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宿生奇縁  作者: vastum
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「特別じゃない日の、選び方」


 朝は、だいたい同じ時間に来るはずなのに、目を覚ました瞬間だけはいつも少しだけ違っていて、そのわずかなズレの理由を説明できたことは一度もなかった。


 カーテンの隙間から差し込む光は、昨日と似ているようでいて、同じではない。


 それでも、体は迷わずに起き上がる。


「……今日は、早いな」


 独り言は、誰に向けたものでもない。


 ただ、口に出すと落ち着く気がした。


 顔を洗い、歯を磨き、適当に服を選ぶ。


 どれも考えずにできることばかりなのに、なぜか一つ一つに“選んでいる感覚”だけは残る。


 選ばなかったもののことは、すぐに忘れるのに。


 外に出ると、少しだけ風が強かった。


 駅までの道は、何度も歩いているはずなのに、曲がる角を一瞬だけ迷う。


 右か、左か。


 結局いつも通り右に曲がる。


 理由は、特にない。


「……まあ、いいか」


 そう言って歩き出したとき、前から誰かが走ってきた。


 ぶつかるほどではないが、少しだけ距離が近い。


「あ、すみません」


 相手は軽く頭を下げて、そのまま通り過ぎていく。


 短い髪の青年だった。


 どこかで見たことがある気がしたが、思い出す前にその背中は人混みに紛れていった。


「……知り合い、か?」


 いや、違う。


 たぶん。


 そう結論づけて、歩き続ける。



 午前の講義は、いつも通り退屈だった。


 内容が難しいわけではない。


 ただ、集中しようとすると別のことを考えてしまう。


 ノートの端に、意味のない線を引く。


 同じ形を、何度もなぞる。


 途中で、ふと手が止まる。


「……なんだこれ」


 無意識に描いていた形は、どこか見覚えがあるようで、でも思い出せない。


 そのまま消すのも気が引けて、軽く丸で囲んでおいた。


「そこ、何か面白いこと書いてる?」


 横から声がする。


 顔を上げると、さっき駅で見かけた青年が座っていた。


「……あれ」


「さっきぶつかりそうになったよね」


 先に言われて、少しだけ驚く。


「やっぱり」


 どこか納得したように頷く。


「偶然って、続くとちょっと気になるよな」


 軽い口調だった。


 だが、その言葉だけ、妙に引っかかる。


「……そうかもな」


 曖昧に返す。


「で、それ何?」


 ノートを指差される。


「いや、よくわからん」


 正直に答える。


「気づいたら描いてた」


「へえ」


 青年は、少しだけ覗き込む。


「なんか、意味ありそうじゃない?」


「そう思うか?」


「思う」


 即答だった。


「こういうのって、大体あとで理由つくし」


 軽く笑う。


「つかなくても、つけるし」


 その言い方に、少しだけ違和感を覚える。


 だが、深く考える前に講義が再開した。



 昼休みは、いつも同じ場所で過ごす。


 中庭のベンチ。


 日当たりが良くて、人も多すぎない。


 気に入っている理由はそれだけのはずなのに、なぜか他の場所を選ぶ気になれない。


 弁当の蓋を開けたとき、ふと誰かの視線を感じた。


 顔を上げる。


 少し離れた場所に、もう一人。


 本を読んでいる。


 静かな人だ。


 目が合った気がしたが、すぐに視線は落とされた。


 特に気にせず、食事を続ける。


 だが、しばらくしてから、その人が近づいてきた。


「ここ、空いてますか」


 落ち着いた声だった。


「どうぞ」


 自然に答える。


 特に断る理由もない。


「ありがとうございます」


 軽く頭を下げて、隣に座る。


 それだけで、会話は途切れた。


 しばらくは、風の音とページをめくる音だけが続く。


「……その本、面白いですか」


 なんとなく、聞いてみる。


 沈黙が長かったからかもしれない。


「ええ」


 短い返事。


「何度読んでも、少しずつ違って見えます」


「同じ本なのに?」


「同じだから、かもしれません」


 その言葉に、少しだけ考える。


「……変わるのは、本じゃなくて読む側ってことか」


「たぶん」


 それ以上は続かなかった。


 だが、不思議と気まずさはない。


 むしろ、どこか落ち着く。



 帰り道は、朝と同じ道を選んだ。


 選んだ、というより、自然とそうなった。


 途中で、ふと立ち止まる。


 なぜかはわからない。


 ただ、少しだけ違う道を選べる気がした。


 左に曲がれば、見たことのない景色があるかもしれない。


 そう思う。


 思うだけで、足は動かない。


「……まあ、いいか」


 結局、また右に曲がる。


 理由は、やっぱりない。



 夜、ベッドに入る。


 眠気はすぐに来る。


 だが、その直前。


 ほんの一瞬だけ、今日一日のことを振り返る。


 駅で会った青年。


 講義中の会話。


 中庭の静かな人。


 どれも特別な出来事ではない。


 ただの偶然。


 そう思う。


 思うのに、なぜか少しだけ引っかかる。


「……また会うのか」


 誰に向けた言葉かは、わからない。


 そのまま、意識が沈む。


 そして。


 次に目を覚ましたとき。


 朝は、やっぱり少しだけ違っている。



 ただ一つだけ。


 確かめようのない感覚が残る。


 自分は、選んでいるようで、


 どこかで、同じ道をなぞっている。


 そのことに気づくかどうかも含めて、


 もうすでに、決まっているのかもしれない。


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