幼いころから軍人としての教育を叩き込まれた、生まれながらの軍人だ。
そんな彼が学校に根回しをし、和壬の進路に介入してきたことは想像に難くない。
だが…………
「ハズレ、だ。あいつはこの件に関しては一切関与していない」
「なっ!?」
「それだけじゃない。今のところ学校が軍大学に推薦しているのは……和壬、お前だけだ」
「ぇええっ!?」
あらゆる面で自分の上を行く親友を差し置いて、自分だけが軍大学に推薦されたことに、和壬はさらに混乱し、狼狽すらしていた。
「どうした、喜ばないのか? いつも負けてばかりだったライバルに初めて勝つことができたんだぞ」
「勝ち負けの問題じゃありません! どうして僕だけを…………どうして一澄がいないんです!? そんなの理不尽じゃないですか! だって――――」
「自分より千住院のほうが……何もかも上だから、自分が選ばれたのが納得できないってか? 軍大学はな、ただ勉強ができればいいってもんじゃない。性格や功績……あらゆる評価がなされる。その結果、千住院よりお前の方が適性があった……それだけのことだ」
「そんな……」
(普通は自分が人より優れているとわかれば喜ぶものだが、むしろ困惑するとは……やはり『あの方』がおっしゃっていたことは正しかったな)
やれやれと、麗子教官は小さく頭を振ると、さらに畳みかけるように話を進める。
「貴様が立身出世や名誉を求めて士官学校に入ってきたのではないことは承知だ。だが、軍大学が…………いや正確に言えば参謀本部が貴様の才能をどうしても欲しがっている。そう『貴様自身の才能』をな!」
「……ますます意味が分かりません。一澄に比べて戦術でも個人戦闘能力でもあまりぱっとしない僕のどこがそんなに気に入ったのでしょう」
「はぁ…………またか」
「?」
麗子教官は、呆れたようにフゥと大きなため息をつく。
もはやこれ以上の話し合いは無意味だと悟ったのだろう。
彼女は強引に話を突き詰める。
「とにかく、これは貴様が尊敬するべき教官からの要請…………いや、もはや国家からの命令だ。三か月後、軍大学の第一次試験を受験しろ。本当は試験すらすっ飛ばして特別入学措置にしたいところだが、参謀本部はあまり変な前例は作りたくないとのことだ。言っておくが、試験で手は抜くなよ……我々には恥をかかせることになるんだからな」
「そんな無茶苦茶な……。ああもう、わかりました! そこまで言うのでしたら行きますよ軍大学! 後で予想以上に使えないからクビとか言わないでくださいね!」
「安心しろ。そうなったら私が責任を取って結婚してやるから」
「いや、それだとむしろ安心できn」
「何か言ったか?」
「いえなにも」
和壬のほうも、拒絶という選択肢はないことを理解したようで、教官からのお願いという名の命令に屈した。しかしながら、和壬はまだ納得したわけではない。いや、正確にはこのままでは納得することができない。
「その代り教官、僕のお願いも聞いていただけませんでしょうか」
「ああ、こちらも多少無理を言ったからな。できることなら何でもしてやろう、それこそ『何でも』な」
「そう言いながら軍服のボタンを外すのは止めていただけませんか…………お願いというのはですね、その…………僕だけじゃなくて、一澄にも……軍大学の推薦をあげていただけませんか?」
「……なるほど。いいだろう、考えておこう」
「考えるだけじゃだめです。一澄がいかなかったら、僕も軍大学には行きませんから」
もともと何のとりえもない和壬が、学年の次席に収まっているのは、ひとえに親友の千住院一澄がいたからであり……和壬は、あくまで自分の実力は一澄ありきだと思っている。
共に学び、ともに競い合う大切な親友がいるからこそ、自分の才能以上に頑張れる。
だから……和壬にとって、一澄のいない軍大学の生活など何の価値も見いだせないのだ。
「わかったわかった。貴様はやはり、なかなか強情だな。ただし、千住院にもきっちり試験を受けてもらう。そこで千住院が試験に落ちて、貴様が試験に受かっても、我らは何もしてやれないぞ」
「いえ、十分です。一澄にできなければ、僕にだってできはしませんよ。それに、一澄と一緒なら、喜んで軍大学に行かせていただきます」
「ったく、貴様は気持ち悪いくらい千住院にべったりだな。さては、貴様ら男同士でデキてるのか?」
「違いますよ! 僕はただ……!」
「はっはっは、やっぱり貴様はからかい甲斐があるな! まったく……本当に」
麗子教官は、ホモ疑惑を必死で否定する和壬を見て大笑いしていた…………が、その目は笑っておらず、どこか遠い目をしていたのを、和壬は見逃さなかった。
××××××××××××××××××××××××××××××
「失礼しましたー!」
「お、生きて帰って来れたか和壬!」
「一澄! 待っててくれたのかい!?」
和壬が進路相談室を出ると、すぐ目の前で千住院一澄が腕組みしながら待っていた。
すでに時刻は19:00をまわろうとしている。夏といえども、あたりはかなり暗くなり、廊下に点々とともされた明かりだけが照らすなか、彼は健気に親友を待っていたのである。
「何しろ名木城教官と二人きりだからな……どんな恐ろしいことが行われているか、気が気じゃなかったぞ」
「あはは、とんでもない。ちょっと進路の話をしてただけだよ」
「ふーん…………お前は俺と同じで、海外派兵組の志望だろう?」
「それなんだけどさ」
和壬は、廊下を歩きながら、先ほどの話をありのままに全部語った。
教官からは、あまりべらべらしゃべるなとは言われているが、この親友もどうせ一緒に軍大学に行く予定なのだから、何もかも話してしまっても構わないだろうと考えたのだろう。
「軍大学!? お前がか!?」
「うーん、僕も別にどうしても行きたいわけじゃないんだけど」
「いやいやいや! そういう問題じゃないだろ! どんだけすごいことかわかってるのか!?」
「分かってるさ。わかってるからなんで僕がって思うんだよね」
「…………」
和壬の話を聞いた一澄は、空いた口がふさがらなかった。
先ほども述べたように、士官学校在学中に軍大学への推薦が来るなど、異常事態である。
それは例えて言うなら、小学校卒業後にオクスフォード大学に入学することくらい珍事であり、本来であれば士官学校全体で祝賀会が開かれてもおかしくないレベルの出来事である。
しかし、そのような動きが全くないということは、どうも学校側がこの話を秘匿しているものと思われる。
「ねえ一澄、僕が思うに……参謀本部内の派閥争いに利用されてるんじゃないかな」
「……だろうな。昔ほどの門閥争いはなくなったとはいえ、軍のトップたちは結構仲が悪いからな。平民であるお前を引き込もうとしたんだろうよ。それにあの名木城教官は、参謀本部にコネがあるからな」
「まったく、何が才能を見込んで、だよ」
千住院一澄が言うとおり、この国の参謀本部は明治維新以来の派閥争いが今でも残っている。そのため、上層部同士が非常に仲が悪く、もし本格的な戦争が起きた際に、指揮系統の分裂を招く恐れが指摘されている。さらに、華族出身の軍人たちは、多かれ少なかれ平民出身の軍人を差別しており、両者の溝はこの国が亡びない限り埋まることはないだろうと思われる。
「で、結局お前は断ったのか?」
「…………いや、受けることにした」
「なんだと! この俺を差し置いてか!?」
「大丈夫だよ。教官には、一澄がいかないなら僕も行かないって駄々をこねてきたから。近いうちに君にも推薦状が来ると思う。楽しみにしててね」
「そうか…………ありがとう和壬。やっぱ持つべきものは親友だ」
「いいんだよ。本当は君が得られるはずの権利だもんね」
一澄は……自分の親友がいきなり大出世したことに、とても驚くと同時に、やり場のない怒りを覚えた。
和壬が自分にも推薦を回すよう嘆願してくれたと聞いて、胸をなでおろしたが、今度は別の意味で負の感情が湧いてきた。
(和壬より劣っているというのか……この俺が?)
「さ、そろそろ寮に帰らないと、夕ご飯無くなっちゃう。急ごう、駆け足!」
「あ……ああ!」
彼らの絆は、この先も決して途切れることはないだろう。
彼らはお互いがお互いを必要としている。
だからこそ、つねに「変わらない」友情を育んでいかなければならない。
そう、何があろうと……決して…………
一方、名木城麗子教官は、誰もいなくなった進路相談室で、一人コーヒーをすすっていた。
自分のカップに注いだコーヒーは、和壬と話しているうちに飲み干してしまった。
彼女が啜っているのは、緊張のあまり少し口を付けただけで放置された……和壬のコーヒーだ。
「困ったものだ…………以前から千住院への依存が強いとは思っていたが、ここまでとは。確かに三日月が持っていた潜在能力を開花させることができたのは千住院のおかげだ。だが……それが同時に三日月の枷にもなっている」
彼女は、三日月和壬のことを心から高く評価していた。いや、実際に彼の秘められた才能を見抜き、評価したのは、参謀本部に勤務する彼女の上官たちなのだが、一番身近にいる彼女だからこそ、最もそれが実感できるのである。
「いずれ三日月には、千住院と切り離す必要がある。そうしなければ、あいつはいつまでたっても自分の力を自分で見定めることができなくなる。気付いてくれよ、三日月……貴様は『二世』の地位に甘えていい人間ではない。いずれ、帝国の未来を……一身に背負ってもらうのだからな」
彼女はふと、壁にかかっている世界地図を見た。
『大日本帝国』
今や、環太平洋条約機構(Trans-Pacific Strategic Partnership Treaty Organization略してTPPO)随一の経済大国であり「協商の武器庫」と呼ばれる、英連邦を中心とする同盟圏の軍需供給の最大拠点。
皇紀二六七〇年 生化二十二年 西暦二〇一〇年
世界に平穏は、まだ訪れていない。
××××××××××××××××××××××××××××××
さて、読者の方々の中に、三日月和壬という陸軍贄浦士官学校在学の男性と面識のある方はいるだろうか。いや、絶対にいないはずだ。
なぜならば、あなた方の世界では…………第一次世界大戦で『ドイツが負けてしまった』から。
三日月和壬という人物は、決して生まれることがないだろう。
――――カイザーライヒ――――
皇帝が統治する世界帝国
無能な政府に失望した労働者たちの革命国家
皇帝に敗れながらも何とか踏みとどまった民主主義国家
三つ巴の争いは、二度目の世界大戦でも勝者が決まることなく、死体と瓦礫の山だけが残された。
人類はいつまで……互いに憎しみ合わなければならないのか。
当の本人たちでさえ、なぜ憎しみ合っているのかわからないまま…………
そんなわけで、カズミ君のどうでもいい前日譚です。
話的には大したことありませんが、ところどころ狂った世界観が覗いているのが分かると思います。
皇紀二六七〇年て、アンタ…………
ぶっちゃけ言いますと、この世界は「ハーツオブアイアン」という第二次世界大戦をモデルにしたゲームの大型mod「Kaiserreich」を基としています。
簡単に説明しますと、第一次世界大戦で何を間違ったのかドイツ帝国率いる中央同盟が勝利し、協商側は負けた末に革命やら内戦やらでズタボロになってしまったという、だいぶ無茶だが、日露戦争で日本が勝つ確率くらいはありえた「もしも」の世界観です。詳しくは各自で検索してね。
この世界における大日本帝国は、地理的な関係で両大戦をほぼ本土の被害無く潜り抜け、日英同盟が継続したままという、何とも都合のいい状況になってます。史実の日本を鑑みるに、産業は大いに発達するでしょうけど、たぶん軍部…………特に幕僚はずーっと無能揃いなんじゃないかなぁと。なに、心配ない。ぶっちゃけ史実でも枢軸連合双方の幕僚は、(あのドイツも含め)知れば知るほど日本と大差ないとわかりますので。