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第5話 七の月 三藍の日(2)


 彼女のむきだしの腕に、何本ものリボンが巻き付けてあるのがふと気になった。なんのために巻いてあるのだろう。おまじないかなにかだろうか。手首の辺りなんて、ひとりで巻けるとも思えないし、ダニエラかユーリエにやってもらっているのかもしれない。

 そういえば、頭のリボンは昨日と違って青だ。白いレースの方が髪に似合ってたな。どうでもいいけど。

 なのに見てしまう。要するに私はヒマなんだ。あんまりこの子がぐずぐずしてるから。

 まったく、アディナの格好はどこもごてごてしている。人形のどれよりもにぎやかで、統一感がない。だけど、首のペンダントだけは昨日と同じだ。他と違って派手さもない。鈍い色の、水晶みたいな石がついてる。なんだろう。

「ねえ、あそこの本棚に映っている光、見て」

「え?」

「まるで蝶々みたいじゃない?」

 アディナはペン先で本棚を指した。私はそちらではなく、彼女の手元の紙を見てみた。呆れた。やっぱり全然進んでないじゃないか。

「……よそ見をしないで、続きを解いて。真面目にやりなさい」

 アディナは不服そうに、ペンについた羽根で金の髪を撫でた。

 いったい、授業をはじめてからどれだけ経っただろう。なにをどうしたらこれだけ気を散らすことができるのだろう。予定では、もうそろそろ全部解き終わって、採点をして、解説をはじめているはずだったのに。

 今度よそ見をしたらなにか言ってやろうと思って、アディナが顔を上げるのを待ちかまえることにした。金の髪はあいかわらず柔らかそうで、差し込む光を受けている一部分だけがまるで湖面のようにきらきらしていた。ふうっと重いため息をついた唇は、とがるとピンクが薄くなる。

「……カリン」

「なんですか」

「そうやってじっと見られていると緊張するの」

「ああ……。そうですね。では見ませんから、進めてください」

 見てなかったって解かないくせに。

 まあ、確かにじろじろ見られるのは気持ちのいいもんじゃないだろう。彼女が解き終わるまでの間、初等学校用の内容をもう一度さらっておこうと考えて、私は教科書を開いた。

 昨日問題を作ったときに使ったものには一応、線を引いてある。そのまま出した問題もあれば、数字を入れ替えて使った問題もあり、様々だ。ページをめくっていくと、徐々に難しくなっていく。章が変わると、三角や四角の図形の組み合わせが載っていた。

 そういえばやったな、こんなの。クイズみたいでちょっと楽しいんだ。懐かしい。もうずっと前に、ひとりで父さんの書斎にもぐり込んで――

 馬鹿。

 どうかしてる。こんなの今さら見直さなくたってできる。なんで思い出すんだ。

 私は席を立った。フィリーネの先生が試験の最中にするように、ぶらぶらと部屋を回ってみるのもいい。

 授業っていうやつは、どうすれば進むのだろう。学院の授業は、ただ先生の話を聞いて黒板を写して、あくびをかみ殺すだけで終わっていた。どれも退屈で簡単だった。けれど教える方ではなにかと苦労があるのかもしれない、と初めて思った。ただ困ったことに、ここには教壇も黒板もない。参考にしようにも、違いすぎる。

 窓の側まで歩いて、ウィーダの籠をのぞきこむと、つんとそっぽを向かれた。主人ともども、まったく気が合いそうにない。

 空は晴れて、端の方に薄い薄い雲が頼りなく流れていた。天使は雲上にある天の世界から来たっていうけど、あんな雲の上には危なっかしくて住めないだろうな。

「まだですか?」

 天候の観察にも飽きて振り返ると、「もう少しよ」という返事が聞こえてきた。頼もしい答えだが、信用はまったくできなかった。

 太陽が進んでしまったせいで、アディナが本棚に見つけた光の蝶はゆがんで、いびつなブーツのようになっていた。

 ずらりと並んだ背表紙は、辞書から図鑑、小説まで幅広く、どう見ても子どもが読めるような代物ではないものも混ざっている。たぶんこのクルミの本棚はここに元々置いてあったもので、アディナが部屋の主となる際に移動させる手間を惜しんだだけなのだろう。よく見れば、どの本も少し古く、脂がしみこんでいた。

 誰がこの本棚を使っていたのだろう。なにか手がかりになるようなものがあるかもしれない、と思って背表紙をひとつひとつ確かめると、妙に真新しい本が紛れ込んでいるのに気が付いた。

「外つ国、訪問記……」

 意外だ。たった一年前に出た本が、ここにあるなんて。

「え? ああ、それね。前の先生が置いていったの」

 私の声が聞こえたのだろう。アディナが体をひねってこちらを向き、わざわざ教えてくれた。

「まだ最後までは読んでいないけど、だいぶ進んだのよ」

 その栞のところまでね、と得意そうに彼女は言った。

「――こんな本を読むんですか? あなたにはまだ難しいでしょう」

 学院では流行していたが、あそこの学生は皆、私より四つも年上なのだ。その彼女たちが見栄をはって読むような本を、ひとりで読めるなんて、この子どもは案外頭がいいのかもしれない。




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