表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

02



 黒竜の声は、見た目の凶悪さとは裏腹に、穏やかだった。


 村長は、先程まで子守りをしていた筈の突然現れたドラゴンに、大した反応を示さなかった。

 元よりここでの話を聞いていたのは知っていたからだ。竜の聴力、もとい感覚は、人間の比類にはならない。空中で子供たちをあやしながらも、この竜は先程の会話に聞き耳を立てていたのだ。


 老人は立ち上がり、両開きの窓を開けて、竜と顔を合わせる。


「だけどお前さんの『村を襲う』って言うのは、結局冗談だった訳だろ?」

『まぁね。凡そ四年前、たまたま――厳密に言えば全くの偶然ではないんだけど――村の近くを通りがかった私を、涙目で追い払おうとする少年が居た。私は退屈していたから、からかったんだ。今から村を焼きつくす。お前が一人で私に傷をつけることが出来たのなら、村は見逃してやろうってね。本当は、別にどうするつもりもなかった』

「悪質な冗談だ。おっと、お前さんは凶悪なドラゴンだったな、すっかり忘れていた」


 ドラゴンに物おじせず、老人はからかう様に言った。

 竜は自身の黒く鈍い輝きを放つ爪で、巨大な口元を軽く引っ掻いた。村長は、それが照れ隠しだと分かった。


『あはは……まぁ彼も今は知っているけどね、あれは冗談だったってね。でも、冗談でも「村を滅ぼす」なんて私が言っていたと村に知られたら、私の立場が悪くなる―――と彼は思っている。だから、彼はただ黙す』

「実際は、全部知っている訳なんだが。俺も、他の連中も。ま、ガキどもには言ってねぇが」


 老人は肩を竦めた。ドラゴンは、瞳を澄ませて言う。


『昔からそうなんだね、彼は。最初に会った時も、彼は一人で、孤独に、無謀にも、愚かにも、私に突っ込んできた。安っぽい短剣一つで、矮小な身一つで、この黒竜に立ち向かったんだ。勿論、剣は折れた』

「だろうな」

『でも心は折れなかった。今度は素手で立ち向かって来た。今でも覚えているけど、あの時は愉快で仕方がなかった。力なく、武器を無くしても尚、彼はそれでも真っ直ぐだった』

「そう言うやつなんだ、あいつは」


 村長のその言葉は、青年を嘲る様にも、また誇る様にも聞こえた。


 ドラゴンといえば、何も分からない幼子でも恐怖を知る存在だ。今ここに居る人懐っこい黒竜とて、傷つき地に臥せていた時でさえ、最初は村全体で忌避されていたのだから。


 老人は、一人得心した様に、続ける。


「ドラゴンに無手で立ちふさがるなんて、それこそ馬鹿のすることだ。でもあいつは、『そう』なんだ。思いこみが激しくて、あるいは起こりうる悪事全部を、自分の所為だと思ってやがる。ドラゴンなんざ、どうすることもできねぇよ、普通は。だけど、あいつはどうにかしようとしやがった」

『そうだね。だから、彼は村の誰にも私の存在を言わなかった。誰かに言ったら即座に村を落す、と言う私の戯れの言葉を信じて、結局、都合三年ぐらいかな? 私と対峙し続けたのだしね。独りで』

「お前さん、よっぽど暇だったんだな」

『往々にして、ドラゴンは皆暇しているんだ。断言するけど、その中でも私は世界で一番暇なドラゴンだった』

「過去形か」

『今や私は人気者だからね。この後も、ミリ―ちゃんにクッキーを食べさせて貰うんだ』

「このウキウキドラゴンめ」


 この後にある甘味を期待しているのか、ドラゴンは瞳を輝かせていた。

 自分より遥かに長い時を生きている竜の、しかし子供の様な純真さに村長は目を細めた。

 ドラゴンはそんな老人の微笑ましい物を見る目に気付いたのか、また自身の爪で口元をなぞる。


『……それはそれとして』

「俺もクッキーは好きだぞ」

『それはそれとして! んんっ……まぁ、五日に一回ぐらいのペースで、私は付近の岸辺に赴いた。彼は毎回、私よりも早くそこに居た。表情は消えていたけど、必死なのは分かった。そして、やっぱり素手だった。錆付いた斧の日もあった』

「ああ、やっぱりそうだ。それ俺んちの薪割り様の斧だ。何年か前、使わない斧はないかとあいつが言って来たから何かと思ったが……ドラゴンを退治する為とは思わなかったな」

『私もびっくりだ。もしかして、私を薪の様にすっぱりと割って、暖炉にくべようとでもしていたのかな?』

「あれは薪でさえも満足に割れなかった筈だぞ」

『薪以下か、私は。ま、その斧が苦し紛れだと言うことは見てとれたけどね。だから、これもまた戯れだと、かつて私と戦った人間が持っていた「剣」をやった。これさえあれば、もしかしたらお前でも倒せるかもしれないな、と大仰に言ってね』

「……なぁ、ちょっといいか?」

『なに?』


 そこで、村長は顎に手を当てながら、思い出したように問う。


「あの剣は、結局どう言うもんなんだ? ケイムに聞いても『何処かで拾った』の一点張りだ。まぁドラゴンに貰ったとは言えねぇだろうから、それは分かる。だけど、肝心の、その剣にどんな力があるのかは言いやしない。そう言えば、前にお前さんから同じ話を聞いた時には、その『剣』のことを聞きそびれていた」

『ああ、言ってなかったっけ』

「やっぱり、『魔剣』の類なのか?」


 ドラゴンから受け取り、そしてドラゴンを貫いた剣。

 それはさぞかし大層なものなのだろう、ケイムが大事にしているのも、その筈なのだから。

 そう思い聞いた訳だが、しかし、ドラゴンは首を横に振った。


『いいや、普通の剣だよ?』

「……竜の鱗を貫いたんだろ?」


 老人は怪訝な顔をする。ドラゴンの言う所の『普通』は、人間で言うところの普通ではないだろう、と。

 そして竜を傷つけると言うことは、間違いなく、普通のものとは言えない。

 だけど、それでも黒竜は首を振った。今度は先ほどよりゆっくりと。


 その動きには、あの青年に対する限りない賞賛が滲み出ている様だった。


『そうだよ。だから、私は君たちに言ったんだ。彼はとんでもない実力者だってね』

「おい、まさか……」


 老人は言い淀んだ。そうだ、確かに、このドラゴンはあの青年をそう評価した。しかし、村長は、それを『ドラゴンから貰った剣』込みで、そう言ったのだと考えていた。

 しかし、実は、そうではなくて――

 そうだよ、と繰り返し、ドラゴンは頷いた。


『あの剣に何か特別な力がある訳じゃない。生物最硬と言われる竜の鱗を、皮膚を貫いたのは――純粋な彼の力量だ』

「嘘だろ?」


 村長は苦笑いを浮かべながら、今一度、竜に問うた。


 とてもではないが、信じられなかった。


 この竜は見た目に反し、誠実で、また人に良くしている。

 子供に好かれ、たまに『魔法』を教えたりもしている。ケイムの村からの旅立ちを推奨したのもこのドラゴンであり、村長はそれを信じたからこそ(前々から村長本人も思うところがあったのだが)、無理やりにでもケイムを外へと送りだそうとしたのだ。


 だけれども、それとこれとはまた別問題だ。


 辺境にあるこの田舎の人間である老人でも、例えば名を轟かせている魔剣の数々は聞きしに及んでいた。

 当然、ケイムが持つそれもその類だと思っていた。ドラゴンから直々に貰ったのだから。

 しかし、彼が持つ剣は普通のものだと、竜は言う。

 村長は自身の白髪を乱雑に摩り、一つ唸った。


 そんな、老人の懐疑的な様子に、ドラゴンはううん、と軽く唸りを返す。


『強いて言うのなら、えらく頑丈なんだ、あれは。見た目は細いけど、ともかく硬い。あとは、そうだな……』


 そう言って、竜は考える様に目線を落す。村長は『他にも何かあるだろ』と急かす様にじろりと視線を向けた。

 うん、と竜は顔を上げる。


『頑丈なんだ』

「嘘だろ……」


 二度目のその言葉は、疑問符では無く、茫然と諦めの言葉。

 他になにもない、ただの丈夫な剣、それが、ケイムが持つ剣だった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ