第51話 八の月 四赤の日(6)
「おじさん! 毒の実を育てていたって本当なの? たくさんの人を病気にしたの?」
「それは……」
スヴェンは怯んだ。私はナイフを持った手を背に隠して立った。皆がアディナに注目している今のうちに、不意をつくべきだろうか。いや――
「そんなことは、決して。なにか勘違いをなさっているのではありませんかな」
アディナのペンダントがじわりと光を放っている。私はとっさに声を出した。
「あなたはお金を使いすぎ、家の財産に手をつけても足りず、あの別荘も手放す寸前でしたね。それが今では使い放題に有り余っている。どうやってそれほどの大金を手に入れたんです?」
一同の視線が私に集まる。
思っていたほど胸は痛まなかった。高揚もしなかった。私に残された全てを奪っていった張本人を前にして、ただ淡々と問うた。
「なぜカレーラだったのですか。偶然ですか、ヴァン神に逆らう者たちの住む場所だったからですか。あなたのしたことは……」
「そうか、やはりきみは俺を調べていたんだな。そのガキもグルか。なにが家庭教師だ。なにが天使だ! 大人をからかいやがって。俺を騙してたんだな。姉さんもか! 裏切ったんだ」
銃を振り回しながらスヴェンは言った。
「おまえたち! このガキ共を始末しろ」
私は腕を上げ、一番近くにいた男にナイフを投げつけると同時にアディナの方へ走った。私がたどり着くより早く、アディナは大男の腕から抜け出していた。
彼は口を押さえてよろめき、這いつくばる。採光を使われたに違いない。
想像通りだ。救済の天使には、その逆のことも行える。ただ、教団側が喧伝しないだけだ。
私はアディナの手をつかむとすぐ、オークの大樽を転がし、木箱の陰に駆けた。直後に銃声。アディナがびくりと体をすくめる。
樽の一つに穴が開いたのだろう。酒の臭いがますますきつくなった。
ナイフは無事に命中したので、相手にしなければならないのはあと三人。うち一人が銃を持っている。
こちらの投げナイフはあと二本。接近戦に持ち込んで、一人はナイフ無しで仕留めたいところだ。けれど、アディナをかばいながら、どうやって? うまくいく見込みは少ないが、とりあえず出口を目指すしかない。
酒瓶を片手に襲いかかってきた男の一撃をかわし、足をかけようとしたが失敗した。
「アディナ、外へ!」
アディナは苦しそうに胸を押さえながらも私の声に従おうとした。もう影響が出ている。早くしないと。くそ、スカートが動きづらい。
アディナを追いかけようとした男に背後からナイフを投げ、これであと二人。酒瓶を持った男は執拗に殴りかかってくる。隙はあるのだが、力任せな動きは対処しづらい。しかも、こちらは銃でも狙われているのだ。
ナイフはできれば銃を持っているスヴェンを止めるのに使いたい。この男はなんとかこのまま倒さなければ。だがそう思った次の瞬間、勢い余ったのか、男の手から瓶が飛び、私の手に当たってナイフを見当違いの方向にはじいた。男がうろたえたその拍子に、私は懐に飛び込み、男の腹に肘を思い切りめり込ませた。
男が仰向けに倒れる。あと一人。
私は板張りの床に転がったナイフを拾いに走った。
もう少し。届け!
「そこまでだ」
私の目の前で、ナイフが革靴に踏みつけられた。
スヴェンが私の頭に銃口を向けていた。
「おまえを雇っているのは誰だ。ギルベルト・マクシウスか。革命家気取りが、凝った真似をしてくれる」
撃たないのは私から情報を引き出そうとしているからだろう。
さて、どうする。もうナイフはない。出口はスヴェンの向こうにある。動けば撃たれるだろうし、動かなくともいずれ口を封じられる。挑発すれば逆上するかもしれない。かといって黙ったままでも不興をかうだろう。
「勘違いをしておられるようですが、私の後見人は革命家ではありません」
私は膝をついたままの姿勢で言った。落ち着け、エルナン。今のうちに呼吸を整えて、隙を探すんだ。
「ディーリアス難民の出だろうが。奴等はみんな逆徒じゃないか。自分の国を捨てて逃げたんだからな」
ひどい偏見だ。私はつい辛辣に言い返すところだったが、それをさえぎったのはアディナだった。私の前に立ちはだかり、両腕をひろげてかばうようにする。
なんで逃げてないんだ、馬鹿。
「もうやめて、おじさん」
「退け」
スヴェンは短く言いはなった。
「あたしは第四十八番天使、アディナよ。そのあたしに銃を向けるの?」
アディナの声は堂々としていた。私から見えるのは後ろ姿だけで、表情はわからない。
「もうそんな話を信じるものか。ガキだからと言って容赦はしないぞ」
言葉とは裏腹に、スヴェンの両手で支えられた猟銃は小刻みに震え、狙いは定まっていなかった。
「ううん、わかるわ。迷っているでしょう。――あなたは信じているはずよ」
アディナが一歩踏み出し、スヴェンはつられたように一歩下がった。
引き金が引かれたら、アディナを抱えて伏せるしかない。だけど間に合うだろうか、いや、そんなの無理に決まってるだろ。引こうとする前にそうしなきゃいけない。
「動くな!」
私は固唾をのんでスヴェンの様子を見つめていた。スヴェンは撃つだろうか。それとも銃をおろすだろうか。祈るような気持ちになりながら、すぐ動けるように体中を緊張させていた。
アディナがまた一歩、進もうとする。
「やめろ――」
刹那、耳を裂く乾いた音が響き渡った。
アディナが声もなく私の方へ倒れ込んできた。膝の上に金の髪が広がり落ちた。
衝撃で私の胸は深く痛み、呼吸は止まり、なにも考えられなくなった。ただ目の前に映し出されるものだけを見ていた。