「寝ていただけだろ」と追放された夜番ですが、皆様はよく眠れていますか?
「夜番は今日で終わりだ、レム」
焚き火の前で、勇者ガレスはそう言った。
「理由を聞いてもいいですか」
「お前、昼は荷馬車で寝てるだろ」
「夜に起きていますので」
「夜は何も起きないじゃないか」
ガレスは本気で不思議そうな顔をしていた。
「この六年、野営で襲われたことが一度でもあったか? ないだろ。何も起きない夜に起きてるだけの男に、分け前を五等分するのはおかしい。寝ていただけだろ、お前は」
なるほど、と思った。
起きていただけ、ではなく、寝ていただけ。
昼の私しか見ていなければ、そうなる。
魔術師のイルマは目を逸らした。
神官のコルネは「夜番なら交代でやれますし」と小さく言った。
斥候のビットは干し肉を噛みながら、どうでもよさそうに頷いた。
「分かりました」
私は立ち上がった。
「今夜の分は、最後までやっていきます」
「いらん。今夜から交代でやる」
「そうですか」
荷物は少なかった。
毛布が一枚、鍋が一つ、火打ち石、それから革袋に入れた小石が四つ。
小石は置いていくことにした。あれは私のものではない気がしたので。
野営地を出るとき、一度だけ振り返った。
四人とも、もう寝支度を始めていた。
誰も、こっちを見ていなかった。
それはいつものことだ。
六年間、毎朝、私は同じことを思っていた。
誰か一人くらい、聞いてくれないだろうか。
――夜は、どうだった?
と。
◇
夜番の仕事は、起きていることではない。
眠らせることだ。
薪は三本ずつ足す。一度に多く入れると、爆ぜる音でイルマが起きる。
イルマはよくうなされる。そういう夜は、鍋に湯を沸かす。実家が茶屋だったそうで、湯の沸く音がすると呼吸が静かになる。
ガレスは左肩に古傷がある。左を下にして寝ると、翌朝は剣が肩より上に上がらない。だから寝返りを打ったら、丸めた毛布を背中に当てておく。
コルネは足が冷えると夜中に三度起きる。焚き火で温めた小石を布に包んで、足元に置く。革袋の四つがそれだ。
ビットは歯ぎしりがひどい。干し杏を一つ、口に入れてやると止まる。本人は朝、口の中が甘い理由を知らない。
それから、野営地の周りには灰と虫除け草を撒く。
夜鼠は荷を齧る前に追う。灰狼は目が合う前に石を投げる。鈴を鳴らすのは最後の手段で、六年で二度しか鳴らしていない。
鳴らせば全員が起きる。
全員が起きた夜の翌日は、誰かが怪我をする。
だから鳴らさない。
何も起きない夜というのは、そうやって作る。
作っていたつもりだった。
「……まあ、見えないよな」
街道を一人で歩きながら、私は笑った。
眠っている人間には、夜は見えない。
それは、うまくいっていた証拠でもある。
◇
三日歩いて、ハルトという宿場町に着いた。
日が落ちる直前だった。門の上から、しわがれた声が降ってきた。
「あんた、走りな! あと百数えたら閉めるよ!」
走った。
門をくぐった背後で、太い閂が落ちる音がした。
「運がいいね。この町の門は、日没から夜明けまで、王様が来ても開けないんだ」
門番頭のマルタは、腰の曲がった婆さんだった。
三十年前、夜中に門を開けて、病を入れたことがあるのだという。それ以来の決まりだそうだ。
「開けないのは分かりました。でも、閉めたあとは誰が見ているんです?」
「あたしさ。ほかに誰がいる」
「毎晩?」
「毎晩。昼に寝て、夜に起きる。若いのは三日で辞めちまう。夜は何も起きないから退屈だ、ってね」
私は門楼を見上げた。
風除けの板が一枚ずれている。あれでは火が流れて、明け方に薪が足りなくなる。
「あの板、直してもいいですか」
「は?」
「それと、今夜は私が起きています。婆さんは寝てください」
マルタはしばらく私の顔を見ていた。
「あんた、何者だい」
「夜番です。三日前まで」
その夜、私は門楼で火を守った。
薪を三本ずつ足した。
塀の外を灰狼が二度通ったので、石を投げた。
何も起きなかった。
夜が明けて、閂を上げていると、梯子を上がってくる足音がした。
マルタだった。湯気の立つ椀を二つ持っている。
「三十年ぶりに、夜に寝たよ」
椀を一つ、私に押しつけた。
「で、夜はどうだった?」
私は、椀を落としそうになった。
「……どう、とは」
「どうもこうも。あたしの代わりに一晩見てたんだろ。何があって、何がなかったか、聞かなきゃ分からないじゃないか」
そうか。
聞けば、分かることだったのか。
「狼が二度。どちらも塀には寄りませんでした。西風で、火は三度足しました。それから、東の空が白む前に、川のほうで鷺が鳴きました」
「そうかい。静かな夜だったね」
「はい。静かな夜でした」
粥は熱くて、塩が強かった。
六年ぶんの朝が、いっぺんに腹に入ってきた気がした。
私はその日から、ハルトの夜番になった。
◇
ここから先は、ずっとあとになって、ビットが寄こした手紙で知った話だ。
最初の夜、見張りに立ったのはビットだった。
真夜中を過ぎたころに眠った。斥候は昼に走る仕事だ。無理もない。
二日目はコルネ。足が冷えて眠れないので、焚き火に近づきすぎて、法衣の裾を焦がした。
三日目、イルマがうなされて叫んだ。全員が飛び起きた。翌日、ガレスは寝不足のまま剣を振り、岩に当てて刃を欠いた。
五日目、夜鼠が食糧袋に穴を開けた。
八日目、ガレスの左肩が上がらなくなった。
十日目には、誰も口をきかなくなっていたそうだ。
強い魔物に負けたのではない。
ただ、眠れなかった。
眠れない人間は、まず機嫌を失う。次に判断を失う。最後に、仲間を失う。
イルマは術式を二度間違えた。コルネは祈りの途中で舟を漕いだ。ビットは見えていたはずの罠を踏んだ。
それでも依頼は捨てられず、迷宮に着いたのは二十日目だった。
探索は、入口から二層目で打ち切りになった。
違約金を払い、馬車を売り、四人は一番近い宿場町を目指して歩いた。
着いたのは、日が落ちたあとだった。
私がハルトに来て、ひと月が過ぎていた。
◇
「開けてくれ! 勇者ガレスだ!」
門の下で、聞き慣れた声がした。
私は門楼から顔を出した。
松明もなく、四人は互いに寄りかかるように立っていた。ひと月前より、全員ひと回り小さく見えた。
「夜明けまで開きません。この町の決まりです」
「金なら払う! ……レム?」
「お久しぶりです」
ガレスの口が開いて、閉じた。
「お前、ここで何を」
「夜番です」
「なら話が早い、開けてくれ。頼む。もう何日もまともに寝てないんだ」
「開けません」
私は言った。
「王様が来ても開けないそうです。私も、そう決めた人に雇われています」
下で、ビットが地面に座り込んだ。コルネが泣きそうな声で何か言った。
私は籠を出した。
門楼には、遅れて着いた旅人に下ろすための籠と綱がある。開けないかわりに、凍えさせもしない。それもこの町の決まりだ。
薪を一束。毛布を四枚。鍋を一つ。
火の縁で温めていた小石を、布に包んで。ハルトの川原で拾い直したやつだ。冷える夜は自分の足元に置いている。癖だ。
干し杏を一つ。これも癖で、まだ懐に入れて歩いている。食べる相手もいないのに。
綱をゆっくり繰り出す。
「火は門の真下で焚いてください。風が当たりません。薪は三本ずつ。一度に入れると、爆ぜる音でイルマさんが起きます」
イルマが顔を上げた。
「鍋には水を張って、火の端に。イルマさんは、湯の沸く音がするとうなされません」
「……なんで、それ」
「ガレスさんは右を下にして寝てください。背中に毛布を丸めて当てると、寝返りを打っても左肩が下になりません」
ガレスは自分の左肩を掴んだ。
「石はコルネさんの足元に。朝まで温かいです。杏はビットさんの口に。歯ぎしりが止まります」
「俺、歯ぎしりなんか」
「六年、していましたよ」
誰も何も言わなかった。
焚き火が点くまで、ずいぶん時間がかかった。
四人は互いの顔を見ていた。
肩のことを、ガレスは誰にも言っていなかった。
悪夢のことを、イルマは隠していた。
冷えも、歯ぎしりも、本人たちは知らないか、知られていないと思っていた。
六年一緒にいて、四人は互いの夜を何も知らなかった。
昼しか、一緒にいなかったからだ。
「寝てください」
私は門楼の縁に腰を下ろした。
「朝までは、私が起きています」
◇
灰狼は一度だけ来た。
目が合う前に、石を投げた。
湯は静かに沸き続けた。
イルマは一度も声を上げなかった。ガレスは右を下にしたまま、子どものような寝息を立てていた。
静かな夜だった。
◇
東の空が白んで、私は閂を上げた。
門の下で、四人が起き上がるところだった。ひと月ぶんの疲れが顔から抜けて、少しだけ、最初に会ったころの顔に戻っていた。
ガレスが私の前に立った。
何か言おうとして、やめて、もう一度口を開いた。
「……戻ってくれないか。分け前は、五等分に戻す。いや、お前が多くていい」
「お断りします」
「なんでだ」
私は少し考えた。
恨んでいるわけではない。それは本当だ。眠っている人間に夜は見えないのだから。
ただ。
「ここは、朝に聞いてくれる人がいるので」
「聞く? 何を」
答えなかった。
かわりに、懐から紙を一枚出して渡した。昨夜、火の番をしながら書いたものだ。
薪は三本ずつ。湯の音。右を下に。温めた石。干し杏。灰と虫除け草の撒き方。鈴は最後の手段。
「交代でやるなら、これを。四人で回せば、四晩のうち三晩は朝まで眠れます」
ガレスは紙を見ていた。長いこと見ていた。
それから、顔を上げずに言った。
「……レム」
「はい」
「夜は、どうだった」
六年待った言葉は、門の下の朝靄の中で、ひどく不器用に聞こえた。
私は、ちゃんと答えることにした。
「狼が一度。火は四度足しました。イルマさんは、一度もうなされませんでした」
イルマが両手で顔を覆った。
「静かな夜でしたよ。皆さん、よく眠っていました」
四人は門をくぐって、宿屋のほうへ歩いていった。風呂と寝台と、ちゃんとした朝飯が要る顔をしていた。
翌日の昼過ぎ、荷を詰め直した四人が、反対側の門から街道へ出ていくのが門楼から見えた。
角を曲がる前に、ビットが一度だけ振り返って、手を上げた。
口がもぐもぐ動いていた。たぶん、宿屋で買い込んだ杏だ。
「知り合いかい」
梯子の下に、マルタが椀を二つ持って立っていた。
「昔の、昼の仲間です」
「ふうん」
婆さんはそれ以上聞かず、いつものように言った。
「で、夜はどうだった?」
私は粥を受け取った。
今日も熱くて、塩が強い。
「静かな夜でした」
話し終えたら、日が昇りきる前に寝床へ行く。
夜番の一日は、朝に終わる。
おやすみなさい。
皆様も、どうか、よく眠れますように。




