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宿生奇縁  作者: vastum
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「忘れていい約束」


 その約束が、いつ交わされたものだったのかは思い出せないのに、守らなければならないものだという感覚だけは、理由もなくずっと残り続けていて、だからこそ逆に、それを思い出せないこと自体がどこか間違っているような気がしていた。


「……どこだ、ここ」


 目の前には、静かな公園が広がっている。


 人はほとんどいない。


 時間帯のせいか、それとも別の理由なのかはわからないが、妙に音が少なくて、風の通る音だけがやけに強調されている。


 ベンチが一つ。


 その隣に、自動販売機。


 見覚えは、ない。


 はずなのに。


「……来たこと、あるか」


 呟いてみる。


 答えは返ってこない。


 当然だ。


 誰もいないのだから。


 それでも、どこかで“間違えた気がする”。


 何をかは、わからない。


 ただ、何かを。


 ベンチに座る。


 冷たさが、妙に現実的だった。


 手のひらを見下ろす。


 傷も、汚れもない。


 それが普通なのかどうかも、よくわからない。


「……待つ、んだよな」


 ふと、そんな言葉が浮かぶ。


 誰を、とは考えない。


 考えなくてもいい気がした。


 しばらくして、足音が近づいてくる。


 規則的で、急ぐでもなく、迷うでもない。


「……あ、やっぱりいる」


 声がする。


 顔を上げると、見覚えのない人物が立っていた。


 同じくらいの年齢に見える。


 特別な印象はない。


 だからこそ、記憶に残らない。


「……誰だ」


「さあ」


 その人物は、軽く笑った。


「それ、何回目?」


「……何の話だ」


「いや、いいや」


 隣に座る。


 距離は近くも遠くもない。


「ここ、好き?」


「初めて来た」


「そっか」


 短い返事。


 それ以上、追及はしない。


 少しだけ沈黙が続く。


 不思議と気まずさはない。


「……何か、用か」


「うーん」


 少し考えるように空を見上げる。


「どっちでもいい」


「どっちでも?」


「来ても来なくても、同じだから」


 意味がわからない。


 だが、なぜかそのまま流してしまう。


「……帰るか」


 立ち上がろうとする。


「待って」


 短く止められる。


 強い言い方ではない。


 だが、なぜか足が止まる。


「あと、少しだけ」


 理由は言わない。


 必要ないと思っているようだった。


 再び座る。


 その行動に、自分でも違和感を覚える。


 さっきまで帰るつもりだったはずなのに。


「……何なんだ」


「さあ」


 また同じ答え。


 だが、さっきとは少し違う響きだった。


「でも」


 視線をこちらに向ける。


「君は、ここで何か決めるよ」


 その言葉だけが、妙に重く残る。


「……何を」


「まだ、わからない」


 即答。


「でも、毎回そうだった」


 その言い方に、わずかな引っかかり。


「……毎回?」


「うん」


 軽く頷く。


「ここで、迷って」


 少しだけ間を置く。


「結局、同じことする」


 空気が、わずかに揺れる。


 風ではない。


「……知らないな」


「だろうね」


 あっさりと返す。


「覚えてないだけだから」


 言い返そうとして、言葉が止まる。


 否定する理由が、うまく出てこない。


「……証拠は」


「ないよ」


 笑う。


「でも、たぶん当たってる」


 その軽さが、逆に気にかかる。


「……じゃあ、今回は変える」


 思わず口に出る。


 考える前に。


「いいんじゃない?」


 あっさりと肯定される。


「変えられるならね」


 その言い方に、わずかな違和感。


「……どういう意味だ」


「そのままの意味」


 肩をすくめる。


「変えるって思うのも、いつもと同じかもしれないってこと」


 沈黙。


 言葉が、重く落ちる。


「……じゃあどうすればいい」


「さあ」


 三度目の同じ答え。


 だが、今度は少しだけ静かだった。


「決めるしかないんじゃない?」


 それだけ言う。


 それ以上は何も足さない。


 風が吹く。


 自動販売機の低い音が、かすかに聞こえる。


 日常の音。


 なのに、どこか現実感が薄い。


「……なら」


 ゆっくりと立ち上がる。


 今度は止められない。


「帰る」


 短く言う。


「うん」


 隣の人物は、頷くだけだった。


 引き止めない。


 それが、少しだけ意外だった。


「……いいのか」


「いいよ」


 あっさりとした返事。


「それも、見たことあるし」


 その言葉に、わずかに足が止まる。


 振り返る。


 だが、その人物はもうこちらを見ていなかった。


 まるで、最初からそこにいなかったかのように。


「……何なんだよ」


 誰に向けた言葉かもわからない。


 そのまま、公園を出る。


 道は一つしかない。


 迷う余地もない。


 だから、歩く。


 選ぶ必要もなく。


 ただ、進む。



 しばらくして、ふと気づく。


 あのベンチに、誰かが座っていたことを。


 自分だったのかもしれないし、違うかもしれない。


 確かめる術はない。


 ただ一つだけ。


 さっきの選択が、“初めてではなかった気がする”という感覚だけが、


 理由もなく、残り続けていた。


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