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第41話 八の月 三緑の日





「潰えし息吹よ、失われし躍動よ、目覚めよ。今、我が力をそなたに与えん」

 アディナは一輪挿しを握りしめ、眉間にしわを寄せたままぶつぶつ呟いていた。特訓を始めて二日、成果は未だ現れていない。

 私はこのところだいぶ懐いてきたウィーダと戯れながら、そんなアディナを眺めていた。なんていうかどうにもこうにも、癒しの奇跡を起こす天使って顔つきじゃないんだよな。

「……アディナ様。私が意見するのもどうかと思うのですが……言ってもいいですか」

「なあに?」

「その、光呪なんですけど。どんな風に光を与えるんです? 感覚的に」

「うんとね、こう、伝われー、伝われーって、力を込めてる感じね」

 変な節をつけながらアディナは言った。

「はあ。……あの、これは個人的な考えなんですけど、そんな難しい顔をせずともよいのでは?」

「だって難しいのよ」

「いや、それはそうなんでしょうけど。でも、花を咲かせるというのはもっと、穏やかな気持ちでするものですよ。私の父は庭で花を育てていたんですが――ここのような広い庭ではなく、小さな花壇でしたけど。花や命を輝かせるのは思いやりだといつも言っていました」

「カリンのお父様は優しい人なのね」

 あの人のあれは優しさだったのだろうか。今はもうわからない。答える代わりに私は訊いた。

「あなたのお父様は?」

「あたしには……いないの」

 私はすかさず突っ込んだ。

「天使には、母親しかいないんですか?」

「そうじゃないわ。ただ、あたしは会ったことがないだけ。たぶん、どこかにいるか、いたんだと思うけど。だってそうじゃないとおかしいものね」

 そうか。天使にも両親はいるものなのか。そうなるとますます人間に近いな。

「ちょっと、お借りします」

 私は一輪挿しからバラを抜いて、棘をひとつひとつ折った。

「素人の浅知恵かもしれませんが、手をかざすより、持った方が直接に力を伝えられる感じでいいのではないかと思うんです」

 済むとアディナに渡して茎を握らせた。アディナは私を見上げて、じゃあカリンも、と言った。

「私?」

「そう。一緒に持って。そしたらあたし、うまくできそうな気がするの」

 まあ、気休めになるならいいか。私はバラに手を添えた。ちょうどアディナの手を包むようにして。

「穏やかな……、落ち着けばいいのかしら。花に水をやるように、っていってもよくわからないんだけど。想像してみて、カリン?」

「そうですね。水は朝のうちにそっと、やさしく降りかかるように……葉や花にはかからないように、土をめがけて撒くんです。とてもいい天気で、風が吹いていて……光の加減によっては虹ができます。花壇にはたくさんの蕾が。緑の先っぽにのぞいた紫や赤が、割れてやがて花になる」

 目を閉じれば、色とりどりのクラベルが咲き誇った。もうずっと思い出すこともなかった、遠い日の朝。当たり前にあった風景を。

「あっ。ねえ、ほんの少しだけ、しゃんとしたような気がしない?」

 アディナの声に目を開けると、バラは心なしか色を取り戻していた。いや、単に光のうつり具合が違っただけかもしれないが、思い込みでもいい。できるという気になれば大丈夫だ。

「もう一息ですよ、きっと」

 私のはげましにうなずいて、アディナは祈った。

「咲いてください。元気になってください」

 それは優しい願いだった。子どもを寝かしつける母の手のような温かさを思い浮かべた、その途端、私の手の中で奇跡が起きた。

 光が部屋中にあふれた。眩しく目を灼くような普通のそれではなく、あたりを取り巻く色が一気に鮮やかになるような不思議な光で、包まれている間はまるでさわやかな朝の空気を胸一杯に吸い込んだような心地がした。バラは今しがた摘んだばかりのような瑞々しさで私たちの手にあった。

「咲いたわ!」

 アディナは頬を紅潮させて言った。花と同時に彼女まで元気になったようだった。

「ありがとう、カリン。あなたのおかげよ」

「いいえ……」

 こんな笑顔は見たことがない。今の光のせいなのか、とても綺麗に見える。

「あたしわかったような気がするわ。お庭に出てためしてみましょう。ね」

 アディナの手が離れた。咲いたバラを花瓶に戻して、駆け出す後ろ姿を私は追った。



 その日の夜、私はアディナとハーブ園に出かけた。女の子だけじゃあぶないからなどと言って強引にレオも付いてきたりしたが。

 アディナはうまくやった。一度の祈りで周囲を満たし、冷命石に溜まっていた光を降り注がせた。その姿が神々しかったことは、認めなければならない。彼女は本物の天使で、そして天使は奇跡が起こせる。それは信じざるを得なかった。それ以上のことは、私にはまだわからないけれど。

 ケルステンに奇跡を起こしたのがこの小さな天使だということはほんの数人しか知らないことだったが、ともかくこれで町全体が救われたのだと皆が信じた。畑の作物まで生き生きとし、人々の表情も明るくなった。

 レオが出て行って教会長を上手く説得したおかげで――何を言ったかは知らないが――祭りの開催はすんなりと決まった。ただ、雑草も異様に元気だったことが唯一の問題で、アディナは「さすがにまだそこまではうまく使い分けられないわ」と肩をすくめた。




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