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第52話 八の月 四赤の日(7)




 スヴェンの手から銃が落ちた。その体がゆっくりと力を失って崩れ、地に伏せる。赤いものが床へ流れ出す。

 そして彼の陰に隠れていた戸口の方向から、背に光を受けて、ひとりの男が歩いてきた。手には黒光りするいびつな形のなにか。髪はココア色、瞳は夜のような黒で、襟飾りのついたシャツを着ている。唇にはわずかにのぞく微笑み、そこからこぼれだした言葉は、いつものふざけた調子の、明るい――

「やあ、よかった、間に合ったようだね」

 レオポルト・グラーフ・フォン・フラウンホーファーだ。

 私はその声でやっと正気に返った。アディナが撃たれて、神がそれを救いに来たかのように幻想していた。

 神だって? 馬鹿馬鹿しい。

 アディナは傷ひとつ負っていなかった。ただぐったりと気を失っているだけだ。

 私は力ないその体を抱きしめた。今になって、指先が震えだしていた。

「これ、珍しいだろ? 新しいモデルなんだよ。小型化して精度も上がってる」

 レオが持っているのは、どうやら銃だ。さっきのは、まぎれもない銃声だった。撃たれたのは、スヴェン。

 私の目の前で倒れ伏している、その男。

「……死んで……」

 ワインの臭いに血液のそれが混じりはじめた。

「もちろん、殺すつもりで撃ったからね」

「どうして!」

 床に赤い色を広げている彼のどこかズレた親切や、ユーリエの心配そうな顔がぐるぐると脳裏を駆けめぐった。なにか大きなものを失ってしまったという気がした。

「どうしてって、もちろん、君たちを救うためにさ。間一髪だったろう? 感謝のキスをくれないのかい」

 かわいそう? いや、この男はたくさん殺した。そんな考えはきっと間違っているのだ。思い出せ、あの日を。焼け落ちた村を。

 だが憎しみを呼び起こそうとしても、わき起こるのは苦い思いだけだった。

「こ、殺すことはなかったでしょう。なにも……」

 アディナをそっと降ろし、彼の心臓が完全に止まってしまったのかどうか、確かめようと手を伸ばした。私は、甘いのだろうか。おかしいのだろうか。ただ混乱しているんだろうか。

 許せないと、思っていたはずだ。償わせたかったのか、謝ってほしかったのか、いや、もしかして――

 私は、私も、スヴェンが後悔して銃をおろすのだと信じていたんだろうか。

「即死だよ。じゃないとおチビちゃんが苦しむじゃないか。シュテフから聞いたんだろう?」

 私のナイフを腕に受けた男が、うめいて体を起こした。そちらに素早く銃を向けて、レオは平然と続けた。

「そこ、生きていたいなら口ひとつ動かすな――いくらこんな悪党で、たいして親密でなかったとは言っても、目の前で大怪我されちゃひどい影響を受けるんだよ。気絶で済んだのは痛みが一瞬だったからさ」

 足音がして、私は戸口に目をやった。入ってきたのはシュテファンだった。彼はいつも通りの無表情だったが、私はなぜかほっとした。

「シュテフ。遅いじゃないか」

 振り返りもせずにレオが言う。それに答えながら、シュテファンはアディナの傍に膝をついた。

「申し訳ありません。途中、目を覚ましたもので、捕縛に時間がかかりました」

 どうやら、私が荷馬車のところに転がしてきた二人のことだ。

「なぜここがわかったんです?」

 今さらその疑問を思いついて口にすると、シュテファンが少し柔らかい表情を浮かべた気がした。

「あなたのお陰です。レシリア様のブローチは、天使が身につけるとその居場所を示すんですよ」

「そう。君の親切が、君とおチビちゃんの命を救ったというわけさ」

 ということは、昨日の祭りで比較的早くシュテファンが駆けつけてくれたのも、途中までアディナがブローチをつけていたせいなのか。

 この小さなブローチにそんなことができるとは思えず、私はまじまじと蝶の羽を見つめた。

「あれ? どうしちゃったのこれ。しわしわになってるじゃない」

 不意にレオが声をあげた。見ると、木箱を覗き込んでいる。

「ああ。それはアディナ様が、光呪で」

「……これだけの量をいっぺんにか。大したもんだ」

 レオは頭をかいて、それから視線をさまよわせた。私もつられて周囲を見た。倒れている男たちは動き出さなかったし、腕をやられた男は青ざめながら傷口を押さえているだけだ。

「で、これはなんなの?」

「名前はわかりませんが、毒があります。この秘密を知られたと思って、スヴェンは私たちを……」

 どこかにひっかかりを感じた。

 それが何か、考えている余裕はなかった。外から人の呼び合う声がしたからだ。

 私は思わず身構えたが、レオはのんびりと言った。

「おや、保安局もやっと来たみたいだね。事情の説明は僕がするから、シュテフ、おチビちゃんを連れてってくれ。これ以上ここにいるのはまずい。カリンは」

 シュテファンがそっとアディナの額を撫で――きっと顔にかかった前髪でも払ってやったのだろう――その体を軽く抱き上げる。金の髪がリボンと一緒になって揺れた。

「アディナ様が心配だろ。一緒に行っていいよ。詳しい話は後で」

 レオは私の心を読んだかのように笑った。役所に連れて行かれて調べを受けたりするのも困るので、私は素直に彼の言葉に従うことにした。




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