第12話 七の月 四赤の日(3)
「三藍の日の最後にあなたが解いた問題は、十歳くらいの子でも半分しかできないものだったんですよ。ちゃんと解けた時は、私も驚きました」
だめ押しとばかりに私は彼女をおだてた。これでやる気を出してくれるなら願ってもない。
「なんだ、そうだったの。ねぇ、それじゃあ今日は遊んでてもいい?」
逆効果。
だめだこいつなに言っても無駄だ遊ぶことしか考えてない。
「そんなわけありません!」
「けち」
これは仕事、これは仕事、これは仕事。
心にしつこいほど言い聞かせて、私は平静を保とうとする。
好きな仕事を好きな時に好きなだけやっていればいいのなら、人生楽だろう。しかし誰だってそうではない。だから私は今我慢をすべきなのだ。たとえ、これが自ら望んだ仕事でなかったとしても。
「カリンなんて大嫌い」
「嫌いで結構ですから、座ってください」
きっぱりと言ったが、アディナは下を向いたまま動こうとしない。仕方がないので、彼女の肩を手で押さえて、椅子の方に歩かせようとした。
「やめてよ。あたしを誰だと思ってるの」
知るわけがない。隠されているというのに。
「たとえあなたが皇女様だとしても関係ありません。私は先生様です。言うことを聞きなさい!」
勢いで怒鳴って、しまったと思いながらアディナに目をやると、彼女はぽかんとした顔で私を見上げていた。何にそんなに驚いてる?
まさか、図星とか――
「カリンは泣かないの? どうして怒るの?」
どうしてこの状況で泣かなきゃならないんだ。いや、まあ別の意味では泣きたくもなるが。
「あたしが言うことを聞かないと、みんな泣くわ」
なんだそれ。おかしいんじゃないか。
「……それは、ユーリエさんも?」
「そうよ。あたしの聞きわけが悪いのは教育がイタラナイせいなんですって」
ユーリエなら言いそうだ。涙ぐんでいる姿をつい想像してしまった。
「あなたの聞きわけが悪いのはあなた個人に問題があるからだと私は思いますよ」
「あたしもそうだと思うわ」
自覚があったのか。
「でも、ユーリエはそう思わないみたい。あたし、泣かれるのって困るの。だって、悲しくなるし、自分がとっても悪い人になったみたいな気がするでしょう」
「私は、泣いたりしませんよ」
「そうみたいね。安心したわ」
いや待て。安心されちゃ駄目じゃないか。むしろ泣いて困らせた方が事がすんなり運ぶような――ひょっとして、ユーリエはそれを知っていて泣き落とすのか。しまった。だけど今さら泣き真似したってはじまらない。
結局この日はアディナを座らせるだけで半分の時間を費やしてしまった。その後も、アディナは机を太鼓代わりに叩いてリズムをとったりウィーダに話しかけたりするのに忙しく、歴史の本をたった三ページ読んできかせただけなのに、その内容もちっとも覚えていないような有り様だった。
せっかくスヴェンが屋敷に現れたというのに、私がクビになる日は近そうだった。
家に戻ってから報告すると、ギルはもうスヴェンがケルステンに来たことを知っていた。
「私があのお屋敷に潜入している意味って、あるんですか……?」
「もちろんだよ。で、スヴェンはなんて?」
「まだ到着したばかりで、ユーリエがこちらに来ていることは知らなかったようです。もちろん、アディナ様のことも。なんだかもめていたようです」
「そうか。姉が居ることは計算外だったんだな」
「たぶんそうです。それと、ユーリエはケルステンにいる理由を仕事だと言っていました。……ユーリエが水の神殿に仕える光神官だって、あなたは知っていましたよね」
「ああ。言っていなかったかい」
「ええ、初耳でした!」
私が嫌っていると知っていて、わざと言わなかったに違いない。やはり、光神官か。どうりで貴族の割に、いつも地味ななりをしていたわけだ。
「資料にも書いてありませんでしたよ。あなたはどこまで知っていて、私に隠しているんです? そりゃあ、私はただの調査員でしかないでしょう。この子どもの容姿と記憶力くらいしか、他の調査員より優れたところなんて持っていない。でも、少しでも……、あなたの役に立ちたいと思っているんです。私なりに、調べて考えて、不正を暴きたいと思っているんです」
「わかってるよ。別に、おまえを信用していないとか、そういうことじゃない」
ギルの声のトーンが下がった。なだめるような優しい声に。それだけでいたたまれなくなった。どうして言ってしまったんだろうと後悔した。
「おまえは充分役に立っているよ。あの屋敷の中で見たこと、聞いたことを、ありのままに伝えてくれるだけでね」
ギルの手が私の頭の上で動かされる。くすぐったい。
「子ども扱いしないでください」
私は一歩引いて、その手から逃れた。
「もう部屋に戻ります。明日の準備をしますから……」
どうしてうまくいかないのだろう。どうすればうまくいくだろう。考えれば考えるほど、わからなくなる。