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第26話 八の月 一藍の日(1)




 空の上は寒いらしい。と、なにかの本で読んだ。

 普通に考えれば、太陽に近づけば暑くなる一方のようにも思うのだけど、逆なのだそうだ。高い高い山に登ると、だんだん気温がさがってくる。そして頂上の方では、一年中雪が積もったままだ。だから高い方が寒い。言われてみればそうだ。

 とすると、あの空を飛んでいる鳥も、いくぶんここよりは涼しい空気を感じているに違いない。見上げながらそんなことを思う。

 私の歩いている道は坂道で、しかも上り坂だ。ということはこの一歩一歩ごとに、涼しくなってもよさそうなものだけど、ちっともそうなってはくれない。むしろ運動のせいで、暑くなってくる一方だ。

 ああ、鳥になりたい。空高く舞い上がりたい。

 このケルステンの町も一応、有名な避暑地の中にあるはずなのに、今日は風がそよとも吹かず、とにかく暑い。見上げる空に浮かんでいる雲は、ほんの小さな切れ端だけで、まったく太陽の光を遮ってはくれなかった。

 ああ、暑い。

 同じことをぐるぐる考えながら足を動かす。

 辛抱しよう。もう少しで林に入れるし、その先には冷たいお茶だって待っているんだから。

 ここよりずっと暑いところで生まれ育ったのだから、テニエスの夏なんて問題にならないと思っていたのだけれど、湿っぽくて嫌になる。汗がにじんでくる鼻すじを指で押さえ、屋敷に入る前にもう一度香水を使っておこうと私は決意した。

 家々の立ち並ぶ通りを抜けて、ハーブ園の脇にさしかかる。少し様子が気になって立ち止まったが、静かなものだった。

 悪魔なんて、本当にいるんだろうか。

 それはずっと私の中にある疑問だった。いや、実際に悪魔と呼ばれるものが現れたことは間違いないだろうが、それが伝説の中にある世界を滅ぼすほどの存在だったのかどうか、いまだに信じることができないでいる。

 この目で見ていないせいなのだろうか。悪魔が大陸から駆逐された後に生まれたからだろうか。

 そして、その疑いは天使に対しても同様につきまとっていた。

 神様というのはずいぶん勝手で、えこひいきだ。天上での生活と翼を捨て、地上を救うために降りてきたという天使たち。悪魔を打ち倒し、傷ついた民衆を癒した奇跡の存在。慈悲深き神の使いは、完璧にこの仕事を成し遂げた。彼らの存在をまっさきに受け入れたテニエスだけを救い、テニエスの守護者として、テニエスだけを守り続けている。他国を次々と飲み込みながら。

 体が重くなるのを感じた。もうやめよう。今考えたって仕方のないことだ。

 ぬるい風を受けながら、帽子のつばを引っ張る。ここを越えれば、やっと樅の林だ。早く行こう。アディナが私を待っている。

 そうして歩き出した矢先、私は彼に出会ったのだった。

 その男は、麦わら帽子をかぶって木陰にたたずんでいた。私を見て、まるで古くからの友人を見つけたかのように破顔する。

 誰だ。

 知らない顔だ。しゃれたシルクのシャツを着崩したそのなりからして、少なくともこの町の人間ではないだろう。

 男はやおら帽子を脱ぎ、胸に当てて、気取った挨拶をした。

「おはよう、素敵なお嬢さん」

 見回さなくても辺りに通行人などおらず、ひとりであることはわかっていた。どう考えても、こいつは私に対して話しかけている。とりあえず頭を下げてそのまま通り過ぎようとすると、男は突然叫び声を上げた。驚いて振り返ると、男は変なポーズを取って嘆いていた。

「なんて人だ。僕のようなとびきりの色男に話しかけられて、足を止めないなんて……」

 前屈みになり額に手を当てていた男が上目遣いに私を見た。

 ばっちり目が合った。

 しまった、つい、あまりにも滑稽だったから見入ってしまってた。目が合ったそのとたん、男は姿勢を戻して早口にまくしたてた。

「ひょっとしてあれかな! 目が悪いのかな!」

 あんたの頭の方がおかしいよ。

「勿体ない、実に勿体ないね。この僕が目の前にいるというのに、そのすばらしさを実感できないなんて」

 私はバッグから眼鏡を取り出してかけた。

「ご満足頂けましたか? では、さようなら」

 こういう変な手合いは無視するのに限る。背を向けて歩き出すと突然、火がついたような馬鹿笑いが聞こえてきた。

 ……なにがそんなに面白いんだ?

 本気で頭おかしいなあいつ。これ以上かかわらないでおこう。

 私は歩く速度を速めた。変態は追ってこなかった。よかった。




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