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この作品はメタフィクションです。
メタフィクションというのは、フィクションについてのフィクションというような意味で、作品内でフィクションについて言及しているような作品のことです。
珍しいジャンルですが、よろしければ読んでください!
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この時から栗島彼方は聴こえ始める。
校舎と渡り廊下が繋ぐ食堂の片隅のテーブルで、友人二人と食事をとっていた。券売機に並ぶ生徒の列が彼方の背後まで迫っており、多少窮屈だったが、それよりも昼下がりの喧騒の充満が、三人の会話を聞き取りづらくしていることがわずらわしかった。ただ、それでも彼方にははっきりと聴こえていた。
「なあ、なにか聴こえないか?」
彼方は友人に問いかけた。
「え?なんだって?」
「なにか聴こえないか。声みたいなのが……」
「声って、聞こえまくってるけど。うるさいくらい」
「そうじゃなくて……」
周りを見渡した。生徒たちはめいめいに会話し、食事し、ふざけ合っていた。三年生になっても少しも変わることのない風景である。だが、その日常の平穏さに心を休める気持ちにはならなかった。
彼方は後ろをすばやく振り向いた。列の生徒たちはだまりこくって順番を待っている。
「おい、どうしたんだよ。なんか変だぞ、お前」
ゆっくりと首を巡らし、友人たちの方へ向き直ると、彼らは食事の手を止めてじっと彼方の顔を見つめた。
「お前顔真っ青だよ。具合悪いのか?」
「いや、大丈夫だよ。大丈夫。なんかさ、用事思い出したよ。そう、忘れてたんだ。ちょっと悪い、俺行くよ」
「そっか。なんか知らないけど、気をつけろよ」
立ち上がって入り口の方へ一歩踏み出し、一度止まった。
「あのさ、本当に聴こえないんだな?」
彼はそう念を押した。
友人たちは怪訝な顔をして首を振る。彼方はそうしてその場を後にした。
「おい、食器片付けてけよ」
友人の声は届かなかった。
外に出るとテレビの音量をオフにしたように忽然と騒がしさは消え失せた。にもかかわらず、彼方は誰かに見られているかのように周囲を気にして、その足取りは焦っていた。校舎に入る。人通りはめっきり減って、すれ違う人々はごくわずかだった。だが、まるで誰かに尾行されているかのように、しきりに立ち止まっては、背後をうかがってごくりと唾を飲み込んだ。
友人の言う通り、顔からは、いや全身からは血の気が引き、顔面はおびただしく発汗している。呼吸は荒くなり、鼻からは熱い息が漏れていた。立ち止まることをやめ、歩幅を大きくしてずんずんと廊下を進んでいくが、気休めにしかならなかった。
シューズをきゅっと鳴らしてまた立ち止まった。そして頭を抱えるようにして両手のひらで耳をふさぐ。背中を右側の壁につけ、流れる人々を一人一人観察するようにしていると、彼らの警戒を買ったが、それでもやめることはしなかった。過ぎ行く人は誰もが彼を不思議そうに眺めた。この人大丈夫だろうか、なんかおかしいな、彼らの目はそういっていた。
「うるさい、黙れ!」
ついに彼方は声を上げた。生徒たちは一様に立ち止まる。それからさきほどよりも速度を上げその場を去っていた。人通りは増えていった。
「やめろ……」
耳を塞ぐ手は力を入れすぎて白くなり、小さく震え、それに応じるように呼吸は浅く細やかになっていった。口は渇き、腰が折れそうに弱った。頭ががんがんと響き、かつてないほどの恐怖と絶望がどん底からせり上がってくるようだった。
「うるさいっていってるだろ!」
今度は大きく叫んだ。知らない女子生徒と目が合った。彼方ははっとした。その生徒は眉を寄せて、蔑むように鋭い感情をこちらに向けてから、あたかも浮浪者にそうするように彼方の存在を意図的に無視して歩き去っていった。彼方は目を見開いた。そして振り切るようにして突然駆け出した。懸命に走った。一人の男子生徒と肩をぶつけたが、それも意識には上っておらず、人々の間を縫うことすらせずにそのまま直進していった。みんな彼の形相に驚いてか、次々と道をあけ、行く当てがないかのようなその疾走の花道を作った。足は重かったが必死に動かした。階段を駆け上ると、息が苦しくなっていった。人波の水面を抜け、ようやく息継ぎをした。
誰もいない場所に出た。屋上へと通じる階段の下の、様々な用具を収納しておくロッカーが並んでいるスペースだった。しんとしている。奥まで行って、また壁に背をつけた。天井は高く、些細な物音も過大に反響させるつくりになっており、どこか寂しいような感じがする。そして自分の元来の寂しさが胸を突いた気がした。
「違う、違う。俺は……」
口の中でもごもごとつぶやくが、返事をするものはなに一つなかった。
しばらくうつむいて沈黙したのち、顔を上げた。彼はどこか決然としていて、曖昧だった表情はくっきりと変わっていた。
「お前は誰なんだ!」
反響した。返事はない。
「答えろ、お前は誰なんだ。どういうつもりで俺に話しかけている。俺をからかっているのか?どうなんだよ」
こだまがこだまを誘導して、空間を弄んでからまた彼方へと戻った。まさにからかわれているようだった。
「ふざけやがって!」
彼は激怒した。腕を大きく振り上げて壁に叩きつけ、鈍い振動を起こす。駄々っ子のような様子になった。
「くそ、やめろ!」
頭を抱える。
「やめろっていってるだろ!」
また駆け出した。階段のたもとに到達すると、二人組みの男子生徒に鉢合わせた。彼らはびっくりしたように彼方を凝視した。彼方は彼らににじりよった。彼らは後ずさった。
「な、なんだよ」
男子生徒の一人がいった。
「なあ、あんたら、聴こえるだろう?」
彼方は必死だった。
「は?」
「聴こえるだろ?な?」
一人の肩を両手でがしりと掴んだ。
「ほら、聴こえるだろ、聴こえるよな?俺だけじゃないよな?」
彼は生徒を強く揺さぶった。
「痛ってえ、やめろ!」
男子生徒は彼方の手を振り払い、距離をとった。
「なんだこいつ、気持ちわりい!おい、いくぞ!」
二人は足早にそこから去っていった。
「聴こえるだろうが!」
もはや怒号だった。生徒たちはそれに悪態で答えながら消えていった。彼方は一人取り残された。体中の力が抜け、呆然と立ちすくんだ。
彼は何度目か、再び駆け出した。階段を三段飛ばしで登り、上に到達すると、南京錠で閉ざされた屋上への扉まで突っ込み、そのまま右足で思いっきり蹴り飛ばした。扉は開放され、彼方は青空に身を躍らせていく。古くなった錠ははじけ飛んで床へ落下し、金属音を鳴らして滑っていった。彼は屋上の真ん中にたたずみ、大きく深呼吸をしながら空を仰いで落ち着こうと努めた。
数分すると、彼は大きく体を振るわせた。その目はもはやどこも見ていないようだった。ぼんやりと視線をさまよわせながら、拳を握った。
「もうわかったよ」
彼は弱々しくいった。
「完全に狂っちまった」




