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第33話 八の月 第二聖休日





 それは街のはずれにある広場でした。四方を緑で囲まれ、中央には剣を持った天使の像が立てられています。突き出されたその石の剣先は、誰に向けられているのでしょうか。悪魔ではないような気がしました。

 なんのための場所なのでしょう。広くはありましたが、昼間にもかかわらず人はあまりいませんでした。ちらほらと見かけるのは制服を着込んだ見回りの警備兵だけです。

 こんなところに彼の父親がいるのだろうかと私は不審に思いました。もしかしたら、また騙されているのでしょうか。少年は黙って天使の像を見上げていましたが、私が声をかけるより先に、ぽつりと言いました。

「父さんはここで死んだんだって」

 彼は相変わらずの無表情でした。私は思わず辺りを見回しました。聖なる白で敷き詰められた広場はひっそりと息を詰めていて、わずかな風に揺れる木々も音をたてることを遠慮しているようでした。

「神父だったんだ。占領軍に逆らって、村で聖休日の礼拝を続けてた。それで、捕まって……」

 この広場が公開処刑の地だったことを、私はその時まで知らなかったのです。突然、美しく整えられたその場が血なまぐさい臭いに包まれたように感じて、ぞっと身震いをしました。ここで何百人という旧教の信者たちが殺され、そして、彼の父親も。


 ――こんなこと書いてて、よく発禁にならないな。


「うち、母さんがよそに男ができて、出てってさ。父さんが連行されたら、オレと妹の二人だけが残される。それがわかってたのに、父さんは最後までずっと信じて、神様を信じて……、ウソもつかなかった。もう信じないってそう言うだけで、助かったかもしれないのに」

 おばさんならどうする?

 私には答えられませんでした。子どもを持ったことがなく、また、信仰を捨てよと迫られたこともなかったのですから。

「オレと妹は結局、父さんにも母さんにも、捨てられたんだ。母さんが出てったときは父さんが可哀相だと思った。母さんを許せないと思った。だけど、一緒だよ。父さんも神様を選んで、オレたちをおいてった。よその男の人を選んだ、母さんと同じ、なんだ」

「その、妹は? 今はどうしてるの?」

 少年は笑いました。けれどそれは奇妙にひきつった、悪魔の仮面のようにも見えました。

「オレがどこから来たと思う? カレーラだよ」

 カレーラと聞いて、私はさらに彼に興味を抱きました。

 普段から新聞を隅々まで読む習慣のない人は知らないかもしれないので、一応説明しておきましょう。中には読んだけれどもう記憶にないという読者もいるかもしれません。

 それは聖歴二三年、夏の終わりに起こった悲劇でした。

 アリアーガ中部にある農村、カレーラで、村人が次々に倒れ、命を失うという事件が起こったのです。原因は未だ以て不明ですが、伝染病であろうということになっています。村人のほとんどが犠牲になり、助かった者は指で数えられるほどで、波及を防ぐために村は焼かれました。前例のない病だったので、これをカレーラ病と呼ぶことになったのです。


 そう、この本が書かれてる頃はまだ、各地でカレーラ病が発生することになるなんて思いもしなかったんだ。オレもあいつも。


「オレがカレーラから来たって聞いて、逃げ出さなかったのはおばさんが初めてだよ」

 そう言いながらも、あまり意外そうには見えず、彼は淡々としていました。

 なにも感じていないかのように落ち着いて――そんな風に見えただろうか。よく覚えてないな。

「だって、半年ほども前のことだろう。カレーラ病はいったんかかったら二、三日で死ぬって聞くよ」

 落ち着いてたのは向こうの方だ。

 ああ、父さんも焼かれたんだろう。そんなことを考えながら天使の像を見上げていた。

 知らなければ幸せだったなんて嘆くのはいやなんだ。知ってしまったから、もう無知だったあの頃には戻れやしない。

「そうらしいね」

 まるで他人事のように答えると、彼は困ったように笑って手を差し伸べた。

「じゃあ、きみは一人だ」

 父さんはきっと幸せだった。最後まで神を信じていた。救いを待っていた。それがないと知ることは、認めることは、闇夜に灯りを手放すことと同じだ。

「これからどうする? 墓参りの後の予定は」

 大丈夫だ、きっと助ける。そう言って駆け出した。ベッドの中から懸命に伸ばされた手は、行かないでと呼んでいた。傍にいてやればよかったのに。今ならそう思うのに。

 そして炎に巻かれて、全ては消えた。息絶えた村人たちは罪人のように焼かれた。灰の臭いが嫌いだ。思い出すのは、ねじれた赤。

「これから……? 別に、考えてない。働ければそれでいい。生きていけるなら、なんでもいいんだ」

 無慈悲なヴァン神の使いは剣をかざして勝利を謳う。敗者は跪けと見下ろす。

 だけどまっぴらだ。天使も、教会も、神も、認めない。

 信じる神を間違えた? 確かに、リースレットの神は何もしちゃくれなかった。だけどヴァン神はオレたちからなにもかもを奪っていっただけ。そんなものを信じろと? そんなものに祈れだと? 冗談じゃない。

「じゃあ、僕がきみをガイドとして雇おう。きみの名は?」

「……エルナン。エルナン・リベラ」




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