第43話 八の月 第三聖休日(1)
「あら、先生。今日は聖休日ですよ」
「ええ、そうなんですけれど。昨日、アディナ様の具合が悪そうだったので、気になって」
ダニエラは、疑うことなく私を招き入れてくれた。普段ならダニエラも礼拝に出かけている時間だが、大鳥祭の今日は、夜に礼拝が行われる。皆で蝋燭をともしながら祈り、それが祭りの締めくくりになるのだ。
アディナは彼女の手持ちの中で一番フリルの少ない動きやすい服を着て私を出迎えた。シュテフにはお買い物を頼んで出て行ってもらったところなの、ちょうど良かったわ、と微笑む。
「帰ってきてあなたがいなかったらさぞ心配するでしょうね」
そういう時もあのむすっとした表情なんだろうか、と私は想像した。
「そうねえ、じゃあ、お手紙を残しておくわ」
ちょっと出かけてきます、危なくないので心配しないでください。と、紙に短く書き付けて、アディナは満足したようにペンを置き、それで準備は完了した。
外に出る時、珍しく門番はいなかった。用でも足しに行ったのだろうか。運のいいことだ。
林を歩くアディナはご機嫌だった。前に通った時は夜だったので、昼に歩くのは初めてのはずだ。
「それ、かわいいですね。どうしたんですか」
アディナの胸に留められた見慣れないブローチに気づいて褒めると、アディナはそれは誇らしげに答えた。
「でしょう? シュテフがくれたのよ」
なんだ。言うんじゃなかった。羽を広げた蝶を模った小さなブローチは、少し大人っぽくて、アディナには似合わないような気がした。いや、そもそもアディナにあげるなら、鳥のほうがいいんじゃないか。
突然アディナが息を呑むような悲鳴をあげ、私も立ち止まった。道の端に、なにか異様な茶色い固まりが落ちていた。近づいて、それが鳥だとわかった。
「……死んでるの?」
「鳥は、こんなところで寝たりしませんからね」
私は眼鏡をかけ、スカートの裾を押さえて膝を折った。目立った外傷はなく、くちばしから泡を吹いていた。猟銃で撃たれたというわけでもなさそうだ。
なにかの病気だろうか?
「――行きましょうか」
眼鏡をしまって立ちあがる。あまり見せるものでもないだろう。アディナの手を引いて、足早にその場を離れた。
「ウィーダもいつか死んでしまうのね」
アディナが呟いた。その通りだったが、なんと答えていいかわからず、私は黙っていた。この町にはまだ不吉なことが残っているような予感がした。
林を抜け、教会の尖塔が見えはじめると、楽しげな音楽が聞こえてきた。祭りが近づくとアディナは少し明るくなった。
子どもから大人までそろいの服を着てずらりと並んだ混成音楽隊が演奏をしている。それに手を振って、私たちは賑やかな通りに足を踏み入れた。
「迷子にならないように、気をつけてくださいね」
「うん」
中央通りの家々は美しく飾り立てられ、出店の謳い文句やら酔っぱらいの談義、子どもたちのはしゃぐ声が入り交じって聞こえてくる。アディナはしょっちゅうあれは何、それは何、と質問を繰り返しながら、時に立ち止まったりしゃがんだり走ろうとしたりした。手を繋いでおいたのは正解だった。
教会近くの広場では長机と椅子が並べられ、鳥のロースト――もちろん、大鳥のものではないが――にビール、ワイン、そして卵料理が売られていた。人出は例年と比べて多いのか少ないのか、わからなかったが、充分に賑やかであるように思った。気を抜くと人にぶつかってしまいそうなほどだ。
カレーラではこんな盛大なことはなかったな。規模が違うから仕方ないか。
そんな風に思ってから、意外と平気な自分を不思議に思った。オルデンベルクにいた時は、祭りなんて見るのもいやだったのに。
「わあ、かわいい!」
小さな出店にアディナは惹きつけられていた。彼女が見ているのはペイントされた卵だ。どれも派手な色づかいで題材は幅広く、鳥や雲や城や猫や貝、その他この祭りに縁のある物からなんの関連もなさそうなものまで、好き放題に描かれている。アディナはそれをひとつひとつ取り上げては絵柄を確認して楽しんでいた。
「ちょっと大きいのね。本物の卵なの?」
「ゲンゼの卵を使ってるからね。ちゃんと食べられるよ」
座って会計をしているおばさんに話を聞きながら、アディナはこれがいい、これもいい、と選り分け始めた。買う気なのか。でも、持ってないだろうお金なんて。
「五つまとめて買うなら一つおまけしてあげるよ」
その言葉に彼女ははっと手を止めた。やっぱり。
「えっと……ごめんなさい。見ていただけなの」
多分、買い物をしたことすらないんだろうな。仕方ない、これも社会勉強だ。
「はい。これで買いましょう」
出店を離れようとするアディナを引き止めて、私は肩掛けの鞄から出した硬貨を渡した。アディナは「でも」と私を見上げた。
「ひとりで買えるかどうか、やってごらんなさい」
「……うん!」