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第6話 七の月 三藍の日(3)

「ときどき難しい言葉もあるけど、面白いわよ。特に、リンドブラードの章が気に入ったわ。寒い国の話」

 アディナは得意そうに、リンドブラードではどのようにして冬を過ごすかということを解説しはじめた。どうやら本当に読んでいるようだ。

 私はぱらぱらとその本のページをめくったが、すぐに閉じた。

「この手の本は、書いてあることが全部本当とは限りませんから、頭から信用しないことです。嘘ではないにしても、読者を楽しませるための誇張も含まれますからね」

「そうなの?」

 やや不満そうに彼女は唇をとがらせた。

「ええ。……すみません、私の方から話しかけたりして。続きをどうぞ」

「もう解けたわ」

 いつの間に。

 どうも甘く見ていたようだ。席に戻って採点してみて、ますますそれがはっきりした。

「満点です」

 驚いた。最後の二問はひっかけようと思ってそれなりに難しくしておいたのに。

 アディナは特に嬉しそうでもなかった。ただ紙がないので落書きする場所を求めるかのように、手に持ったペンをくるくると宙で動かしていた。

 ここで私は困ったことに気が付いた。この二十問を材料にして、なぜ間違ったのかを確かめたり正しい解き方を解説したりするつもりが、全問正解では授業らしい授業にならないのだ。つまり、教えることがなにもない。

「ええと……。このあたりは解けるようですから、もう少し先の内容に進みましょうか。ちょっと待ってください」

 私は改めて問題を作り直すことにした。教科書を広げて、よさそうな問題を抜き出して。そうだ、計算式を並べるだけでなく、式を作るところからはじめる問題も入れてみよう。

 こんなことなら待ってる間に作っておくんだった。

 急いで二枚目の問題を完成させて、アディナの前に置く。

「どうぞ。次も満点を目指してくださいね」

 なんの仕掛けもないのに、アディナは紙をひっくりかえしたり透かして見たりした。それから、机の上でぴんと伸ばして、ようやく問題に視線を落とす。よしよし、その調子。

 一問目が正解するかどうか、うろうろするペン先を眺めていたのだが、そういえば見ていてはいけなかったのだと思い出し、窓の方に顔を向けた。相変わらずいい天気だ。いつの間にか吹きだした穏やかな風が、カーテンをゆらゆらと揺らしている。なんて心地いいんだろう。ふくらんでは戻り、ふくらんでは戻りを波のように繰り返すその動きを眺めているうちに、まぶたが重くなってきた。

 やばい。

 慌てて姿勢を正すと、金の糸が紙の上に散らばっていた。どうやら私が目を逸らしている間に、アディナも眠気に襲われていたらしい。うつぶせになっているのを、まさか髪を掴んで引っ張り上げるようなわけにもいかないので、私は机を叩いた。

「ほら、しゃきっとして! 続きを解くんですよ」

「――ぁ、はい」

 がばっと頭を上げたアディナは、指から転げ落ちかかっていたペンを握り直した。

 あぶないところだった。二人して寝入ってしまったりしたら、ダニエラがお茶を持ってきた時なんと思うだろうか。そうだ、今のうちに次の問題を用意しておこう。集中すれば眠くなんかなるはずがない。

「カリン」

 問題が中ほどまでできあがった時、アディナがまた声をかけてきた。かわいいからってもう騙されないぞ。ここで甘い顔をすればますますまともな授業が遠のいていくのだから。

「静かに」

 冷たく言い返すと、アディナは少しの間ペンを動かしたが、またその手を止めて顔を上げた。

「あの、座っているのに疲れたわ。ずっとこうしているんだもの。立っていい?」

「ああ」

 そういえば授業を始めてからずいぶん経っている。

「では、休憩しましょうか」

 アディナはぱっと立ち上がった。

「ダニエラにお茶をもってきてって言うわ」

 勢いよく扉を開けて、部屋を出て行くその後ろ姿は、とても疲れているようには見えなかった。

 集中力が切れるというほど集中もしていないし、肩が凝るほどペンを動かしてもいないし、だいいち昨日は同じだけの時間ずっと座っておしゃべりをして、疲れたなんて一言も言わなかったくせに。

 私はため息をついて、開いたままの扉を見つめた。誰もいない今のうちに、首を回し、両腕を上げて背筋を伸ばす。実際、疲れたのはこっちの方だ。



 結果、アディナは三枚目でようやく一問、間違いをした。それはまったく単純な計算ミスによるもので、それを指摘すると彼女は「ああ、そうね」とだけ言ってさらさらと直した。この日まともに先生らしいことをしたのはそれだけだった。

 式を作る問題になると、アディナの手は元々遅いのがもっと遅くなり、わからないなら空欄にして出してもいいですよと言うのに、まだ考えているのと答えて採点をさせようとしなかった。それでますます無為に時間が費やされてしまった。

 最後にアディナはこう呟いた。

「退屈だったわ」

 それはまったくこっちの台詞だった。あんたが真面目に取り組んでよそ見をせずに問題を解いたら、私はただぼーっとして座ってるか黙って部屋をうろついてるかだけの時間を過ごさずに済んだのに。

 ……と、言い返すわけにもいかないので、ただ「明日は歴史のお勉強にしましょう」とだけ宣言して帰ってきた。




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