第11話 七の月 四赤の日(2)
「まあ、やっと来たのねカリン。待ちくたびれたわ」
今日はピンクのリボンを二つ使って金の髪を束ねたアディナの、開口一番がそれだった。
「時間通りかと思いますが?」
「だって、だいぶ前に歩いてくるのが見えたわよ」
こいつめ。
「ダニエラがなかなか扉を開けてくれなくて……。お待たせして、大変申し訳ありませんでした。さあ、ではお勉強を始めましょうか」
「もうそんな気分じゃないわ。通り過ぎてしまったの」
あなた一度だってまじめにお勉強しようとしましたか……?
「ウィーダもきっと退屈してるわ。遊んであげないと」
言うなりアディナは窓辺に寄って、鳥籠に手を伸ばした。
「私はあなたにお勉強を教えるためにここに来ているんです。遊ばせるためではありません」
年の近い先生がいいから替えたとかいうのは嘘で、前の先生はこの生徒にさじを投げて辞めてしまったんじゃないか。きっとそうだ。そうに違いない。
「さっきねぇ、こわいおじさんが来たのよ」
窓を閉めてかわりに鳥籠を開け、青い鳥を指の上に招きながらアディナは言った。
「いきなりドアを開けるからびっくりしちゃった。ウィーダも驚いてたわ」
話題を逸らそうとしているのは明白だったが、それは私も知りたい内容だった。
「その人、なにを言っていました?」
「とっても怒ってたわ。勝手に他人を屋敷に入れるなんてけしからん、とか。あたしのこと、知らなかったみたいね。こっちも知らんぷりをしてやったけど」
「ユーリエさんのご兄弟のようですよ」
「そうみたいね。ユーリエが来て連れてったわ。カリンも会った?」
「ええ、さっき下で。……さ、その子を籠に戻して。窓を開けないと暑いでしょう」
アディナは唇をとがらせながらも従ってくれた。
私は椅子に座って、いつものように教科書と筆記具を取り出す。
「ねえ、お勉強が終わってから遊べない?」
アディナは窓を開け、椅子には座らずに私の隣までやって来た。
「それは、お勉強をしてから考えましょう」
「カリンはどうしてそんなにお勉強が好きなの」
別に好きだからあなたに教えてるわけじゃないんですが。
「なにがそんなに嫌なんですか? お勉強ほど楽なものはないと思いますけど」
「お勉強が、楽?」
アディナは首をかしげた。
「そうですよ。だって痛くもかゆくも苦しくもないでしょう。ただこうしてペンを動かしていればいいだけ。疲れたら休むことだってできます。なにがそんなに嫌なのか、私にはわかりません」
「頭は痛くなるのよ」
なるほど。って、納得してどうする。
「たとえば、今日みたいにお日様のかんかんな暑い日に、レンガを五つ抱えて積み上げに行って、また戻って抱えてきて、積み上げてを繰り返す仕事をするのと、このお部屋で座ってペンを動かしているのと、どっちがいいですか? ね、体を働かせるより頭を働かせる方が、ましだと思うでしょう」
「だってあたし、そんなことする必要ないもの。それにね、カリンは頭がいいからお勉強が楽しいのよ。一番なんでしょ」
「それは、周りがバ……すすんでお勉強なさらないだけです」
授業中でも構わず髪の巻きを気にしたり、かっこいい天使様の絵を眺めて楽しんだり、こそこそお喋りしたり、舞踏会を夢想したりしている学院のお嬢さんたちを頭に浮かべて、私は今さらながらに先生方の苦労を思いやった。
彼女たちとあまり変わらないのかもしれないな、この子も。
ただ、それでもお嬢さん方は授業中はちゃんと席についているし、先生が静かになさいっと厳しく言うと、ちゃんとそのとおりにするのだ。ほんの少しの間だけではあるが。
やはり、私に足りないのは威厳だろうか。
「それに、アディナ様もよくできるじゃないですか。この間だって満点だったでしょう」
「でも、ひとつ間違ったわ」
「あのくらいの失敗は私でもやります。あなたは真面目にやりさえすれば、優秀な生徒ですよ。本も読めるようだし」
アディナは不思議そうに私を見ていた。なんだ、なにか変なことを言ったか。
「ほんと? あたし、優秀なの?」
心なしか嬉しそうに、アディナは訊いた。そうか、忘れていた。満点を取った時、私は褒めてやるべきだったんだ。褒められて喜ばない子どもはいないし、そうすれば自然とやる気も出るだろう。
「ええ、とても」
「それは知らなかったわ」
アディナは真剣に言った。確かに、学校に行っていないなら、他の子と比べてよくできるかどうかなんて、わかるはずもない。少し遅れたが、言ってよかった、と私は思った。