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第54話 八の月 四黄の日(2)




「じゃあシュテフ、これを馬車に持って行って、かわりに連れてきて」

 アディナに本を渡されて、シュテファンは出て行った。アディナは私の袖をつかまえ、背伸びをして囁いた。

「カリンって本当は何者なの? 正義の味方? それともやっぱり魔法使い?」

「……秘密です」

「フィリーネ女学院の生徒っていうのは嘘なの?」

「いいえ、本当ですよ」

「よかった。じゃあ手紙はちゃんと届くのね」

 絶対返事を書いてね、とアディナは念を押した。

「ええ。綴りが間違っていたら教えてさしあげます」

「もう!」

 そこへシュテファンが戻ってきた。手には鳥籠を提げている。ウィーダまで見送りに来てくれたのか。

「ありがとうシュテフ。あのね、カリン、お願いがあるの」

「なんですか?」

 シュテファンから鳥籠を受け取ったアディナは、それを私の方へ差し出した。

「ウィーダを飛べるようにしてあげて、前言っていたみたいに。そして自由にしてあげてほしいの。カリンならできる?」

「……それは、たぶん。でも……、いいんですか」

 アディナの目に迷いはなかった。

「うん。いいの」

「わかりました。お任せください」

 私は鳥籠を預かった。ウィーダは揺れに驚いて羽をばたつかせた。

「ありがとう」

「いい子でね。さよなら」

 アディナはウィーダのくちばしをつついて、それから私を手招いた。なにか言いたいことでもあるのかとしゃがむと、彼女は私の頬にキスをした。

「……あのね、あたし、あなたのことが大好きよ」

 まるでとっておきの秘密を打ち明けるかのような、真面目な表情だった。私は溜め息をつきたいような、笑いたいような泣きたいような、変な気持ちになって、アディナの頭をくしゃくしゃに撫でた。

「ありがとうございます。私もですよ」

 アディナはくすぐったそうに笑って、逃げるように離れた。

「また会える?」

 おそらくそれはかなわないだろう。水の神殿に住む天使に、一市民が対面を望むことなど許されない。

 これが最後だ。

「ええ、きっと」

 けれどそれは言わなかった。

 アディナはうなずいて、そして、じゃあまたねと手を振った。

「お元気で」

 シュテファンに手を引かれ、アディナは馬車に乗り込む。私も外に出て二人を見送った。馬車が角を曲がっても、音が聞こえなくなっても、まだそこに立っていた。

 姿が見えなくなっただけで、あの子がもうこの世界のどこにもいなくなったような気がした。

 まるで、この夏の全てが幻だったみたいに。



 夢の中にいるような気持ちで玄関ホールに戻ると、ウィーダが鳴いて出迎えた。そうだ、まだおまえがいたな。

 指を差し込んでやると、さっそくつつきにきた。

「痛いぞ、ウィーダ」

 文句を言いながらも、指はそのままにした。きっとこいつも寂しいだろうから。

「ただいま」

 振り返ると、ギルがそこにいた。

「おかえりなさい」

 そういえば、昨晩ようやく仕上げた原稿を出しに行っていたのだっけ。

「どうしたんだ、これ」

「ウィーダです」

 それはまったく質問の答えになっていなかったが、ギルはそれで納得したように籠の前に座り、おもしろそうに眺めた。

「置き土産か。これから出発するっていうのに、荷物を増やしてどうするんだ?」

「……送る荷物を増やしますから」

 ギルが指を差し入れると、ウィーダは嫌がって逃げた。

「ははは、人見知りするんだな。おまえみたいだ」

「いじめないでくださいよ」

 籠を動かしてギルから遠ざける。ギルは立ち上がってそして、なぜか私の頭をぽんと叩いた。

「なんですか」

「元気を出せ」

 まったくもう。

 私は鼻で深く呼吸した。引き結んだ唇が震えた。ギルはしつこく頭を叩いた。

「大丈夫です。――これでも、私は元気なんですよ」

 声は震えなかったので安心した。泣くのはアディナの前だけでたくさんだ。かっこ悪い。

「今までは死んでいるのと同じでした。でも今は、素直に悲しいと感じることができるんです」

 だから大丈夫だ。もう大丈夫。無理に昔のことを忘れようとすることも、幸福に生きる人間を妬むことも、夜の空白に怯えることも、しなくていい。

「感謝しています。あなたは私が私であることを忘れさせてくれた。その方法を教えてくれた。だから、私はようやく過去の私と向き合うことができるようになったんだと思います」

「そうか。よし」

 ギルはとどめに私の背中を強く叩いた。ちょっとだけよろめいたが、なんとか踏みとどまる。

「じゃあ、支度支度。今日中にアイスラーを抜けるぞ」

「はい」

 私は無理矢理に笑った。そうすることで、少しだけ楽になった。


 聖歴二六年、八の月、四黄の日。

 私は馬車に乗ってケルステンを離れた。まだ休みが残っていたとしても、その日、私の中では確かにひとつの季節が終わったのだった。

 遠ざかっていく町に、私は永遠の別れの言葉を呟いた。


「さようなら、強がりのお嬢さん」




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