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『ぼく』のなつやすみ

作者: 榛李梓

「なあ、今からカブト山行かないか。ヒロキたち、明日もう帰るんだろ?」


 水鉄砲の水が切れたところで、シュンちゃんがお兄ちゃんにそう切り出した。

 三人で撃ち合いをして、みんな髪の毛も服もびしょびしょに濡れている。肌に張り付くTシャツが気持ち悪いけど、風が吹くとスースーして涼しい。

 ここは田舎のおじいちゃんの家の庭だ。

 今は夏休み。

 ぼくとお兄ちゃんは、お父さんとお母さんと一緒に遊びに来ている。

 近所に住んでいるシュンちゃんと一緒に花火をしたり、縁日に行ったり、近くの川で釣りをしたり、楽しく過ごしていた。

 でも、明日にはぼくたちの家に帰る予定だ。


「オレたちだけで行ってもいいのかな。大人もいないとだめなんじゃない?」

「じゃあシゲル連れて行こうぜ」

「シゲル今いないよ」


 お兄ちゃんとシュンちゃんが二人で話しているので、ぼくも混ぜてほしくて口を挟んだ。

 『シゲル』というのはおじいちゃんの家に住んでいる男の人で、お母さんの弟だ。いつも一緒に遊んでくれて、おもしろいことを教えてくれたりする。この前は折り紙で足の生えたツルの折り方を教えてもらって、ぼくのお気に入りになった。今度学校でみんなに自慢するんだ。


「あんまり奥まで行かなきゃ大丈夫だって。あそこでっかいカブトムシとかクワガタとかいっぱい捕れるんだぜ」

「わかった、行こう!」


 お兄ちゃんは渋っていたけど、結局『でっかいカブトムシ』という言葉の誘惑に負けたようだ。

 出掛ける準備のために急いで家に入って行く途中で、お兄ちゃんはぼくに言った。


「アキラはだめだからな」

「やだ、ぼくも行く!」


 二つ上のお兄ちゃんと三つ上のシュンちゃんはいつもぼくを仲間外れにするけど、ぼくだってもう小学一年生になったんだから、ついて行ったっていいはずだ。

 ぼくも大急ぎで濡れた服を着替えて、虫かごを持って二人の後を追いかけた。



 カブト山はおじいちゃんの家のすぐ近くにある小さな山だ。

 本当は別の名前があるんだけど、この辺の子供たちはみんな、カブトムシが捕れるからそう呼んでいるそうだ。

 午後の太陽がジリジリと肌を焼き、着替えたばかりのTシャツに汗がにじむ。

 着替えをあんまり持って来ていなかったから、お兄ちゃんのお下がりになってしまった。二人で似たような格好だから、背が違うけど双子みたいでちょっと気に入らない。

 田んぼと畑に囲まれた農道を歩いていると、麦わら帽子をかぶった近所のおばあさんが畑仕事をしていた。


「こんにちは!」

「あらこんにちは。男の子は元気でいいねえ。虫捕り網持ってどこ行くの?」


 ぼくが元気よく挨拶をすると、おばあさんは曲がった腰を伸ばしてニコニコと笑った。


「カブト山。カブトムシ捕りに」

「カブト山? あそこに行くなら祠の奥には行っちゃだめだよ。こわーいお化けが出るからね」

「はーい」


 お化け? カブト山にはお化けがいるの? そんなこわい所行かないほうがいいんじゃないかな。カブトムシ捕ったらお化けが怒ったりしないだろうか。

 ぼくの不安をよそに、シュンちゃんもお兄ちゃんも気にする様子も無く返事をして、カブト山へ向かってどんどん歩いて行く。


「シュンちゃん、カブト山にはお化けがいるの?」

「んー? あんなの嘘だよ。こわがらせようとしてるだけだろ」


 シュンちゃんは全然信じていないようだ。

 こわいなんて言ったお兄ちゃんに馬鹿にされそうだし、やっぱり仲間外れにされたくないから、ぼくはお化けのことは気にしないようにすることにした。



 カブト山は普段あまり人が来る場所ではないみたいで、土がむき出しになった道はあるけれど周りは好き放題に草木が生い茂っていた。

 山頂へ続くゆるやかな坂道は、歩くのにそう苦労しない。

 木が陰を作って少しだけひんやりした空気の中、四方から聞こえる蝉の声が身体にまとわりつく。


「あ、いた。クワガタ!」

「こっちもみっけ!」


 「カブト山」という名前の通り、ちょっと見回しただけですぐに何匹も見つかった。

 お兄ちゃんとシュンちゃんは高い所の虫を目がけて、すいすいと枝を掴んで木に登っていく。


「ぼくも」


 ぼくも二人を真似て登ろうとするけど、二人よりも背が低くて手足も短いぼくはうまく幹を捉えることができない。


「お前は登れないだろ。それで捕れよ」


 ぼくは仕方なくお兄ちゃんに渡された虫捕り網を持って、届きそうな所にカブトムシがいないか近くの木を探した。

 いた! ……けど、あれはメスだ。ぼくがほしいのはオスのカブトムシなんだよね。

 キョロキョロ探しながら歩いて行くと、分かれ道になった所に、草に埋もれてぼくの背丈よりも小さな家があった。

 古くてボロボロで、クモの巣が張っている。


「ねーお兄ちゃん、あっちにちっちゃい家みたいなのあった」


 ぼくはお兄ちゃんたちの所に戻って見つけた物を報告した。


「ちっちゃい家? ばかだな。家じゃねーよ。来る時にばーちゃんが言ってた祠だろ」


 お兄ちゃんが木の上からぼくを見下ろして馬鹿にする。

 ぼくの虫捕り網が届く高さにはカブトムシもクワガタも見つからないけど、上の方にはいっぱいいるみたいで、お兄ちゃんもシュンちゃんも楽しそうだ。


「ほこらって何?」

「神社みたいに神さまが住む所だよ」

「じゃあ神さまの家じゃん」

「全然ちがうよ。ばーか」


 神さまが住んでいるならやっぱり家に違いないじゃないか。

 ぼくはお兄ちゃんの態度に腹が立って、また二人から離れて祠の方へ向かった。

 木でできた小さな祠は伸び放題の草に覆われて、ちょっと見ただけではそこにあると気付けないくらいだ。神さまの住む所なのに、誰もそうじしたりしないのだろうか。

 何の神さまが住んでいるのかわからないけど、一応お参りしておいたほうがいいかな。

 祠の周りの草を抜こうと引っ張っても、しっかり根付いた草はびくともしない。しかたないので根元を踏みつけて草を倒して、やっと祠の全体が見えるようになった。

 近くに落ちていた木の枝でクモの巣を取ると、古びているのには変わりないけど、少しはましになったようだ。

 お賽銭はないけど、いいよね。ぼくはまだ子供だもん。

 ぼくは祠に向かって目を瞑って手を合わせた。

 お兄ちゃんやシュンちゃんよりも大きなカブトムシが捕まえられますように。

 それと、お兄ちゃんがぼくをいじめなくなりますように。


「カブトムシいないな」

「クワガタばっかりだよ」


 お兄ちゃんとシュンちゃんが木から下りて歩いて来た。

 お兄ちゃんの虫かごにはけっこう大きなクワガタが何匹か入っているのに、まだ不満そうだ。


「あ、あそこの木にいるのカブトじゃね?」


 シュンちゃんが木を指さして祠の奥へ進んで行く。お兄ちゃんも一緒に草をかき分けて茂みに入って行ってしまった。


「ねえ、奥は行っちゃだめって言われたよ?」


 ぼくはおばあさんの言葉を思い出し、慌てて二人を引き留めようとした。


「そんなに遠くまで行かないから大丈夫だよ」

「こわいならアキラは帰ればいいだろ」


 シュンちゃんもお兄ちゃんも聞いてくれない。

 ぼくもまだカブトムシを捕れていないし、一人で帰るのは嫌なので、意を決して茂みに足を踏み入れた。

 祠の奥の木にはさっきまでいなかったカブトムシがたくさんいて、お兄ちゃんたちは興奮した様子で木に登って捕まえていた。

 ぼくも虫捕り網でちょっと小さめのカブトムシを捕まえた。でももっと大きいのが欲しいから、ぼくはまたあちこち探し回った。



 気付くといつのまにか辺りは薄暗くなっていた。


「そろそろ帰ろうか。シュンちゃん、どっちから来たんだっけ?」

「たぶんこっち、あれ、そっちかな」


 どちらを向いても同じような茂みが広がるばかりで、来た道がわからない。虫捕りに夢中になりすぎて、知らないうちにだいぶ奥まで来てしまっていたようだ。

 山の中は木の葉が濃い影を落として、まだ明るさの残る空とは裏腹に早くも夜の闇に包まれ始めていた。


「ねえお兄ちゃん、ぼくたち迷子になったの?」


 風でカサカサと音を立てる草むらから今にもお化けが飛び出てくるような気がして、ぼくは兄ちゃんのTシャツの裾を掴んだ。


「大丈夫だよ。すぐ元の道に出るから」


 そう言うお兄ちゃんの顔も、少し強張っている。

 ぼくたちは草をかき分けて進んだけれど、一向に道は現れず、辺りはどんどん暗くなっていく。

 さっきまで耳鳴りのように聞こえていた蝉の声はぴたりと止んで、辺りには不気味な静けさが漂っている。短く揃えられた襟足を撫でる生温い風が気持ち悪い。

 ぼくたちこのままうちに帰れないのかな。

 そんな考えが頭をよぎって、目に涙がにじんでくる。


「おや、ぼうやたち、道に迷ったの?」


 不意に声がして振り返ると、そこには女の人がいた。

 髪の長い女の人は、山の中に不似合いなきれいな着物を着ている。

 真夏にこんな山の中で着物を着ているなんて変だなと思ったけど、そんなことよりも大人の女の人に出会えたことで、ぼくは泣き出しそうなくらい安心した。


「本当は大人の男が良いのだけれど、しょうがない。まあ、子供でも三人も喰らえば少しは腹の足しになるだろうよ」


 女の人は真っ赤な唇をつり上げてニイッと笑った。

 なんだか変だ。普通の人じゃない。


「お兄ちゃん」


 ぼくが不安になってお兄ちゃんを見ると、お兄ちゃんはぼーっと女の人を見たまま固まっている。

 シュンちゃんもお兄ちゃんと同じで、魂が抜けたような表情で動かない。


「お兄ちゃん、シュンちゃん、あの人変だよ。逃げようよ」


 ぼくはお兄ちゃんの腕をとって引っ張るけど、お兄ちゃんはぼくのことなんか見えていないみたいに反応が無い。

 そうしているうちに、着物の女の人はどんどんぼく達の方へ近付いてくる。


「お兄ちゃん!」


 女の人はこっちに近付くにつれ、みるみる姿を変えていく。

 丸く膨らんだ大きな胴体。

 細長く折れ曲がった木の枝のような八本の足。

 女の人は、顔だけはそのままで、あっという間に巨大なクモのお化けになった。

 逃げなきゃ!

 逃げ道を探して周りを見回すけど、ぼく達を囲むように木々の間をクモの糸が塞いでいる。真っ白な糸は、虫捕り網でつっついても少しも破れない。

 おばあさんの言っていたことは本当だったんだ。どうしよう。お兄ちゃんもシュンちゃんも動かないし、このままじゃぼくたち三人ともこいつに食べられてしまう。なんとかしないと!


「このお化け、あっち行け! 来るな!」


 ぼくは近くに落ちていた石を拾って、クモ女に投げつけた。


「ぎゃっ」


 投げた石がクモ女の顔に当たり、女の足が止まる。


「ええい、何故お前だけ術が効いていない? だから子供は嫌いなのよ」


 クモ女の額からは血が流れているけど、苛立たせただけであまり効果は無かったようだ。足が止まったのも一瞬だけで、すぐにまたこちらに歩き出した。


「まあ良いわ。どのみちお前たちはここから逃げられないのだからね。さあ、お前から喰らってやろう」


 クモ女の口からべろりと長い舌が覗く。

 足が震えて動けない。震えは徐々に広がって、体中が恐怖でいっぱいになった。

 もうだめだ。ぼく、食べられちゃうんだ。

 ぼくはぎゅっと目を瞑った。

 たすけて、お父さんお母さん!

 神さま!


「人の庭でずいぶん勝手なことをしているじゃないか」

「お前は……!」


 聞き慣れない男の人の声に目を開けると、ぼくとクモ女の間に着物の男の人が立っていた。

 白っぽいきれいな着物の肩にかかる長い銀の髪が、薄暗い山の中なのにきらきら光って見える。

 誰だろう? たすけに来てくれた? それとも、この人もお化けの仲間?


「まだ消えていなかったの? 忌々しいお前もいなくなって、ようやく自由に人間を喰らうことが出来ると思ったのに」


 一歩退いて一瞬苦々しい表情で白い男の人を見たクモ女は、すぐにさっきまでの気味の悪い笑みを戻して続けた。


「せっかく色男の姿で現れてもらって悪いけれど、お呼びじゃないわ。もうとっくにヒトに忘れ去られたお前に、あたしの相手が務まるとでも思っているの?」

「こっちこそ悪いが、足の多い女は守備範囲外でね」

「ちっ、それなら今度こそ本当にきれいさっぱり消えるがいいわ!」


 飄々と答える男の人に、クモ女が髪を振り乱しおそろしい形相で飛びかかる。

 あぶない!


「煩い虫を一匹払うくらい、どれほど弱っていようと容易いことだ」


 動けないでいるぼくの前で、白い男の人がすっと右腕を薙ぐように動かした。

 着物の袂がふわっと揺れる。


「ぎゃあああっ」


 耳をつんざくようなクモ女の叫び声。

 男の人が腕を下ろすと、クモ女の姿は跡形も無く消えていた。



「お兄ちゃん、シュンちゃん、起きてよ!」


 クモ女が消えた後、気を失ったお兄ちゃんとシュンちゃんを抱えた白い男の人について茂みを抜けると、祠のある分かれ道に出た。

 地面に下ろされた二人は、ぼくが声をかけてもゆすっても目を覚まさない。


「心配するな。じきに気が付く」


 二人はスースーとおだやかな寝息を立てている。お兄ちゃんのあったかいほっぺに触ると、指先から震えが解けていった。

 白い男の人の言う通り、心配無いみたいだ。


「おじさんは誰? おじさんもお化けなの?」

「……まず、その『おじさん』というのはやめようか。その呼び方が相応しいような姿はしていないつもりだぞ」


 男の人は、髪の毛は白いけどおじいちゃんみたいにしわしわじゃない。でも大人の男の人だから、やっぱりおじさんじゃないのかな。


「じゃあなんて呼べばいいの?」

「そうだな、『リョウ』でいい」

「リョウはなんのお化けなの? ぼく達を食べるの?」

「安心しろ、俺は食べ物の好みにはうるさいんだ」

「ふーん」


 リョウの言うことはよくわからないけど、リョウがクモ女みたいに悪いやつじゃないことはわかる。だって、周りの空気がすっきりして、さっきまでの嫌な感じが全然しない。草むらからは虫の声が聞こえるし、空を見上げると一番星が見えた。


「あ、カブトムシだ!」


 上を向いた拍子に近くの木に大きなカブトムシを見つけ、ぼくは木に駆け寄って幹にしがみついた。

 すごくでっかいカブトムシだ。あれを捕まえたら、きっとお兄ちゃんたちがうらやましがるにちがいない。


「まったく、しょうがないな。ほら」


 木を登ろうとしているぼくの体が、ふわっと軽くなった。リョウがぼくを持ち上げて肩に乗せてくれたのだ。

 目の前のカブトムシに慎重に手を伸ばして捕まえる。


「やった! 見て見て、すっごくでっかいよ!」


 一番大きなカブトムシにぼくはうれしくなって、リョウの着物を引っ張って虫かごを見せた。


「化け物に襲われた後に、豪胆な奴だな。お前、名は何という?」

「アキラだよ」

「そうか、アキラ、将来嫁の貰い手が見つからなかったら、俺が貰ってやろう」


 愉快そうに言うリョウの言葉に、ぼくはおどろいた。


「……なんで」

「ん?」

「なんで、女だってわかったの?」

「見ればわかる」

「いつもみんな間違うのに」

「お前の周りは見る目の無い奴らばかりなんだろう。さっきのクモもな。女のお前にあいつの術が効かないのは当たり前だ」


 リョウはあっさりとそう言うけど、初めて会う人はたいていぼくのことを男だと勘違いする。髪の毛は短いし、お兄ちゃんのお下がりの服を着てたりするからだろう。でもぼくも周りの人のそういう反応には慣れているから、別に気にしてないんだけど。


「お前はいい女になる。今も十分いい女だが」


 ぽん、とぼくの頭に手を置いてリョウが言う。

 よくわからないけどむず痒いような変な気持ちがしてその手を振り払うと、リョウがくっくっ、と喉を鳴らして笑った。


「礼を言うぞ、アキラ。俺がこの姿をとれたのはお前のおかげだ。ヒトが忘れてしまえば俺の存在も消える。それも時の流れ。仕方の無いことだと思っていたが、久々に『いい女』と話せて楽しかった」

「え? ぼくなんにもしてないよ」


 聞き返すぼくの耳に、小さいけどよく知った声が入ってきた。


「ヒロキ、アキラー! シュン!」


 今度はさっきよりはっきり聞こえる。


「シゲルー!」


 大声で応えて手を振るぼくに気付いて、シゲルが走って来た。


「アキラ、ヒロキもシュンも無事か?」


 シゲルが息を切らしながらぼくの顔を覗き込む。


「大丈夫! クモのお化けに食べられそうになったけど、リョウが助けてくれたんだよ。……あれ?」


 振り返ると、さっきまでそこにいたはずのリョウの姿が見当たらない。キョロキョロと見回してもどこにもいなかった。


「おいヒロキ、起きろー」

「んー、あれ? なんでシゲルがいんの?」

「のんきだなー。みんな心配してたんだぞ」


 目を覚ました兄ちゃんとシュンちゃんの横で、シゲルがスマホを取り出して電話をかけだした。相手はお母さんみたいだ。


「ねえお兄ちゃん、さっきあっちにクモのお化けいたよね?」

「はあ? そんなのいるわけないだろ」


 お兄ちゃんもシュンちゃんも、さっきのことを何も覚えていないようだった。

 あれは夢? でも、寝てたのはお兄ちゃんたちで、ぼくはずっと起きていた。

 それに、虫かごの中には、とびきり大きなカブトムシが……。


「あ! お前それどこで捕まえたんだよ」

「ほんとだ、すげーでかい!」

「やーめーてーよー!」


 お兄ちゃんたちがぼくのカブトムシに気が付いて虫かごを奪い取ろうとするので、ぼくは必死で抵抗した。

 せっかくぼくが捕まえたんだから、絶対取られたくない。


「こーら。人の物を取るのはだめだぞー」


 電話を終えたシゲルのおかげで、なんとかカブトムシを奪われずに済んだ。


「シゲル、あのほこらってなんの神さまが住んでるの?」


 帰ろうと歩き始めたシゲルを引き留めて、ぼくは祠を指さして聞いた。


「ん? こんな所にこんなのあったっけ。あれかな。たぶん、『ウリョウサン』の神様を祀ってるんじゃないかな」

「ウリョウさん? 誰? えらい人?」

「人の名前じゃなくて、雨龍山(ウリョウサン)。この山の名前だよ。子供たちはみんなカブト山って呼ぶけどな」


 カブト山は、本当はそんな名前だったんだ。

 雨龍山(ウリョウサン)

 リョウ。


「シゲル、ウリョウサンの神さまはいい神さまだから、ほこらをきれいにしてあげなきゃだめだよ」

「え?」


 不思議そうな顔のシゲルにそれだけ言って、ぼくは歩き出した。



 翌朝、ぼくは苦手な早起きをして雨龍山へ向かった。

 帰る前に、どうしてももう一度祠に行きたかったからだ。

 急がないといけないのに、スカートだと裾が足に絡んで走り難い。でも、このよそ行きのワンピースしか着る物が残っていなかったのでしかたない。毎日外で遊んで服を汚してばかりだし、昨日も泥だらけで帰ってお母さんにこっぴどく叱られた。

 雨龍山の祠に着いて、ぼくは弾む息を整えた。

 さわさわと木の葉を揺らす風が心地いい。

 もしかしたらリョウがいるかもしれないと思ったけど、草木に囲まれて小さな祠がぽつんとあるだけだった。

 持ってきた折り紙を祠の前に置く。昨夜寝る前に折った物だ。

 アサガオ、風船、手裏剣……。リョウがこのお礼の品を気に入ってくれるかわからないけど、自分が折れる物を全部折って持ってきた。もちろん、足の生えたツルも。


「リョウ、昨日はたすけてくれてありがとう」


 祠の前にしゃがんで、目を閉じて手を合わせる。


「ぼく、リョウのこと忘れないよ。ずっと覚えてる。そしたら、リョウ消えないよね?」


 答える声は無く、ぼくの言葉は蝉の声に溶けていった。

 ……もう帰らないと。

 こっそり出てきたから、遅くなったりしたらまたお母さんに怒られる。

 本当はもう一度リョウに会いたかった。

 折り紙も見てほしかったけど、しかたない。

 ぼくは立ち上がってスカートの裾を手で払い、後ろ髪を引かれながらも祠を後にした。


『その格好も似合っているぞ』


 数歩歩いたところで、どこからかリョウの声が聞こえた。

 ぼくは振り返って祠を見たけど、リョウの姿はどこにも見えない。


「べーっだ」


 褒められたのがなんだか恥ずかしくなって、ぼくは誰もいない祠に向かって思い切りあかんべーをした。

 それからぼくはまた歩き出す。

 今度はもう振り向かない。

 だってきっとまた会えるから。

 根拠は無いけど、そう思う。


 祠から遠ざかるぼくの背中で、蝉の声に混じってリョウの笑い声が聞こえた気がした。

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― 新着の感想 ―
[一言] んーっ、引っ掛けでしたか。お好きなんですか?こうゆうトリック。私、推理ものは頭を使うので苦手なんですが、ショートショートなんかでどんでん返しをする話は好きだったりします。 でも、自分では書け…
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