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宿生奇縁  作者: vastum
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「書かれていない行のあいだ」


 物語というものは最初から最後まで一本の線として存在しているわけではなく、むしろ書かれていない空白のほうが多く、その空白をどう埋めるかによって読み手が見ている“流れ”そのものが変わってしまうのだとしたら、書き手が選んだ言葉よりも選ばなかった言葉のほうが実は多くの意味を持っているのかもしれないと、机に向かいながら何度目かわからない考えを巡らせていた。


「……またここで止まるのか」


 作家は、指先に挟んだペンを軽く机に叩いた。


 目の前の原稿用紙。

 途中まで書かれた文章。

 その先が、どうしても続かない。


 書けないわけではない。

 むしろ、書こうと思えばいくらでも書ける。


 ただ。


「……これ、前にも書いた気がする」


 そう思った瞬間に、手が止まる。


 同じような会話。

 同じような流れ。

 同じような選択。


 微妙に違うはずなのに、どこかで見た。


「……気のせい、か」


 呟いて、書き進めようとする。


 だが。


 どうしても、その“気のせい”が引っかかる。



 扉がノックされる。


「入っていいですか」


「どうぞ」


 入ってきたのは、編集者だった。


 いつも通りの顔。

 いつも通りの手帳。

 だが、今日はなぜか少しだけタイミングが早い気がした。


「進んでますか」


「……止まってる」


 正直に答える。


「どこで」


「同じところ」


「同じところ?」


 編集者は首を傾げる。


「前にもここで止まった気がする」


「前にも?」


「いや、違う作品かもしれないけど」


 言いながら、自分でも曖昧だとわかる。


 だが、確実に“初めてではない”。


「……読ませてください」


 編集者が言う。


 作家は原稿を差し出す。


 編集者はそれを静かに読む。


 ページをめくる音だけが、部屋に響く。



「……これ」


 読み終えて、編集者が言う。


「いいと思います」


「そうか?」


「ええ」


 頷く。


「ただ」


 少しだけ間を置く。


「どこかで見た気がする」


 作家の手が止まる。


「……お前もか」


「え?」


「いや」


 作家は首を振る。


「なんでもない」


 だが、その一言で確信が強くなる。


 これは、自分だけじゃない。



「この登場人物」


 編集者が原稿を指で叩く。


「少し、妙ですね」


「どこが」


「自分の行動に、既視感を持っている」


「……ああ」


 作家は頷く。


「そういうキャラにした」


「意図的に?」


「たぶん」


 その答えに、編集者は少しだけ眉をひそめる。


「たぶん、ですか」


「……なんか、勝手にそうなった」


 言いながら、自分でも違和感を覚える。


 “勝手に”。


 まるで、自分が書いていないみたいな言い方。



 そのとき。


 部屋の隅で、何かが動いた気がした。


「……今、何か」


 作家が振り向く。


 そこに、人が立っている。


「……は?」


 思わず声が出る。


 知らない顔。


 だが、どこかで見たような気もする。


「……誰だ」


「俺も聞きたい」


 その人物は言う。


「ここ、どこだ」


 服装は普通。

 だが、様子がおかしい。


 周囲を見回している。


 本気で困惑している顔。


「……あんた、どうやって入った」


「知らない」


 即答だった。


「気づいたら、ここにいた」


 その言い方。


 妙にリアルすぎる。



 編集者が静かに立ち上がる。


「……ちょっと待ってください」


 原稿を持ち上げる。


 そして、その人物と見比べる。


「……似てますね」


「何が」


 作家が聞く。


「この人」


 原稿の中の登場人物。


 そして、目の前の人物。


 完全に同じではない。


 だが。


「……ああ」


 作家は言う。


「同じだ」


 その瞬間。


 空気が少しだけ歪む。



「……俺」


 その人物が言う。


「これ、知ってる」


 原稿を見る。


 自分が書かれている。


 その事実を、理解している顔。


「……なんでだ」


「それはこっちが聞きたい」


 作家が言う。


 だが、その声は少しだけ震えていた。


「……俺、これ」


 ページを指でなぞる。


「このあと、こうするだろ」


 次の展開を言い当てる。


 作家の顔が強張る。


「……なんで」


「わかる」


 短く言う。


「見覚えがある」


 その言葉。


 今まで何度も出てきた。



「……待て」


 作家が立ち上がる。


「じゃあ、お前は」


「登場人物、ってことになるのか」


 自分で言う。


 その言葉に、笑いはない。


 ただ、確認している。


「……ありえない」


「でも、いる」


 編集者が静かに言う。


 その冷静さが、逆に怖い。



「……これ」


 編集者が原稿をめくる。


「ここで止まってますよね」


「ああ」


「この先、どうするつもりでしたか」


 作家は答えられない。


「……決めてない」


「なら」


 編集者は言う。


「この人に聞けばいい」


 視線が、登場人物へ向く。



「……どうするつもりだ」


 編集者が聞く。


 登場人物は、少しだけ考える。


 ほんの一瞬。


 息が止まる。


「……わからない」


 正直な答えだった。


「でも」


 続ける。


「たぶん、選ぶ」


 その言葉に、作家が反応する。


「何を」


「まだ決まってない」


 少しだけ笑う。


「でも、選ぶしかない」


 その言い方。


 どこかで聞いた。



「……なるほど」


 編集者が呟く。


「じゃあ、この作品」


 ページを閉じる。


「もう書かれてるんですね」


「……は?」


 作家が振り向く。


「どういう意味だ」


「この人が知ってるなら」


 淡々と言う。


「もう一度なぞってるだけです」


 その一言で、空気が凍る。



「……なぞってる?」


「ええ」


 頷く。


「完全に同じじゃない」


「でも、ほとんど同じ」


 その言葉。


 今までの全部と繋がる。


「……じゃあ」


 作家が言う。


「意味ないのか」


「ありますよ」


 即答だった。


「違うところがあるので」


 その言葉に、静かに何かが戻る。



 作家は、ペンを持つ。


 手が少しだけ震える。


「……俺が書くのか」


 小さく呟く。


「それとも」


 登場人物を見る。


「お前が決めるのか」


 答えは、すぐには出ない。



 そのとき。


 編集者が、静かに言った。


「どっちでも同じです」


 その言葉に、二人が振り向く。


「結果は、ほとんど同じになる」


「でも」


 少しだけ間を置く。


「誰が選んだかは残る」


 その一言が、やけに重い。



 作家は、ペンを動かす。


 登場人物は、その動きを見ている。


 自分の未来を、見るみたいに。


 だが。


 ほんの少しだけ。


 違う気がする。


 どこがかはわからない。


 でも。


「……ここ」


 登場人物が言う。


「変えられるか」


 作家の手が止まる。


 編集者が、静かに見る。



 ほんの一瞬。


 息が止まる。


 そして。


 ペンが、別の線を引いた。



 その瞬間。


 何かが大きく変わったわけではない。


 物語は続く。


 流れも続く。


 だが。


 ほんの一行だけ、


 前とは違う形になった。


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