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第42話 八の月 三紫の日




 もう、夏が終わろうとしている。

 アディナはいつまでここにいるのか、それはわからないが、夏期休暇の終わりが迫っていた。あと数日もすれば私は、九の月から始まる学院の授業のためオルデンベルクに戻らなければいけない。

 ユーリエはそのことを承知してくれていたが、アディナにはまだ言っていない。ユーリエが話したかもしれないけど。

 せめてアディナがエーレンフェストに戻れるまで、学院をお休みしてここにいられないだろうか、と私は思った。天使のことを調べるためというより、ただアディナがひとりになることを心配したためだ。近頃のアディナはずいぶん健康そうに見えた。よく食べるし、庭で遊ぶようになったし、初めて会った時に比べればだいぶ頬や腕にも肉が付いていた。私がいなくなったらこの子は誰と遊ぶんだろう。レオはなんか信用できないし、ユーリエはいつも部屋の中だ。スヴェンは……、そう、一応こいつのことも気になる。結局なんの手がかりもつかめないままだなんて。

 だけどギルにも仕事があるし、わがままは言えない。

 もう二度と会えなくなるのがわかっていても、別れなきゃいけないんだ。



「明日ですね、お祭り」

「そうね」

 三紫の日、綴りの練習をしているアディナの前に、私は座っていた。

「もう飾り付けが始まっていて、皆準備に忙しいようでしたよ」

「そうなの? いきなり決まって、間に合うのかしら」

「大丈夫ですよ、毎年やっていることなんですから。……楽しくなるといいですね」

「うん」

 アディナは止めていた手を再び動かし始めた。

「行きたいですか?」

「ちょっとだけ……。だって、見たことないんだもの、そういうの」

「じゃあ、一緒に行きましょうか」

 私は思いきって言った。アディナがとても行きたがっていることも、禁止されていることも、承知の上で。

「あなたの力でできるようになったお祭りです。せっかくですから、見ないともったいないでしょう」

「そうね……。きっと人がたくさんいるけど、お祭りは楽しいことなんだし、カリンと一緒ならきっと大丈夫だわ」

 アディナは声を潜めて、嬉しそうに言った。

「連れてって。ユーリエには内緒よ」

「わかりました。こっそり行くんですね」

 大鳥の巣へ出かけた時と同じように、納屋の屋根を使って屋敷の外に出よう。門番には適当に言い訳をして行けばいい。どうせ彼が見張っているのは外からの侵入者で、アディナではない。

 お昼過ぎ頃に迎えに行きますから、と計画を立てていた時、いつもよりせわしない足音のあとにドアがノックされた。私たちは口をつぐんだ。お茶を持ってくる時のダニエラは、こんな歩き方はしない。現れたのはユーリエだった。

「アディナ様。シュテファンが参りました」

 アディナは手にしていた人形を取り落とした。シュテファン。何度かアディナが楽しそうに口にしていた、操光師のシュテフのことだろう。なのに、私の見たアディナの表情は、硬くこわばっていた。

「すみません、先生。アディナ様、お早く、こちらへ」

 ユーリエの言葉に、アディナははじかれたように駆けだした。ユーリエは歩いてそれを追った。私は……、そのまま部屋にいることなどできなかった。ユーリエに止められないのをいいことに、彼女の後をついて階段を下りた。

 ホールでは、白い服を着た一人の男がひざまずくところだった。いったん下げた頭を上げる動作は恭しく、まるでそこが舞台で彼らは姫君とそれに仕える騎士を演じているかのようだった。たぶん、似たようなものだ。天使と、それに仕える聖職者。

「シュテフ……」

「アディナ様。お迎えに参上しました」

 男の声は低く、美しく響いた。

「そう……そう」

 アディナは泣きそうな顔をした。けれど泣かなかった。

 私はその横顔を見ながら、なぜか、抱きしめてあげたいという気持ちになった。彼女が一体何に心を痛めているのかすら、わからないのに。

「お元気そうで安堵いたしました。よく、辛抱なさいましたね」

 実際には、アディナに手を伸ばしたのはシュテファンだった。私は離れて見ていただけだ。シュテファンはアディナの金の髪を指で軽く梳くようにして、ひとつ頷いた。それから、膝を伸ばしてまっすぐに立ち上がる。

 背、高いな。どれくらいあるんだ。

「あの……。明日までいてもいいかしら。今すぐ出かけなきゃいけないわけじゃないんでしょ?」

 アディナが思い切ったようにそう言い、シュテファンは少し意外そうに瞬いた。

「あたし、戻る準備をするわ。でもすぐには終わらないと思うの、だから」

 アディナはちらりと私を見てくれた。そうだ、私たちは一緒にお祭りへ行くのだ。

「はい。それがよろしいでしょう」

 そう答えたシュテファンと目が合った。アディナがいつか言っていた通りの、空のような青い瞳だった。

 いやな感じの顔だ。

 なんでこんなに不快な印象があるんだろうと真面目に考えてみる。たぶん、嫌いな誰かに似ているんだ。それが誰だかは思い出せないが、きっとそいつにはろくな目にあわされなかったに違いない。だから、世間で言えば整った顔立ちというやつに数えられるであろうこの男が、私は気にくわないんだ。

「この人はカリン。あたしにお勉強を教えてくれた先生なの。優しくて、とっても頭がいいのよ」

「どうも、はじめまして。カトリーネです」

 素っ気なくなりそうな声をおさえて、ゆっくり言う。

 シュテファンは軽く頭を下げた。

「カリン、この人はシュテフ。前に話したでしょう? あたしの操光師の」

「アディナ様……。ご身分は明かされぬようにと、あれほど申しましたのに」

「ごめんなさい、シュテフ。でもカリンは秘密を守るって約束したのよ」

 軽い溜め息の後、シュテファンはこちらに向き直った。

「シュテファン・ウーヴェ。アディナ様にお仕えしております。彼女がお世話になったようですね」

「いえ。それが仕事でしたから」

 握手のために差し出された手は大きかった。私は社交用の笑みを浮かべたが、シュテファンは眉ひとつ動かさなかった。なんて無愛想な男だろう。レオとは正反対だな。

「聞いて。あたし、送光ができるようになったのよ」

 握手が終わるとアディナはすぐに彼の腕にとりついて、それは嬉しそうに話しはじめた。次々と出てくる「報告」はほとんど私の知っている内容だった。シュテファンはそれを聞く間もほとんど表情を動かさず、よくこんな反応のない相手にこれだけ喋り続ける気になれるなと感心したほどだった。




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