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第50話 八の月 四赤の日(5)



「もういいですよ。降りてきてください」

 手を差し伸べると、ぽかんと口を開け目も見開いたアディナがはじかれたように寄ってきた。

「すごいわ。やっぱりなにか魔法を使ってるの? カリン」

「いいえ、訓練したんですよ」

 両脇の下に手を入れて支えながらアディナを地面におろした。

「勉強は簡単でしたが、こちらは難しかったです」

「そう? でも、とっても強いと思うけど」

「お褒めいただきありがとうございます」

 私はアディナの手を握ったまま、馬車の陰からあたりを見回した。道の途切れたその先には一見なにもなかったが、草を踏み木立をぬって奥へと進むと、窪地に板壁の建物があった。ずいぶん新しそうだ。

 鍵がかかっていないどころか、戸口はわずかに開いていた。私は息を詰めて中の様子をうかがったが、なにひとつ動く様子はなかった。

「これ……、おうち、じゃないわよね。倉庫かしら」

 逆らいがたいなにかに背を押され、そっと内部へと足を踏み入れる。建物の中は広く、アディナの言う通りどうやら倉庫のようだった。

 つんと鼻をつく香りが充満している。

 どこにも人の気配はない。残りの男たちはどこへ行ったのだろうか。まだ屋敷の近くをうろついているのだろうか。

「入って大丈夫なの?」

 もちろん、そんなわけはないだろう。安全を第一に考えるなら、山に入って隠れる方がいい。荷馬車を使って逃げ帰るという選択肢も考えられるが、あいにく馬を操る訓練はしたことがなく、自信がなかった。お嬢様学校などではなく普通の高等学院に入っていればそれを学ぶ機会もあったかもしれないが、今さらそんなことを言ったってどうしようもない。

「なにか、動かぬ証拠を持ち帰りたいんです。二度とこんなことができないように」

 それは私のわがままだった。真実を知りたい。スヴェンにカレーラのことを問いつめたい。結局のところ私を動かしていたのは、自分でもどうしようもないほどに強いその欲求だけだった。

 なにをする場所であるのかはすぐに知れた。木箱の他に大樽や瓶が積まれていたからだ。

「お酒の臭いがするわね」

 種を抜かれた赤い実がきれいに並べられているのを見ながら、私はうなずいた。

「保存がきくように加工していたんでしょうね、ここで」

 混成酒にして売っていたのか。とすると密売の噂は本当だったのだ。

 赤い実で埋め尽くされたおぞましい木箱をのぞきこみながら、私はふとあることを思いついた。

「アディナ様、採光は生命力を集めるもの、でしたよね」

「そうよ」

「たとえば、この実からでも?」

「もう摘んであるから、どうかわからないけど。でもまだ光はあるわね、きっと」

「毒があっても平気ですか」

「たぶん関係ないわ、だって病人からだって光は集められるのよ。……もちろん、普通はしないけど」

 アディナの胸元の石は、ハーブに光を使ったために輝きをほとんど失っていた。

「ためしてみる?」

「ええ、全部だめにしてやってください」

「じゃあ、ハーブ園の時みたいに、あたしのこと支えていてね、カリン」

 冷命石を握り、片手は空にかざして、アディナは呼吸を整えた。私は彼女の肩に手を置いてそれを見守っていた。

 そういえば採光を見るのははじめてだった。水面に映った像が波に揺らぐように、眼前の世界がおののき、乾いていった。

 私は思わず目を伏せた。

 酒の臭いのせいか、酔ったような気分になる。目を開けるともう終わっていた。棚に並べられたものも箱の中に詰まったものも、同様にしなびている。

「どう? うまくできたと思うんだけど」

 アディナが私のほうに向き直り、そして表情を変えた。

「……うしろ!」

 私は手に取っていた実を放り出し、とっさにアディナを抱えてしゃがんだ。

「ガキが。ここでなにしてる」

 ひび割れた声が鳴る。肩越しに振り返る。男が二人、いや三人。また一人、入ってくる。これで四人。

 納屋で囲まれた時とたいして変わらない状況になってしまったが、あそこよりは広く障害物が多いのが救いだろうか。

「本当にこいつらにやられたんですかね?」

「他にいねぇだろうが。それともあいつらが仲良く滑って転んだとでも言うのか」

 どうする。無力な振りをするか、開き直るか。もう保安局に通報したとでも言ってみるか、それとも先手必勝、打って出るか――

「さあ、お嬢ちゃんたち、動かない方が身のためだぜ」

 アディナが私の腕を強く掴んでいた。

 そうだ、私がしっかりしていないと、アディナはまた悪意にあてられて倒れてしまうだろう。私は近づいてくる男を睨んだ。一番体の大きな、がっしりとした男だった。果たして、勝ち目があるかどうか。と、私の腕からすりぬけて、アディナが駆けた。

「アディナ様!」

「動くなと言ったろうが」

 あっという間に捕まったアディナは、男に腕を掴まれてもがいていた。私は腰を落とし、忍ばせていたナイフに手を伸ばそうとした。

「よさないか! その方に手を触れてはいかん。天使様だぞ!」

 駆け込んできたのはスヴェンだった。

「おじさん」

 アディナは明らかにほっとした様子で、スヴェンを見た。スヴェンは猟銃をさげ、いつもは撫でつけている髪を乱して、ひきつった様子で言った。

「本当にこちらにおられるとは……」

 天使だって? と、男たちは顔を見合わせている。信じられないのも無理はない。私はその隙にナイフを三本引き抜いた。




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