表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/56

第32話 八の月 二黄の日(2)




「フラウンホーファー伯爵だって?」

 家に戻って事件のあらましを説明するとき、ギルが一番意外そうに反応したのがやはりここだった。

「ええ。知っていますか」

「一応ね。確か二、三年前に先代が急死して、その跡を継いだっていう一人息子だろう。よくは知らないが優秀な若者だって聞いたことがあるよ」

 優秀。あれがそうなのか。自分が優秀だとか言われてることが急に空しくなるな。

「で、フラウンホーファー卿は何をしに来てたんだ? 泥棒を捕まえるためにあんな町はずれにいたってわけじゃないんだろう。スヴェンかい」

「いえ。アディナ様に会うためのようです」

「へえ」

「やはり、あの子は相当身分が高いとしか……。本当に何者なんでしょうか?」

 問いかけに答えぬまま、ギルは室内を見回した。

 私の部屋にはほとんど物がない。寝たり出かける準備を整えたりするだけの場所だから余分な飾りなどは必要ないのだ。

 ともかくその地味な部屋の中に、あるのはベッドと机と、私の今座っている脚のすり減ってバランスの悪い椅子、それからチェストと鏡くらいだった。何を探しているのだろうかと思えば、ギルはベッドに腰掛け、腕を組んだ。

 どうやら立ちっぱなしで話すことに疲れただけらしい。

「庭師の人は、今日はお休みじゃなかったっけ」

 ギルはさっくりと話題を戻した。いくらスヴェンの件とは関係がなさそうだとはいえ、少しくらい興味を示してくれたっていいのに。

「そうなんですけど、庭のバラが枯れかかっているのを気にして、具合を見に寄ったらしいんです。そしたら顔を隠した怪しい男が庭の中にいたので、声をかけたら逃げようとしたと……」

「覆面ねぇ。とすると、はじめに目撃された悪魔というのはその男たちのことだったかもな」

「ああ……、そうかもしれませんね。伯爵が保安局に連れて行ったので、余罪があれば明らかになるでしょうけど」

 実はギルの腰掛けた場所のすぐそばに、私がさっきまで読んでいた本が隠してある。真上に座られなくてよかったが、手を横についたら感触でわかってしまうのではないかとはらはらした。いや、見つかったからといってそこまでまずいものでもないが、今さら読む気になったのかいと笑われそうで。

「ふむ。これで町の人たちの不安が少しはおさまればいいんだが」

 ギルは顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。

「それと、気になることが」

 言いかけて姿勢を正すと、椅子がキィと耳障りな音をたてた。

「伯爵は天使庁からの要請で悪魔の調査に来たらしいのですが、メルニエのことでどうとか言っているのを聞きました。……今、メルニエはどうなっているんですか?」

「ああ、カレーラ病のね。フラウンホーファー卿は天使庁に進んでいたのか、初耳だな」

 わずかに首をかしげて、ギルは言った。

「天使庁は救援隊を組織して現地に派遣したらしい。もうとっくに着いているはずだよ。ただ、どのくらい助けられるかはわからないが。メルニエ周辺は封鎖されているから、詳しい話が入ってくるのはもう少し後だね」

 私が聞くまで話さなかったということは、気を遣われていたのだろうか。

「そうですか……」

 カレーラ病は致死率が極めて高く、集団発症するが、その範囲は狭く爆発的に流行したりはしない。信仰に熱心でない地域での発生が多いために、天罰であるとか悪魔の陰謀であるとかいう噂の絶えない奇病だ。今のところ、これを治療できるのは天使の光呪だけだから、各地で発生するたびに天使庁が動くことになる。

「それから。メルニエ周辺はヴァン神教の受け入れに反対で、教会の建設を妨害する動きもあったそうだ。今回の件は教団にとっていいことずくめだな」

「……カレーラ病が人為的に引き起こされているのではないかという話ですか?」

 ギルはこの説にこだわっている。村一つが全滅するような強い伝染病の割に、周辺に波及しないことがおかしいとかなんとか。

「悪魔が病をばらまいてるとは言われるのに、教会の陰謀という噂にはならないんだから、不思議だね」

「そりゃあそうでしょう。あったとしてもすぐに揉み消されると思いますよ」

 確かに、カレーラ病が起こった後の地域では、入信率が高くなる。カレーラ病は天使の治癒力に関するいい宣伝になっているといえるだろう。

「でもカレーラでは天使なんか来ませんでした。そりゃあヴァン神教の受け入れには反対でしたけれど、それはアリアーガ中どこを見渡しても同じでしたから。あの病気が天使庁の有利に働いているとしても……、それは病気の発生を天使庁が利用しているだけで、流行そのものまで動かしているとは思えません」

「まあね。ヴァン神教の信者だって犠牲になってるわけだし、誰がなんのために、というのが絞り込めないんだよなぁ。そこが問題なんだが」

「だから、違うんじゃないですか? あんなものを人が引き起こしているとしたら……、人間の方が、よっぽど、悪魔です」

 勢いで口にしてしまったが、ギルがどんな表情で私を見ているのか、知りたくなかった。

「ちょっと汗でもかいてきます。……最近、なまっているような気がしますので」

 だから振り返らずに部屋を出た。鼓動は速くなっていたが指先が震えたりはしていない。少しはよくなったかな、とひとりで満足して、私はうなずいた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ