第7話 七の月 三藍の日(4)
なんだってこうなってしまったんだろう。
後になって考えれば考えるほど、もっとやりようがあったように思った。今日の授業は失敗だったと、どんどんそんな気がしてきて、落ち込んだ。
夕食はよく煮込まれた芋と野菜のスープで、食欲をそそるいい香りがしていたのに、二口も食べたらもう腹がふくれたようで、スプーンを動かす手が止まってしまった。
「なにもかもがうまくいってないという顔だね?」
愚痴を言ったりするのは好きじゃないのに、ギルにはだいたいお見通しのようだ。
「それほどではないですけど。……私、向いてないと思うんです」
明日行ったらユーリエあたりが「もうお帰りください」とか言うんじゃないかとさえ思う。クビになったら困るのに。まだなにも調べられていないのに。
「子どもの扱いって難しいですね」
「おまえだって子どもじゃないか」
ギルはパンをちぎりながらからかうように言った。
「冬に下働きの見習いで入った時はしっかりやっていただろう」
「私にはメイドの方が向いているんです、きっと」
あれをしてこれをして、といちいち指示を出される方が楽だ。そういう仕事ならいくらだってこなしてみせるのに。
「そもそもよく知らない子とふたりきりで部屋にいるっていうのが、居心地が悪いというか。アディナ様は話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからないし」
「おまえ、生徒を様付けで呼んでるのかい」
「だって、皆そう呼ぶんです。ユーリエ・ボルマンですら。……かなりの身分なんだと思います」
それが謎だ。本当に、何者なんだろう、あの子は。そして、なんのためにあそこにいるのだろう。
「で、おまえは生徒になんと呼ばれてる?」
「……カリン、です。そう呼びたいと言われましたので」
「それは先手をうたれたね」
ギルはパンを食べ終えると果物籠に手を伸ばした。
「先生と呼ばせるべきだったよ。たとえ年が近くても、教える側と教えられる側の立場の違いははっきりさせておかないと」
「ああ……」
そうだったのか、と今更思っても遅い。
そういえば、学院でも教師は敬うようにと口を酸っぱくして言われていた。ということは、初日から仲良くお話などしてしまった時点から、失敗は始まっていたのだ。もっと厳しくしなければいけなかったのか。
「やっぱり、なにもかもうまくいっていないような気がしてきました」
ギルは笑い、切り分けた梨を皿に載せて私の方によこした。
「これだけでも食べなさい。なに、そのうち慣れるさ」
夕食の後で私は、問題をたくさん解かせるときはまるっきりテストみたいにして時間を区切ってやればいいのだと思いついた。そうすれば時間が来たら問題を解くことをやめさせられるし、喋ろうとしたら「ほら、もう時間がありませんよ」とか言って封じることができる。
明日の準備として本を鞄に詰めていると、部屋のドアがノックされた。
「ちょっといいかい」
ギルの声だ。返事をするとドアが開いた。彼は手に書類のような紙束を持っていた。
「ニュースだ。明日の朝刊に載る」
「なんですか?」
本社から送ってきたのだろうか。
ギルは深刻な顔をしていた。つられて私も心の準備をしたが、そんなものは何の役にも立たなかった。
「またカレーラ病だ。今度はベルトラン領」
指先まで、一気に冷えた。
「これがその記事。目を通して、なにか気づいたことがあったら教えてくれ」
「……はい」
ギルは私を気遣ってくれたのか、すぐに部屋を出て行った。
ベルトラン西部、メルニエにてカレーラ病発生の疑い――
見出しだけで、手が震えた。まともに読み進めることはできそうになかった。
どんなに強い感情も、持続するものではない。怒りも悲しみも、痛みも苦しみも、激しく吹き出した後は冷えていくしかない。
そうして冷え固まったものは、がさがさとした表面になり、心を覆ってくれる。己を偽るための鎧になる。
けれどまだ、奥底には眠っているのだ。
この冷え固まった鎧の下、地表の底に、うごめきつづける熱が。