第23話 八の月 一黄の日(2)
「外へ出してあげたいと、思いませんか。他の鳥みたいに」
「どうして? ここは安全だわ。雨も降らないし、ちゃんとかわいがってあげてるし、毎日カゴの掃除もしてもらってる。この子は食いしん坊で、たくさん麦を食べるのよ。放したりしたらかわいそうじゃない」
「……そうですね」
アディナは外に出られないことを、不自由に感じていないのだろう。確かに、なにも困ることはない。コックの作る贅沢な料理を食べ、散らかしてもメイドが片づけ、好きなように自分を飾って遊んで暮らす毎日。ウィーダという友だちがいて、本もたくさんある。
彼女は、幸福だ。彼女がそう信じている限り。
時々見せる寂しそうな表情も、親元を離れているからで、きっとエーレンフェストに戻ればなにも不満などなく、屋敷の中で同じように生活するのだろう。
「どうしたの、カリン」
アディナがてのひらでウィーダを遊ばせながら訊いた。
「いえ、少し思い出していたものですから……、鳥のことで。そう、もうすぐ大鳥祭があるのを知っていますか?」
「なに、それ」
「この町のお祭りです。八の月の第三聖休日に、毎年行われるそうですよ」
ギルに聞いた話を、私はそのまま教えた。
「大鳥って、物語に出てくる飛べない鳥のこと? 確か、星空まで飛べる大きな翼がほしくてたくさんご飯を食べたら、重くなって少しも飛べなくなったっていうかわいそうな鳥だったわね」
あいかわらず、どうでもいいことはよく知ってるな、この子。
「ええ、そうです。でも大鳥は物語の中だけでなく、実際にもいたんですよ。本当は別の理由で大きくなったんでしょうし、ほんの少しくらいは飛び上がることもできたらしいですけどね」
「知ってるわ。でも五百年くらい前にみんな死んじゃったんでしょう」
「と、私も最近まで思っていたのですが……、実は違うんです。ケルステンでは、百年くらい前まで大鳥が生きていたそうなんですよ」
「ほんとに? ここにいたの?」
ウィーダはアディナの親指の付け根の辺りをくちばしでさかんに挟んでいる。痛くないのか、これ。
「ええ。それも、この家の持ち主が保護していたそうなんです。この屋敷が建てられたのは百五十年ほど前、ちょうどテニエスが小国として成立した直後ですね。このアイスラー地方もその折、テニエスに加わりました。その時の領主がマイゼンブークという名で、この家の最初の所有者だったんですって」
せっかくなので、歴史の話も交えながら話す。だって今は一応授業中なのだ。
「テニエスの初代国王の名を言えますか?」
「ハルトムートでしょ」
「そうです、よく覚えていましたね。そのハルトムート一世がアイスラーを視察しに来た時、領主さんは絶滅したと思われていた大鳥の卵を調理して国王に出したんだそうです」
「大鳥のタマゴっておいしいの?」
「さあ、喜ばれたらしいですから、おいしかったんだはと思いますが、それが味付けのためなのか大鳥の卵だったからなのか、それはわかりません。ともかく、国王はこの珍しい鳥を是非譲って欲しいと交渉して、一羽の雛をエーレンフェストに持ち帰ったそうです」
「ふうん、それで?」
「そのことで、ケルステンに大鳥がいるという話が国中に広まったんです。大鳥を見たい、研究したい、買いたいなどという者が後を絶たず、領主さんは大変困ったらしいです。貴重な鳥ですし、数も少なかったので、誰にでもあげるというわけにはいきませんからね。見せることは許しても、売ることだけはしなかったそうです」
「そりゃあそうね。タマゴくらいなら売ってもいいと思うけど」
アディナは大鳥の運命より、大鳥の卵料理の味の方がよほど気になるらしい。
「ところが、しつこい人が恐喝まがいのことをしたり、盗みに入られたりして、領主さんはついに、もう人に見せることもしない、誰も来るなと怒ってしまったんです。それで、しばらくケルステンは静かになりました。ところがその領主さんが死んで、息子があとを継いでからがいけません。商売気を出して、見るだけの客をとり、しかも高額をふっかけたんです。ケルステンは大鳥の町として有名になりましたけど、大勢が押しかけたからか、卵が孵らなかったり病気になったりして、十年もしないうちに大鳥はみんな死んでしまったそうです」
「王様がもらったヒナは?」
「さあ、そこまでは聞いていません。でも……、ちゃんと育ったかそうでないか、どちらにせよ一羽では繁殖のしようがないですから、一代きりだったでしょうね。まあそんなわけで、死んでしまった大鳥のことを忘れないようにと、ケルステンの町では毎年お祭りをするようになったそうなんです」
「それじゃあ、お祭りっていってもお葬式みたいな感じなの?」
「まさか。皆でにぎやかにやる、ふつうの楽しいお祭りですよ。頭に羽根飾りを付けたり、藁でできた大鳥の人形を飾ったりはするようですけど」
「なんだそうなの。それ、カリンも行くの?」
「……さあ、どうでしょう。町の外からもたくさん人が来るようですから、私でも参加はできるはずですけど」
祭りといって思い出すのは、おばさんが煮詰めていたジャムの甘い香りだ。豆をむき続けた爪が緑に染まって、顔を見合わせて笑った。それが最後の、明るい祭りの記憶。
正直に言って、気は進まなかった。二人で一緒に楽しむはずの日は別れの日になった。あの苦しみを、思い出すから。
「アディナ様は?」
「あたしは……、行けないと思うわ。だってここから出ちゃいけないことになってるもの」
「それは、病気だからですか?」
アディナは静かに首を振った。
「病気とか、そういうんじゃないわ。あたしの体、きっとどこか足りないの。だから時々おかしくなるのね」
他人事のように言って、アディナはウィーダを鳥籠の中に戻した。