「本物と呼ばれるものの値段」
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価値というものは、最初からそこにあるのではなく、誰かがそれを価値だと決めた瞬間にようやく輪郭を持つようになるのだとしたら、その決める側に立つ人間はどこまでを本物として扱い、どこからを偽物として切り捨てるのかという問題は、思っている以上に曖昧で、しかもその曖昧さこそが商売の余地を生み出しているのだと、詐欺師はいつもどこか他人事のように考えていた。
「……今日も、いい匂いだな」
市場の奥、石造りの通路に入った瞬間、鼻をくすぐる薬品と金属と焦げた砂の混ざった匂いに、詐欺師は軽く肩をすくめた。
「歓迎してるわけじゃない」
奥から声が返る。
「匂いは消せないだけだ」
錬金術師は、机の上で何かを攪拌しながら顔も上げずに言った。
瓶の中で、鈍い色の液体がゆっくりと渦を巻いている。
「消せないものを扱ってるってことだろ」
「消さないだけだ」
短く言い返す。
その言い方に、ほんのわずかな意地が混じっていた。
「で、今日は何を売りに来た」
「売るかどうかはまだ決めてない」
詐欺師は棚の一つに手をかけながら言う。
「でも、面白い話ならある」
「話は金にならない」
「ならない話のほうが、あとで高くつくこともあるぞ」
錬金術師が、ようやく手を止めてこちらを見る。
その目は冷静で、だが少しだけ興味を含んでいた。
「……で?」
「“本物”の話だ」
詐欺師は軽く笑う。
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店の奥には、もう一人いた。
大きな帳簿を広げて、指で数字をなぞっている男。
「その話、さっきも聞いたな」
商人は顔も上げずに言う。
「“本物”はいつも高い、ってやつだろ」
「違う」
詐欺師は椅子に腰を下ろす。
「“本物かどうかは関係ない”って話だ」
その一言で、空気がわずかに変わる。
商人がゆっくりと顔を上げる。
「……どういう意味だ」
「簡単だ」
詐欺師は指を一本立てる。
「本物でも売れないものはある」
もう一本。
「偽物でも売れるものもある」
「当たり前だ」
商人は鼻で笑う。
「だから商売が成り立つ」
「じゃあ」
詐欺師は少しだけ身を乗り出す。
「価値はどこで決まる?」
沈黙。
短い。
だが、確かに考える間があった。
「……買う側だ」
商人が答える。
「需要があれば、それが価値だ」
「半分正解」
「半分?」
「売る側も決めてる」
詐欺師は言う。
「“これは価値がある”って、先に決めて見せる」
その言葉に、錬金術師がわずかに眉を動かす。
「……それは、操作だ」
「そうだな」
あっさり認める。
「でも」
少しだけ間を置く。
「操作された結果でも、納得して買えば“本物の価値”になる」
その理屈は、歪んでいるようでいて、どこか現実的だった。
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「……で、その話がどうした」
錬金術師が腕を組む。
「お前が持ってきた“本物”ってのは何だ」
詐欺師は、懐から小さな箱を取り出した。
古びた木箱。
特別な装飾はない。
だが、開ける手つきだけが妙に慎重だった。
中に入っていたのは、透明な石だった。
光を通す。
ただ、それだけ。
「……ただのガラスに見えるが」
商人が言う。
「見えるな」
「実際もそうだろ」
「たぶんな」
詐欺師は笑う。
「たぶん、ってなんだ」
「確かめてない」
「は?」
呆れた声。
「でもな」
石を軽く持ち上げる。
「これ、“命を一度だけ戻す石”ってことになってる」
沈黙。
今度は、少し長い。
「……詐欺じゃないか」
商人が言う。
「いつも通りだろ」
「開き直るな」
「でも売れるぞ」
詐欺師は断言する。
「欲しいやつは、必ずいる」
その言葉に、錬金術師が静かに石を見る。
「……機能は」
「知らない」
「検証は」
「してない」
「じゃあ偽物だ」
「かもしれない」
あっさりと頷く。
「でも」
視線を二人に向ける。
「もし、本当に一度だけ戻るなら?」
その言葉に、空気が変わる。
わずかに。
だが確実に。
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「……そんなものがあるなら」
商人が言う。
「値段はいくらになる」
「決まってない」
「決めろ」
「だから、それを今考えてる」
詐欺師は肩をすくめる。
「価値は誰が決めるんだ?」
また同じ問い。
だが、さっきよりも重い。
「……買う側だ」
商人が繰り返す。
「なら」
詐欺師は石を軽く揺らす。
「これを“本物だと思うやつ”がいれば、本物になる」
「思い込みだ」
「そうだな」
認める。
「でも」
ほんの少しだけ声を落とす。
「思い込みで変わるものもある」
その言い方が、妙に引っかかる。
どこかで聞いたような。
だが、思い出せない。
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錬金術師が、石を手に取る。
光にかざす。
内部に、わずかな歪み。
「……完全じゃないな」
「何が」
「構造が」
静かに言う。
「均一じゃない」
その言葉に、詐欺師が笑う。
「いいじゃないか」
「何が」
「揺らぎだろ」
その単語に、空気がわずかに揺れる。
ほんの一瞬。
「……その言葉」
錬金術師が呟く。
「どこで覚えた」
「さあ」
詐欺師は軽く首を傾げる。
「気づいたら使ってた」
その答えに、商人が小さく息を吐く。
「気づいたら、ね」
「よくあるだろ」
「あるな」
だが、その言い方には納得しきれないものが残る。
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「……で、売るのか」
商人が聞く。
「まだ決めてない」
「またか」
「選択は慎重にしないとな」
詐欺師は石を見つめる。
「これ、一個しかないから」
「なら、なおさらだ」
「そうだな」
少しだけ間。
「……誰に売るか」
小さく呟く。
「それで変わる」
「何が」
「結果が」
その言葉に、なぜか静寂が落ちる。
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「――それ、使われたことがありますよ」
突然、別の声がする。
振り向く。
いつの間にか、入り口に一人立っていた。
特徴の薄い顔。
だが、視線だけが妙に強い。
「……客か」
商人が言う。
「ええ」
軽く頷く。
「その石、似たものを見たことがあります」
「似たもの?」
「はい」
店の中に入ってくる。
「結果は、ほとんど同じでした」
その言い方に、違和感。
「ほとんど?」
錬金術師が聞く。
「ええ」
頷く。
「大きくは変わらない」
その言葉。
また、どこかで。
「……じゃあ意味ないのか」
商人が言う。
「ありますよ」
即答だった。
「少しは違うので」
その一言で、空気が変わる。
ほんのわずかに。
「……何が違う」
詐欺師が聞く。
「選ぶ人です」
静かに言う。
「どう使うか」
「どう売るか」
「誰が選ぶか」
視線が、詐欺師に向く。
「それで、変わる」
その言葉が、妙に重く残る。
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詐欺師は、石を握る。
ほんの一瞬。
息が止まる。
無意識に。
「……じゃあ」
小さく言う。
「一番迷ってるやつに売るか」
その選択が、どれほどの意味を持つのかはわからない。
だが。
なぜか、それが一番しっくりきた。
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石は、静かに光を反射する。
本物かどうかは、まだ決まっていない。
だが。
誰かがそれを本物だと選ぶ瞬間、
ほんの少しだけ、
何かが変わるかもしれないという感覚だけが、
確かに、そこにあった。




