第14話 七の月 四青の日(2)
「今じゃ歴史あるフィリーネでも、学力がずば抜けていれば平民でも入れるそうじゃないか」
スヴェンがまた動いて、私の真後ろに立った。
「ええ、そうです」
学校に限らず、官吏でも、能力があれば採用される。テニエスが皇国と称するようになってからの政策で、唯一まともなのがこれだというのが、ギルの酔っぱらったときの口癖だ。
「そしてきみは、二年前、ネーフェの孤児院からマクシウスに引き取られている」
そこまでは、ユーリエにも話していない。調べたというのは本当のようだ。
「その通りです。覚えがよくて見込みがあると、推薦していただきました」
「ほう、それは初耳だ。ネーフェの方に問い合わせてみたらね、別の所と合併して先生がごっそり入れ替わったとかで、詳しい話が全くわからなかったものだから……。きみのご両親は、どうして亡くなったのかな?」
たかだか三日かそこらで、よくもそこまで。
「父は私が六歳の時、戦地で亡くなりました。兵士だったんです。母は私を一人で育ててくれたのですが、無理がたたったのか、父のことがショックだったのか、その翌年に……」
背中からの視線を感じながら、私はうつむいてみせた。何度も繰り返した嘘だ。間違うはずもない。
「アリアーガ戦役か。きみのお父上はヴァン神の加護を広めるための戦に貴い犠牲を払ったわけだ」
芝居じみた口調に、気分が悪くなる。
カトリーネ、あなたは今悲しいの。亡くなった両親のことを思い出したのだから。でも、そう、いつまでも引きずっていてはいけないわ。この人はどうしてこんな事を聞くのか考えてごらんなさい。
「……あの。男爵家では孤児は雇わないという決まりでもあるのでしょうか」
「そんなことはないさ。孤児なんて今時、珍しくもない」
「それなら、安堵いたしました。人に教えることには不慣れで、私……。うまくいきませんの。でも、アディナ様のことは好きなんです。ご両親と離れておひとりで、おかわいそうでしょう。ですから努力したいと思っているんです。どうか、クビにするなんておっしゃらないで」
うまく声が震えた。
「いや、そんな話ではないさ。安心したまえ」
ほっと息をついて、胸の前で握った手をほどく。
「ただ、雇い人のことは知っておかないとね。家の中に入れるのだから、ちゃんとした人間でないと困るだろう」
「それでしたら、大丈夫ですわ。なんでも訊いてくださいませ」
私の左手の方に立ったスヴェンににこりと微笑みかける。スヴェンはうなずき、ようやく向かいのソファへ戻った。こちらからだと、スヴェンの頭の真上に、絵の太陽がくる。これは狙った配置なのだろうか。
ちょうどいい。話を逸らそう。
「それにしても、素晴らしい絵画ですのね」
スヴェンを見てちょうど目に入ったという風に、私はうっとりと言った。こんな絵を飾るのは成金趣味か妄信的な天使崇拝者のどちらかであろう。こう褒めておけば、悪い気はすまい。
「そうだろう。絵師を雇い、特別に描かせたのだ。完成までに二年かかったが、待った甲斐があったというものだ」
スヴェンは身をのりだして言った。なんだ、両方か。
「これは双歴一五二八年の天使降臨がモチーフなのでしょうか? だとしたら、右の天使様は一番天使のサズナ様、左の厳しいお顔の方は三番天使のメイサス様ですわね」
「その通り! きみ、なかなか詳しいじゃないか」
「学院の授業で習いますもの。でも私、神学の勉強はとても好きなんです。だって、私が今の父と出会えたのもきっと、天使様のおかげですもの」
私は心にもないことをぺらぺらと喋った。わかりやすいことに、スヴェンはすっかり機嫌を良くして、ヴァン神教のすばらしさについて肩がこるほど語りはじめた。
うまく食いついてくれたのはいいが、スヴェンの話はどんどん長くなり、ダニエラがお食事が冷めてしまいますと呼びに来てくれなかったら日が暮れるまで続いたんじゃないかとさえ思えた。
報告書によれば、スヴェン・ボルマンは三十一歳。ボルマン男爵家の長男で独身、教団派。持病は特にない。気前が良く、女好きで、賭博もよくやっているらしい。社交界での評判はまずまずだ。
その一方で、密造酒の売買に携わっているとか、高利貸しをしているとか、この一、二年で黒い噂が流れはじめている。昨年、教会に多額の寄付をした件でも、出所が怪しいとかなんとか――要するに、いくつかタレコミがあったのである。
その実態を調査するため、私は毎夏彼が訪れるという別荘にあらかじめ送り込まれたのだ。
スヴェンが来てからというもの屋敷の門には警備が置かれるようになっている。やはり、狙われるような何か、もしくは隠さなければならないような何かがあるのだろう。それを探るのが私の役目なのだが――、正直、それどころではなかった。表向きの仕事であるところの家庭教師業が、さっぱり、うまくいかないからだ。