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第47話 八の月 四赤の日(2)




「病気だったの。光呪でも治せなくて、どんどん悪くなって……、あたし、毎日お母様の部屋へお見舞いに行ったわ。だけど」

 小さな声がわななく。私は背を曲げて、彼女の顔をのぞき込むようにした。

「病気のお母様の側にいたら、あたしまでなにも食べられなくなって……このままでは死んでしまうからって、お見舞いにも行けなくなって、でも会わなくても同じ神殿の中にいるでしょう。それで……、あたし、ダメだったの。どうしても毎日悲しくて苦しくて仕方なかったの。そしたら、ユーリエがここに連れてきてくれたのよ」

 それでは、この子は母の死を待つためにここにいたのだ。

 生まれ持った力のために、弱っていく母の側にいることを許されず、ここでただ終わりの日を待っていたのだ。

「あたし、苦しくはなくなったけどやっぱり悲しかったの。元気になろうとはしたのよ。だけどどうしてもできなくて……」

 まばたきをすると彼女の柔らかそうなまつげに涙の粒がついて、陽の光にきらきらと輝いた。

「あのね、はじめからわかってたのよ。カリンはあたしに優しい人だって。だから……、カリンといるととっても楽だったの。遊んでくれてありがとう」

 どうすればこの子の涙を止められるだろうかと思いながら、小さな頬を拭った。けれどあとからあとから涙があふれるので、赤く染まった頬の全体を濡らしてしまっただけだった。

「どうしてあたしのがうつるの? カリン。おかしいわ」

 逆じゃないの、とアディナが笑った。天使の手が私の頬に触れた。いつの間にか、私まで涙を流していたのだ。

「私は……。これは、あなたがいけないんです」

 泣くなんていつ以来だろう。涙を拭われながら、感情が伝染することは確かにあると思った。なにもおかしくはない。ただそれが人より強いだけなのだ、彼女は。

 私は金の髪を撫で、それから、いつかそうしたように額を近づけた。

「あなたが悲しいから、悲しいだけです。でも、そろそろ泣くのはやめて、帰りましょうか?」

「うん」

 いい返事だったが、涙が止まっても、私たちはしばらくそこにいた。戻ったらもう別れなければいけないことを知っていたから。ぐずぐずと手を繋いでそのへんを歩いて、色々なことを話した。一ヶ月も一緒にいて、たくさん話をしたはずなのに、まだまだ足りないという気がした。

 たくさん生えている背の低い木、そのひとつの前で不意にアディナが立ち止まった。

「実がなってるわ。こんなところに、ほら」

 アディナが葉を持ち上げると、確かに赤い実がぶらさがっていた。取って欲しいというのでねじって切り離し、渡した。

「綺麗……。宝石みたいね」

 彼女の言葉に、なにかを感じた。せき止められていた水が一気にあふれ出したように、記憶が頭の中を駆けめぐった。

 宝石みたい。鮮やかな赤い実を両手にくるむように持って、嬉しそうに笑った、やせこけた顔。ああ、そう、ちょうどこれと同じような赤で、あの実は――いや、違うそうではない似ているのではなく本当にこんな感じのまさにこの実だった。笑っていたのはカタリーナ、あの子だ。あんな風に心から笑っている顔を見たのは最後だった。ちゃんと覚えている。

「食べられるかしら?」

 そうだおかしい。はじめにここへ来た時、あんなにたくさんなっていた青い実が、熟しているのを一度も見なかった。葉に隠れたひとつだけが残されて、それ以外、きれいになくなっている。

 誰かがここに来て、全部持って行ったのだ。あの通路はそのためにあった。

「いけません」

 とっさにアディナの手から実を払い落とした。そうだ、これだ。悪魔のように赤い実。名前はあの時も知らなかった。宿に泊まっていた貴族の人が、お礼にってたくさん置いていったらしいの。そう言っておばさんはジャムを作っていた。翌日の祭りでふるまうための料理だった。豆をむくのを手伝っていた私とカタリーナは、特別にとひとつずつ、その実をわけてもらった。宝石みたい、とカタリーナは笑った。甘くておいしい、と喜ぶので、自分の分もカタリーナに渡した。

 だから私は、私は食べなかった(・・・・・・)

「なんてこと……」

「カリン? どうしたの」

 背中から黒いものがわきあがって胸を押し潰していくような感じがした。

 おばさんの煮詰めていた赤い実のジャムは、あの祭りの日、きっとみんなが食べた。カタリーナが倒れて、医者を呼びに行った、私以外は。

 もしかして、いや、まさか。けれどそうだとしたら、それでは皆、死んだのでなく殺されたのではないか。

 首元でなにかがぴりぴりと張りつめ、それが指先にまで伝染して震えた。吐きそうだ。許せない。

 ――お兄ちゃん、苦しいの、たすけて。

「苦しい……。体が重いわ、カリン」

 私の手を強く掴んだ指に、我に返る。アディナが青くなって私を見ている。なんてことだ。目の前のこの子のことを、忘れるなんて。

 怒りがすっと冷えた。それで胸に詰まったものがなくなるわけではなかったが、今すべき事を考えるだけの余裕はできた。

 アディナの髪を撫でながら、まず落ち着かなければ、と思う。

 ギルの言葉を思い出せ、さあ。できるはずだ。

「エルナン、これは訓練だよ。人を騙せるようになりなさい。そのためにはまずおまえ自身を騙しなさい。そんなに大変なことじゃないはずだ」

「自分が自分であることを忘れてごらん、そうして別人になりきるんだ。おまえが覚えなきゃいけない一番大切なことはね、感情をコントロールすることさ」

「自分をまるごと変えられるようになりなさい。そうすれば楽になれる」

 常に他人を演じなければいけない状況に無理矢理立たされて、私はその方法を覚えた。はじめはなんの役にも立たないと思っていたけど、夢中で自分を取り繕って演技しているうちに、自然にできるようになった。あの人の言うとおり、思考まで塗りつぶすことができた。

 目を閉じて、深呼吸。私はカトリーネ。カトリーネ・エルス・マクシウス。

 残ってる心の鎧を総動員して、目を開けろ。

 絶望しようと楽観しようと、世界は同じようにそこにある。

「……もう、大丈夫ですね?」

 よし、震えてない。私はアディナの肩を叩いて微笑んだ。

「うん。だけど、カリンは」

「ちょっと嫌なことを思い出しただけ。平気です。それより急いで戻りましょう、ここは危険です」

 閉ざされた場所で赤い実を栽培していた、その人物も目的も、少し考えればすぐにわかった。

 許せない。こんなことでお金を儲けるなんて。

 私は自分ではたき落とした実を拾ってポケットに入れた。これは証拠になる。ギルに届けて、調べてもらおう。




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