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第10話 七の月 四赤の日(1)


 七の月、四赤の日。

 新しい週の始まりだが、私にとっては何も嬉しいことなどなかった。屋敷に行って一昨日の怪しい行動を咎められはしないかと心配だったし、またあのお嬢さんと対決しなければいけないと思うと朝から気が重かった。

 いや、昨日一日何も言ってこなかったのだから、きっと気づかれていないに違いない。木箱もランプもちゃんと元に戻したじゃないか。そうやって自分を落ち着かせながら、いつもより早く準備して家を出た。授業を始める前にユーリエと話をして、あの子がいったいどういう子なのか、どんな教育を受けてきたのかを、少しでも聞き出そうと思ったからだ。

 だが樅の林を抜けてすぐ、私はいつもと違う屋敷の様子に気づいた。締め切られていたいくつかの部屋のカーテンがひるがえっている。

 大掃除? そうではなさそうだ。

 音をたてないようにタイルの上を歩いて、口論する男女の声を察知すると、耳に集中してその方向を探った。左手だ。ちょうど応接室の方だ。すばやく周囲を見渡して誰もいないのを確認してから、植木の横を抜けて窓の近くへ移動した。

 白壁に背をつけて立つだけで、会話ははっきりと聞こえた。

「エーレンフェストで仕事をしているとばかり思っていたのに、こんなところでどうしたんだ」

「スヴェンこそ、忙しいんじゃなかったの」

 スヴェン。男爵家の長男の名だ。いつの間にやってきたのだろう。

 呼びかけた方の声はユーリエで、ということはこれは姉弟間の会話ということになる。

 ひょっとすると大手柄だ。早く出てきてよかった。なにひとつ聞き漏らすまいと思いながら、私ははやる心臓をなだめるために意識してゆっくりと呼吸した。

「俺は毎年ここには来ているんだ」

「それは知らなかったわ。ダニエラったら言わないんですもの」

「あいつは近頃まともに話ができないからな、ひどくなってるんだろ。そんなことより、あの子どもはなんだ。俺の書斎にあんなに物を運び込んで」

「お父様の書斎でしょう? それに、ダニエラはよくしてくれてるわ。私、ちゃんとお父様に許可をいただいたのよ。ケルステンの別荘をこの夏、自由に使っていいって」

 気弱そうに見えるユーリエも、弟に対しては能弁のようだ。

「俺だってたまに使うよと、何年も前に……。ああ、もう、そんなことはどうでもいい。それで、姉さん、いつまでここにいるんだい」

「……しばらくの間よ」

 ユーリエは口ごもった。

「しばらくって、そんだよそれ。神殿をクビになったのか」

「違うわ。そんなわけないじゃないの」

 神殿? エーレンフェストの神殿といえば、水の神殿だ。ヴァン神教の総本山。あんなところに勤めているのか。

「ただ、大切な仕事があって……」

 ユーリエが声を潜めた。大事なところなのに聞こえないじゃないか。窓にもっと寄ろうとすると、誰かの近づく気配がした。なんて間の悪い。

「ああ、先生。おはよう。どうしたんだい、こんなところで」

 庭師のおじさんだ。そうか、今日は赤の日だっけ。

「まあ、おはようございます、ティーロさん」

 さりげなく窓から離れて、私は笑顔を作った。

「実は、さっきベルを鳴らしたんですけど、誰も出なくて……」

「ふうん。ダニエラのやつ、聞こえてねぇのか、それともベルの調子が悪いのかな。まあよくあることさ。儂にまかしときな」

 先日会話をしたときにも思ったが、外見のいかつい印象とは違って、おじさんは人がいい。私の話を信じて、いそいそと扉の方へ歩いていった。私もその後をついて歩く。

「ダニエラ。ダニエラ! 先生がお越しだよ」

 ティーロはノックしながらダミ声を張り上げて呼んでくれたが、顔を出したのはダニエラではなくユーリエだった。

「まあ、先生。ごめんなさい、とりこんでいて気がつかなかったの」

 ティーロは帽子を取ってユーリエに挨拶すると、仕事に戻っていった。遅れてダニエラがエプロンで手を拭きながらホールへ転がり出てくる。このことで後でダニエラが叱られるかもしれないと思うと、なんだか申し訳ない気分になった。なんといっても、私は呼び鈴を鳴らさなかったのだから。

「誰だい、その娘は。いったいここはいつから子どもの遊び場になったんだ」

 注目を要求するような調子の声に、私は振り向いた。スヴェンは応接室のドアを開けたまま、不機嫌そうに壁に手をつき立っていた。整髪料で固めた頭から汚れのない靴まで、高級品に身を包んだ彼はどこからどう見ても貴族だった。ユーリエとは大違いだ。

「そんな言い方はよしてちょうだい、スヴェン。先生、こちらは私の弟のスヴェン・ボルマンよ。しばらくこちらに滞在するの」

「はじめまして、カトリーネと申します」

 姿勢を正し、緊張の面持ちを作って私は挨拶した。

 スヴェンはじろじろと私を見た。

「先生だって? こんな子どもが」

「そうよ。先生、アディナ様がお待ちですから、どうぞ二階へ。ダニエラ、スヴェンと大事な話があるから、しばらく誰も部屋に入れないで」

 ああ、それが聞ければいいのだが、二階へあがらないわけにはいかない。いい口実など考えつかず、結局私はそのままアディナの部屋に向かった。




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