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01



「お前、村から出てけ」と村長が言った。腕を組み、真っ直ぐに青年を見ていた。

「なんでだ」


 言われた青年、ケイムは茫然とした。あまりにも脈絡なく自然に言われたものだから、怒りの感情や恐れの感情さえ抱かなかった。


 村長の男は白髪が目立つ頭をボリボリと掻き、それからまた腕を組み直す。


「ケイム、お前、何歳になったよ?」

「十八」


 ケイムが簡潔に言えば、村長は「だからだ」と同じく簡潔に返した。

 無論、ケイムはそれで納得はしない。


「この村では、十八になったら出て行かなければならない掟でもあるのか?」ケイムは首を振るう。


「初耳だ」


 大げさに天を仰ぐ。ここは村長の家だ。古めかしい木材がケイムの目に映る。埃っぽく、とこどころが傷んでいる。

 ケイムはそうした後にまた目の前の老人を見る。細く鋭い目を、更にきつくし、睨み付けた。

 しかし村長は、そんなケイムの態度も、言葉も、何もかも受け付けなかった。


「掟なら俺が作った。たった今だ」

「それならハナは? クロウは? ターンは? あいつらは俺と同い年だ。それにアンタだってとうの昔に十八を超えているじゃないか。アンタも出て行くのか?」


 村長を見る。表情が変わらない。ケイムの前の男はまるで鋼鉄の様に、冷たくそこにあった。


「十八歳のケイムは村から出て行く掟、だ。俺も、他の連中も、関係無い。出て行くのはお前だけだ」

「わざわざ俺だけの為に、そりゃどうも」ケイムは吐き捨てる様に言った。


 ケイムとしては意味が分からなかった。十八歳であることと、自分が村から出て行かなければならないこと。それらの繋がりが見えなかった。


「なんでだよ」


 ケイムは村長の瞳を見る。だけれども、やはり老人の感情は視えない。


「わからんのか」村長は溜息混じりに言う。

「わからんね」返す刀で、ケイムもまた憮然とした表情をした。


「お前の仕事はなんだ」

「なにって……そりゃあ、アンタ、村の防衛だよ、ぼーえい」


 小馬鹿にするように、幼子に言い聞かせるように、殊更にゆっくりと言う。


「ボケたのか?」とケイムは鼻を鳴らした。


 村長はケイムと取り合わず、部屋の窓に顔を向けた。


「……外」

「は?」

「外を見てみろ」


 村長が顎で窓を差す。次いでケイムが外を見れば。


『がおー! ほぉら、黒い火だよー! ぼぼぼぼぼぼ!』

「カッケー! ドラゴンかっけー!」

「ドラゴンさん、背中乗せてー!」

「あ、ずるい! わたしも! お空飛びたい!」

「お、俺も!」

「あたしも!」

『あはははは、順番、順番!』


 丁度村の真ん中の辺りに、巨大な黒い何かが鎮座していた。

 闇より暗く、厚い漆黒の鱗に覆われ、家一軒分の体躯を持ち、馬一頭丸々入りそうな大口からは、どこまでも黒い炎が宙に向けて発せられていた。


 ――ドラゴン。


 世界の何者にも媚びず、従わず、圧倒的な力を持つ自由と暴力の化身。

 だがしかし、少なくとも、今ここに居るドラゴンは、村の子供を背に乗せ、あやすように炎を吐く、幼子達の人気者だった。


「なにから……守るって?」と嘲るように村長が言った。

「……」


 ケイムは言葉に詰まった。

 村長が言わんとしているのはこういうことだ。


『世界で最も強大な魔獣と呼ばれているドラゴンが居るのに、果たしてお前ごときが村を防衛してなんになるのだ』


 そう、目の前の男は言いたいのだと、ケイムは判断した。


 確かに。


 あのやたら子供に懐かれているドラゴンがこの村に住みついて、早や半年。

 以降、全くと言っていい程、この村に魔獣の類は来なくなった。

 それどころか、農作物を狙う害獣、害虫、害鳥でさえも大人しくしている始末だ。

 あまりにも巨大な存在に、単純な思考しか出来ない生物でさえも恐れ慄いているのだ。


「まぁ、そもそもこんな田舎だ。大した脅威も今までなかった。加え、あのドラゴンが来てからは、犬猫や鳥でさえも頭を垂れているぐらいだ」


 村長は外から目線を動かさず語る。

 窓の向こうでは、黒竜がその翼を羽ばたかせ、子供たちを空中の散歩に興じさせていた。

 どこまでも微笑ましく、どこまでも長閑で、どこまでも平和な光景だった。


「それに子守りも出来る」

「どうせ俺は人相悪くて子供は懐かねぇよ……」


 あのドラゴンよりも、ケイムの方が子供たちからは恐れられていた。

 彼はひたすらに目つきが悪い。それに、表情があまり変わらず、傍から見れば何を考えているかよく分からない。挙句、四六時中『剣』を持っている。しかも鞘に入ってない、抜き身の剣だ。

 村の守りにも、子守りにも彼は必要がないのである。あるいは今の彼は、ドラゴンよりも村の役に立っていないのかも知れない。


 ふと、ケイムは右手を後ろに回し、背にある剣の柄の部分を握った。

 別に抜こうとした訳ではなく、なんとなく触っただけだ。

 その行為自体に意味は無い。ただ落ち着くのだ。癖の様なもので、彼のいつも剣を持ち歩くと言う行為は、赤子が母親の手を離さないことと近しい。甘えるものが他にない、だから、剣に縋る。



 本当は。


 本当は、言うべきこと、言いたいことが幾つかケイムにはあった。

 かつて、あのドラゴンは、傷つき、倒れ、この村に現れた。

 身体を癒すために暫し臥せていて、そうこうしている内に子供たちに懐かれ、他の村人も、この強大な力を持ち、だけれども人に優しい黒竜を受け入れた。

 ケイムは、その倒れていたドラゴンを見つけた……と言う事になっている。

 嘘は言っていない。ただ、『誰がそのドラゴンを傷つけたのか、何故傷ついていたのか』を、ケイムは隠していた。ついでに言えば、ドラゴンが傷ついて居座る半年前より更に以前、詳しく言えば四年程前から、ケイムとドラゴンは顔見知りだった。


 剣の柄をぎゅっと強く握り、離す。


 ――わざわざ言う事じゃない。


 ケイムは決心していた。

 今更それをほじくり返しても仕方ないことだ。

 あのドラゴンは村に住みつき、そして慕われている。それでいいじゃないか。

 余計なことを言って、あの子供好きなドラゴンを貶めるのは、ケイムの本意ではない。

 それが自分の保身になるのなら、尚更だ。


 ケイムは主張するべき言葉全部を呑みこみ、その代わり。


「俺は村には要らないってか」と言った。


 言葉には苦い物があった。表情は変わらず悄然としていたが、その口から発せられた音はただただ苦々しかった。


 何かを守ると言うのなら、あのドラゴンが居る限り村は安泰だ。

 別にケイムは必要ない。

 だけれども、出て行く必要もない筈だ、ケイムはそう思っていた。


 ケイムは日々の生活は森で薬草を採取して売ったり、はたまた木の実や魚を獲って過ごしていた。

 基本的に自立しているのだ、彼は。ただ便宜上、彼の仕事は村の防衛と言うことになっているだけで、給料の類は貰っていない。


 居なくてもいいだろうが、居てもいいだろう。

 しかし、この村の長は出て行けと言う。


 沼。泥沼に浸っている様な気分だった。粘着く黒い何かが、心を蝕もうとしている。

 必要とされなかったトラウマが、捨てられた過去が、足元からずぶずぶと這い寄っている様に感じた。抜け出したくても――――抜けられない。


 ケイムの顔が曇る――ことはなかった。その代わり、益々、彼の顔から表情が消えていった。


 そんな彼の様子を見かねてか、村長は重く、大きく、溜息を吐いた。


「……もう、いいんじゃねぇか?」と村長が言った。


 その言葉は、先程迄との冷たい響きは消えていて、温かみと――少しの憐憫があった。


「……なにが」とケイム。

「この村にいることが、だ。そりゃあ、お前、あれから、確かに、村全体でお前の面倒を見て来た。ああ、別に恩着せがましく言っている訳じゃない。お前が悪い訳でもない」

「……」


 ケイムは無言だった。村長は続ける。


「そんで、お前がいい歳になって、その恩を返そうと自分の出来ることを探して、村の防衛をかって出た。それまでは、ちょくちょく魔獣の類が来てた訳だからな」


 ケイムは無言を貫いた。否定も肯定もしなかった。

 ただ、青年の切れ長の瞳からは、まるで捨てられた犬猫の様な寂しげな光が灯っていた。

 村長は、それから目を逸らさなかった。


「だが、今はドラゴンが居る」村長は言いきった。


「こんなちっぽけな村に、お前が捉われる謂れはない」

「厄介払いをしたい詭弁にしか聞こえないんだが」


 皮肉めいた言葉とは裏腹に、ケイムの声は悲しげだった。

「なぁ」とケイムは続ける。


「アンタは俺に何をして欲しいんだ? とりあえず、役立たずの目つきが悪い男を追い出したいのか?」

「もっと、広い世界を見て欲しい」

「は?」

「お前はお前が思っている以上に、実力がある。まだまだ若い。縛られる何かがある訳じゃない。若者が旅に出るのに、それ以外の理由が居るのか?」

「もう一度言うぞ。厄介払いをしたい詭弁にしか聞こえない」

「……自信がないのか?」


 村長が煽る様に、ケイムの自尊心を擽る様に言えば、しかしケイムは「ああ」と拍子抜けするぐらい即座に肯定した。



「俺は魔法を使えない。この絶対魔法主義の世界で、俺は無能もいいとこだ」



 肩を竦めて、ケイムはそう言った。

 魔法が使えない。それは、彼の最大のコンプレックスだった。自分が出来る事と言えば、我流のヘンテコな剣技ぐらいだ。


(所詮は田舎の野暮ったい技だ)


 また剣の柄を握って、思う。結局、自分は適当な魔獣を屠るぐらいしか能がない。それしか能がないのに、今はそれさえ必要ない。あの黒竜が居れば、自分は真に能無しだ。


(まぁ、追い出されるのも、仕方ないのかも知れないな)


 青年は心中で自嘲した。唇が鈍く歪むのが分かる。笑えないが、嗤うしかない。

 ケイム・レイドは笑えない。

 彼が出来るのは、それらしく顔の筋肉を動かすことだけ。





 そんなケイムを見て、村長は苦虫を纏めて噛み潰した様な表情をした。


 ――ここまで根が深いとは。


 老人は知っていた。目の前の青年が持つ実力と、彼の夢を。

 しかし、過去のトラウマが、ケイムが前に進むことを阻害していた。村に対する負い目、はドラゴンが居る。あの黒竜さえ居れば、この村を心配する必要は無い。

 だから、突っぱねる様に――不本意だが――村から追い出す様に仕向ければ、ケイムは柵から解放され、未来を自分の為に使うのではないか、村長は、いや、村の住人はそう考えた。


 だが、結局はこれだ。彼の過去は周りが思う以上に深く、暗い。単純に『村を気遣う必要がないから自由に生きろ』と言っても、彼は己の実力を卑下し、前に進みたがらない。


 さて、どうしたものか、と村長が苦い顔で逡巡していると。


「……わかったよ」とケイムが言った。


 彼は村長の苦い顔を、これ以上見たくなかった。自分の駄目な所、足りない所は、指摘されたところで最早何とも思わない。だけれども自分が、恩人の、恩人たちの邪魔になるというのなら――

 ケイムは、また剣の柄を殊更に強く握った。ケイムは人に甘えることが出来ない。村長がどう思おうと、どう考えてようと、彼には老人の真意なぞ分かる筈がない。


「アンタの考えは分からないけど、要は俺が邪魔な訳だ……出て行けばいいんだろ、出て行けば」


 それは、村長の言葉を正しく理解したわけでも、己の夢を追う事を決めたのでも、自身の実力を認めたわけでもなかった。

 ただの自棄だった。出て行けと言われたから出て行く。それだけだ。普段あまり表情が変わらない彼であるが、まるで腐った果実を口に入れたかの如く、ケイムの表情は苦しげで、また不貞腐れていた。


 それを見て、村長は。


「……ああ、そうだ。出て行け」と突き放した。己の抱いている感情や想いを伝える事も、ケイムの考えを訂正することもしなかった。


「それで? いつ出て行けばいい? 今すぐか?」

「……いや、明日だ。明日の昼前に、村から出ろ」

「随分と細かいこと。まぁ、どうでもいいけど」


 青年の瞳は、相変わらず悲しげだった。


 ケイムはそれ以上言う事はないと踵を返し、扉の前に立った。

 最後に一度だけ、振りむく。もう、この古臭い老人の家も、見納めだ。


「世話になった」

「っ……」


 ケイムの少しだけ震えたその声に、村長は気取れない様に息を呑んだ。

 かつて、誰にも必要とされず、表情を無くしたあの頃のケイムがダブって見えたのだ。

 しかし、老人は黙す。これで、これでいい。これでなければ、ならないのだ。




 ケイムが老人の家から出て、扉を閉める。木材の擦れる音がひとしきり古屋に響いた後、村長は息を吐いて椅子に座りこんだ。


 己の白髪に手を当てて俯く老人の様は、この僅かな時間で何十年も費やしたかの如く、疲れ切っていた。


 村長は、いや、この村の大人は全てを知っていた。


 ケイムには、世界の全てがつまっていると言う、『アーレクの天樹』、これを踏破する願望があることを。


 そして。


 魔法が使えず、コンプレックスを抱え、だけれども彼自身気付いてはいないが――


 ――最早ケイムの剣技は、少なくとも、こんな辺境の地で一生を終えていいレベルのものではなくなっていた。


 老人は知っていた。彼が隠していたことを。



 あのドラゴンの鱗を貫き、地に落したのは、他ならぬケイムの剣なのだ。



 だけれども、ケイムはそれを誰にも言わなかった。自慢すべき、誇るべきそれを、彼は一切口外しなかった。


 それには、様々な理由があるのだが、一番は。


『優しいね、彼は』


 外から男とも女とも取れる、中性的で、頭に直接響くような不思議な声が村長の耳に届いた。


 顔を上げて窓を見れば、件の黒竜の顔が窓全面に映っていた。


『自分があのドラゴンを倒したと言えば、なんでそんなことをしたのかの説明が必要になる。そうした場合言わなければならないんだ、「あいつが村を襲おうとしたから」ってね。そうすれば、私は村には居られなくなる。一応私は悪意なきドラゴン、と言うことになっているから。でも、彼は言わない。だから、彼は言わない』


 ドラゴンは水晶の如く澄んだ瞳で、そう言った。



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