第22話 八の月 一黄の日(1)
八の月になって、太陽は迷惑なほどにやる気を増大させていた。
アディナはいつものごとく、ひらひらした服だけでは飽きたらず、キャンディ・ストライプのリボンを右腕に、紫と緑と白の三種のリボンを左腕に、それぞれ巻き付けていた。
そのちぐはぐで多彩な色合いに、私は思わず自分の服を見直した。襟や袖に白いレースが使われている他は濃青一色のワンピース。いや、決して私が地味なんじゃない。アディナが派手すぎるだけだ。
「道のしるべはつくられし幻、おのが灯りのみを持て、さすれば道は拓けんと。赤の夢は目を閉じて、橙の夢はあたたかく、黄の夢は振り返る」
アディナは詩を暗唱していた。時折つかえる点さえのぞけば、澄んだ声での朗読はとても聴き心地がよかった。
「宵の川は花しずく、触れてはならぬ定めより……」
「そこは、消えゆく前に、です」
「ああ、そうだったわ。宵の川は花しずく、消えゆく前に渡りきり」
アディナは青い瞳をうろうろとさまよわせていたかと思うと両手で頭を抱えて目を閉じたり、存在しないなにかを指で追ったり、とにかくいろんなポーズを取りながら記憶を辿っていた。
「頽れる君にさしのべて、繋いでゆけば次の道。ねえ、頽れってどういう意味?」
「力がなくなって、倒れたりへたりこんだりすることです」
「ふうん」
そこでふと、私は気づいた。
「そこ、ほどけていますよ」
「あら、ほんとね」
右腕のリボンが彼女の手首からだらりと下がっている。直しましょうかと言うより先に、アディナはぱくっとその先をくわえて左手だけできっちりとくくりつけた。
「……器用ですね」
まさかひとりでやっていたとは。
「そのリボン、なんのために巻いているんですか?」
ついでに、前にも気になって訊けなかったことを確かめることにした。
「かわいいでしょ?」
同意を求められても困る。
「ちょっと、服に合わないように思いますが」
「だって、ここのお洋服少ないのよ。あんまり持って来られなかったの……その、おうちのは。あたし、毎日違うのがいいの。こうすれば少しは違う感じになるでしょう?」
「はあ」
理解しがたい感覚だった。要するに、彼女なりにおしゃれをしている、とそういうことなのだろうか。
「カリンにも結んであげましょうか」
「ああ、いえ、遠慮します」
アディナが机に膝をあげて勝手に近寄ってきたので、私は軽く腰を浮かしながら辞退した。
「さ、ちゃんと座って。これが暗唱できるまでは遊ばない約束ですよ」
「はぁい」
歌うような調子の返事は決して真面目なものとはいえなかったが、アディナはちゃんと言うことをきいた。
あの仲直りの後の授業は、最善とまではいえないが、このようにいくぶんましな形に落ち着いていた。要するに、足りなかったのは威厳などではなく、信頼関係だったというところだろうか。
何度目かでついにつかえずに言えるようになったアディナは、さっそく窓辺へ走ってウィーダの籠を取り外し、戻って机の上に置き、それから思い出したようにまた駆け戻って窓を閉め、満足げにうなずいた。
「カリンには特別に、あたしのウィーダにさわらせてあげる」
それがどのくらいの栄誉なのかは知らないが、ありがたく受けることにする。アディナが小さな扉を開け、指を差し入れると、ウィーダはすぐにそれを止まり木にした。
金の檻から連れ出されたウィーダは、きょろきょろと首を動かした。目の下から背中の辺りまでつづく黒いまだら模様がいっしょになって伸び縮みする。短く鳴いた一声は、とりすましているように聞こえた。
「はい、指を出して」
私はアディナがしているのと同じように、人差し指をのばしてウィーダに近づけた。ウィーダは群青の胸をふるわせて、怯えたようにアディナの手の甲を伝い、右腕へと避難した。
「まあ、大丈夫よウィーダ。カリンはあなたをいじめたりしないから」
アディナは左の指に鳥を登らせて、再度私の方へ差し伸べた。ウィーダは観念したように私の指へうつってきた。かまれやしないだろうな。
「風切り羽を切って、遠くへ飛べないようにしてあるから、大丈夫。逃げたりしないわ」
私が心配してるのはそんなことじゃないんだ。ああ、なんだかくすぐったい。
「ウィーダは小鳥の時から飼われているのですか?」
「ええ、そうよ。だからあたし達とっても仲良しなの」
ウィーダは居心地悪そうに体を揺らし、羽ばたいて机の上に降りた。半分は落ちたと言ってもいいくらいの不格好な着地だった。
「じゃあ、この鳥は大空を飛んだことはないんですね」
この分ではとても無理だろう。なんだか、少し、アディナに似ている。