第39話 八の月 三橙の日(3)
アディナの特訓はなかなか上手くいかなかった。
庭で暑気にあてられてしまって具合が悪くなり、途中から部屋に戻って対象を切り花に変更したが、花瓶にさされたバラはしおれたままだ。
私はそもそもやり方を知らないから、励ますくらいしかできることがない。アディナは「やっぱり無理なのかもしれないわ」とまた落ち込みだしてしまった。
気分を切り替えさせようと、それからしばらく授業をした。
お昼ですよとダニエラが呼んでくれた。アディナが言っていた通り、とてもおいしいパイが出てきた。
食後に部屋に戻ると、少しは疲れも取れたのか、アディナはまたバラに挑戦しようとした。ところがそこへレオがずかずかと入り込んできて、授業見学だと言いながら空いていたアディナの椅子に陣取った。
「午後は遊びの時間なんですよ。授業見学はできません」
追い出そうと思ってそう言ったのだが、まったく通じなかった。
「そうなの? じゃあ一緒に遊ぼう。なにをしていたのかな」
「内緒よ」
アディナはさりげなく花瓶から離れてウィーダをかまっていた。練習のことは、レオには教えられないらしい。
「女同士の秘密、ってわけかい? 仲間はずれは寂しいな」
「貴方はハーブ園の調査をするためにいらしたんじゃないんですか?」
「うん、調べたよ。刈り入れてあったラベンダーは無事だったみたいだけど、残りはだいたい全滅かな。まあ僕は草花の専門家じゃないし、それ以上はわからないよ。そんなことより、僕の興味は君のような美しいつぼみにあるな、先生。君についての授業をしてくれると嬉しいんだけど」
「そこ、あたしの席よ、レオ」
「これは失礼」
アディナに椅子を奪われると、レオはソファの上の人形をよけてそこに座った。
「あー暑い暑い。ここ本当にアイスラーなの? せっかく避暑地に来たっていうのに、こう暑い日が続いちゃたまらないよ」
「わかったわ、レオ。あなたほんとはお仕事ついでに涼みに来たんでしょう」
「よくわかってるねおチビちゃん。そう、エーレンフェストはもっとすごいことになってるんだよ。日照り続きで、今年の収穫はやばいんじゃない?」
悪びれずにレオは言った。
相変わらず、ふざけているのか馬鹿なのかよくわからない男だ。ユーリエたちの前では一応、真面目な好青年の皮をかぶっているのだが、その皮もごくごく薄いものだった。
ぺらぺらとしゃべり続けるレオに、私は溜め息をついた。
アディナが気落ちしているっていうのに、心配りというものができないのかこの男は。まあできないんだろうな。他人の感情なんてまるでおかまいなしなんだから。
「カトリーネ、君ももっと楽しそうにしないか。せっかく僕といるんだから、笑顔を見せてほしいな」
あんたがいるから不機嫌なんだよ。
「まあ、申し訳ありません。気が付きませんでしたわ」
結局、レオはダニエラが呼びに来るまでずっと人形を抱いて座っていた。スヴェンが呼んでいると聞くとしぶしぶ立ち上がって出て行ったが、去り際にもまたくだらないことを言った。
アディナはおかしそうに笑ってから、もう一度花瓶の側に寄った。
「レオはあなたが天使だと知っているんですよね」
「ええ、そうよ」
やっぱり。
「他の方は?」
「おじさんには、ユーリエが話したって。ダニエラは知らないと思うわ」
「じゃあ、どうしてレオに隠したんです」
「だって……、練習して、結局できなかったら情けないもの。この特訓のことはユーリエにも秘密にしてね、カリン」
私は約束をした。
無駄話も結果的にはいい休憩になったようだ。アディナはすっかり元気を取り戻していた。
「ねえ、レオってカリンのことが好きなのかしら」
「まさか。ふざけているだけでしょう」
「そうよね。そんな真剣な感じはしないものね」
子どもにまで見抜かれてるぞあいつ。
「きっと暇なんでしょうね。仕事とはいえこんな田舎に派遣されて」
せいぜい好意的に解釈してそう言うと、アディナもしみじみと返した。
「そうねぇ。レオも操光師の勉強はしてるみたいだけど、天使庁の人じゃないものね」
「そうなんですか?」
「うん。陸軍庁だったと思うわ」
よりによって軍人かよ。
私は今より更にレオを嫌いになることにした。