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第9話 七の月 三紫の日(2)


 納屋の外観は屋敷そのものと比べるとずいぶん新しかったが、中はさすがに土に汚れており、多少ほこりっぽくもあった。手押し車、二段に分かれた棚、壁に掛けられた帽子、大型から小型まで揃ったシャベル、鍬、ブーツ、植木鉢、土の付いた手袋、重ねられたバケツ、のこぎり、レーキ、巻かれた布、どれを見ても普通だ。

 如雨露はどこだろう、いや、如雨露を探しているわけじゃないんだ、本当は。

 鎌、空の酒瓶、ランプ、粉の入った袋、箒、大きな木箱の三段積み、中は……、空っぽだ。いや、上から覗いただけじゃわからない。下の方になにか入っているかも。一つめをよけると、二つめの中が見えた。これも空っぽ。一応それを持ち上げる、と、麻袋が見えた。

 二つめを、横に置いた一つめに重ねて、三つめに詰まっている麻袋の口を開ける。なんだ、肥料か。まあそんなところだろうとは思ったけれど。

 元通りに積み直そうかと思って、ふと、せっかくだからと三つめも持ち上げた。

 床に、なにか細い筋のようなものがあった。なんだろう。肥料いっぱいの木箱を上に重ねてからしゃがみこみ、床の土を払った。すると周囲の床と同じグレーに染まった素っ気ない板の扉があらわれた。地下があるのだ。

 私は後ろを振り向いた。納屋の入り口はちゃんと閉まったまま。隙間から薄い光が差し込んではいるが、人の気配などはない。

 落ち着け。ただの地下室ならどこにでもある。それでも鼓動は勝手に速くなっていた。取っ手らしきへこみに指をかけて引っ張ると、あっけないほど軽い手応えで持ち上がった。

「……なんだこれ」

 思わず呟いてしまったのは、騙されたような気分になったからだ。扉の下に、またすぐ扉。こちらは一回り小さく、装飾を施された赤茶の年代物だった。これを開けて次は橙の扉とかじゃないだろうな。

 違った。今度こそ当たりだ。冷たい空気を感じる。中は真っ暗。

 どうする。下りるか?

 もちろんだ。

 手で探ると梯子らしき物があった。どうやらグレーの扉は床下と地面の間をつなぐもの、そして地面に直に取り付けられているのが赤茶の扉だ。立ち上がって棚に戻りランプとマッチを借りた。それから逆になった木箱の重ね方を元に戻し、ちょうど入り口からの視線を遮るようにグレーの扉の真ん前にひきずってきて置いた。元通りの位置に戻すことはさすがに不可能だから仕方ない。

 もし、地下に潜っている間に塞がれたらと考えるとぞっとしたが、ここで引き下がる訳にはいかなかった。念のためにそこら辺に転がっていた小石を一つ落としてみると、直後にかつんと乾いた音がした。

 よし。

 私は慎重に梯子を下りた。ただの地下室という感じではないのはすぐに分かった。周囲に何も置かれていない。そして、狭い。そう感じたのは左右にすぐ石壁がせまっていたからで、目が慣れるにつれて次第にそれが間違いであることがわかってきた。確かに幅は狭い。だが奥行きはずっと広かった。

 これは、道だ。

 さっきまでかいていた汗が冷えてくるのを感じながら、ランプを持つ手を前に出して、一歩ずつ進んだ。足元にも頭上にも注意を払ったが、危険はなさそうだった。一定間隔で古いランプが吊してあるが、当然火は入っていない。

 ここは誰かが頻繁に行き来するために使っていた道なのだろう。なんのために? それはこの先にたどり着けばわかるに違いない。曲がり角などはなくほとんどまっすぐだ。ただしわずかに上り坂。この方向は屋敷からみて東、つまり林の方ではなく、屋敷が背にしている山の真下を歩いていることになる。

 ほどなく、道は行き止まりになった。しかしまた扉があった。

 私は張り切っていた。家庭教師の方が全くうまくいっていないので、このへんで挽回したいという思いが、もしかしたらあったのかもしれない。

 ノブを回すとガチリと音がして手応えを感じた。鍵がかかっている。ここまで開けっ放しにしといてそれはないだろ、まあいいけど。

 ランプを足下に置いてスカートをめくりあげ、腰のベルトから針金を二本引き抜いて鍵穴に挿す。鍵開けは、色々やらされた訓練の中でも簡単な部類だった。こういう、指先を使った小細工なら得意だ。

 何度か試すと、うまく合って回った。

 針金をポケットに落とし、軽く深呼吸して身構えてから、扉を開けた。押し寄せてきたのは光だった。目が眩み、外に出たことを知った。

 痛みに耐えながら瞼を開くと、そこには夏の陽気に励まされて明るく色づいた緑があふれていた。

 見上げれば空。雲はどこにもなく、一面に青い。

 雲の上に天界があるというのが本当なら、今神様はここの監視をさぼっているのだろう。遮るもののない太陽の光に目が灼かれ、地上に視線を落としても視界の中に黒い染みを残した。瞬きを繰り返しながら映した足元には石段が敷かれていたが、それは扉の周囲だけで、あとは一面の草木だ。

 振り返って扉を確認すると、入ってきたのと同じはげかかった赤茶をしているのがわかった。その扉が取り付けてある場所は、崖としか言いようがなかった。斜面は急で、岩肌がごつごつとしており、とても登れそうにない。

 あの通路や扉に変な魔法がかかっていておとぎ話みたいに空間をねじ曲げていない限り、どう考えてもここは屋敷の裏山で、ということはこれはただの抜け道だったのだろうか。よくある、脱出用の、とか。けれどあの屋敷にそんなものが必要とは思えない。通路はだいぶ古いもののようだったから、ボルマン男爵より前の所有者が作ったのだろうか。

 とりあえず扉を閉めて、辺りを調べてみよう。ここが山のどのあたりなのかくらいは調べて帰らないと。

 ランプを吹き消し、扉の前に置き去りにして、崖沿いに歩きはじめる。

 しばらく行くと、陽の光を映してゆらめいている池があった。白い水草が固まって咲いていて、水はとても澄んでいた。それを見ていると急に暑さを感じて、私は手と顔を濡らすことにした。流れているわけではないその水は、少しぬるかったが、それでも充分に気持ちがよかった。

 とにかく、きれいなところだ。よく見れば色とりどりの小さな花があちこちに咲いている。背の高い木は少なく、似たような低木が並んでいるのも意外な感じだ。木には色づく前の青い実がすずなりになっていて、もう少し早い時期だったら花盛りで美しかっただろうにと思った。

 切り立った崖は途中で質を変えた。蔦が這い、曲がりくねった地層の見える土の壁だ。それでも急斜面で登れそうにないことには変わりなかった。しかも、高い。

 崖に沿って歩き続け、赤茶の扉がまた見えてくるより前に、私は気づいていた。ここは、底だ。まるで大きな落とし穴の下にいるみたいに、どこにも登るところはなく、周りをぐるりと囲まれている。どうりで風が少ないわけだ。

 赤茶の扉の前に戻って、私は座り込んだ。

 ますますわからなくなった。つまり、地下の通路の先は行き止まりということではないか。ここは、少し離れた庭ということなのだろうか?

 ダニエラあたりに訊くわけにもいかないし、かといってここにずっと残って調べても何も出てきそうになかった。そうだ、早く戻らないと誰かがあの木箱の位置が変わっているのに気づくかもしれない。納屋から出て行くときにメイドさんにばったり会って「まだいらっしゃったんですか?」と訊かれるかもしれない。遅くなれば遅くなるほど、見つかったとき不審がられるだろう。

 私は怖くなって早足に地下道を戻った。幸い誰にも会わなかったが、屋敷を離れるとき、窓から誰か見ていやしないかと背中がちりちりして仕方なかった。慌てて走ったり、振り返り振り返り歩いたりなどしたら見つかったとき余計に怪しまれると思い、堂々と歩いたが、影までくっきりと浮かび上がらせる晴天が憎らしくて仕方なかった。

 林に入ると安心して、そこからは自然と早足になった。もう急ぐ必要もないというのに。

 結局家に帰り着いたのはいつも授業をして帰るのと同じくらいの時間だったので、ギルには「ずいぶん疲れた顔をしているけど、お嬢さんとケンカでもしたかい?」と言われた。

 その時になってはじめて寝不足と頭の痛みを思い出した。そうなったら私はもう横になりたくて仕方なくなり、あの屋敷の元の持ち主について後で詳しく調べてくださいとだけ伝えて、昼食も待たずにベッドに転がり込んだ。




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