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宿生奇縁  作者: vastum
18/24

「終わったはずの、そのあとで」


 人が死ぬという出来事は、当人にとっては一度きりであるはずなのに、それを扱う側にとっては繰り返しの中の一つに過ぎないという事実を、初めて理解したときに感じたわずかな違和感を、葬儀屋は今でも完全には手放せずにいた。


 朝は、だいたい同じように始まる。


 店の鍵を開け、薄暗い室内に入り、窓を少しだけ開けて空気を入れ替える。

 昨日の残りの匂いが、ゆっくりと外へ流れていく。


「……今日は、三件か」


 予定表を見ながら、小さく呟く。


 多くもないし、少なくもない。

 この仕事では、どちらも特別なことではない。


 名前を一つ一つ確認する。

 年齢、死因、遺族の連絡先。


 その中で、一つだけ。


「……?」


 手が止まる。


 昨日、確かに見た名前。


 いや、見たというより――


「……処理した、はずだろ」


 記録には、昨日の葬儀が終わっていると書かれている。

 火葬も済んでいる。

 すべて、問題なく。


 それなのに。


 同じ名前が、今日の欄にある。


「……誤記か?」


 そう思う。


 思うが、違う気もする。


 この仕事で“同じ名前”は珍しくない。

 だが、“同じ人間”が二度来ることは、普通はない。


 普通は。



 扉が開く音がする。


 客が来る時間ではない。


「……まだ開店前なんだが」


 そう言いながら顔を上げる。


 そこに立っていたのは、一人の男だった。


 顔色は、悪くない。

 むしろ健康的に見える。


 服も整っている。


 だが。


「……昨日、会ったな」


 葬儀屋は、思わずそう言った。


 男は少しだけ驚いたように目を瞬く。


「……え?」


「いや」


 言葉を切る。


「……気のせいかもしれない」


 だが、違う。


 絶対に、違う。


 この顔を、昨日見た。


 棺の中で。


「何か、用か」


 葬儀屋はできるだけ平静に聞く。


「……ここ、葬儀屋ですよね」


「そうだ」


「俺、ちょっと聞きたいことがあって」


 男は少しだけ言いにくそうに続ける。


「……俺、昨日死んだはずなんですけど」


 沈黙。


 短いはずの時間が、妙に長く感じる。


「……は?」


 それしか出てこなかった。



「気づいたら、朝で」


 男は椅子に座りながら話す。


「普通に起きて、普通に歩けて」


「夢じゃないのか」


「そう思ったんですけど」


 腕を軽く叩く。


「痛いんですよね」


 確かに、生きている。


 少なくとも見た目は。


「……名前は」


 確認する。


 男は答える。


 予定表に書かれている名前と一致する。


 昨日の記録とも一致する。


「……死因は」


「事故です」


 それも一致する。


 記録通りだ。


 なのに、目の前にいる。


「……ありえない」


 葬儀屋は小さく呟く。


「普通はな」


 別の声がする。


 いつの間にか、もう一人立っていた。


 黒い衣服。

 特に特徴はないのに、視線がそこに固定される。


「……いつ入った」


「さっきからいる」


 男が言う。


「……いや、いなかっただろ」


「いたよ」


 平然と返される。


 その曖昧さが、妙に不気味だ。


「……誰だ」


 葬儀屋が聞く。


「回収担当」


 あっさりと答える。


「死んだやつを、回収する」


 その言い方に、ぞっとする。


「……死神か」


「呼び方はどうでもいい」


 肩をすくめる。


「問題は、こいつが戻ってきてることだ」


 視線が、男に向く。



「戻ってきてる、って」


 男が言う。


「俺、生きてるんじゃないんですか」


「生きてるように見えるだけだ」


 死神は即答する。


「……それ、どういう」


「予定では、昨日で終わりだった」


 淡々と続ける。


「だが、今ここにいる」


 それが全てだと言わんばかりに。


「……バグ、か」


 葬儀屋が呟く。


 どこかで聞いた言葉。


 理由は思い出せない。


 だが、しっくりくる。


「近いな」


 死神は言う。


「本来の流れから外れてる」


 その言い方に、また引っかかる。


「……流れ、ね」


 葬儀屋は、予定表を見る。


 昨日、確かに終わっている。


 だが、今日も続いている。


「……何回目だ」


 無意識に、口に出る。


「何が」


 男が聞く。


「……いや」


 言いかけてやめる。


 何回目、という言葉が、どこから出てきたのか自分でもわからない。


 だが、なぜか“初めてではない”気がした。



「処理する必要がある」


 死神が言う。


「この状態は維持できない」


「……処理?」


 男の顔が少しだけ曇る。


「また、死ぬってことか」


「元に戻るだけだ」


「それを“また”って言うんだろ」


 少しだけ笑う。


 無理に。


「……嫌だな、それ」


 素直な言葉だった。


 葬儀屋は、視線を落とす。


 この仕事をしていると、死を受け入れる人間も、拒む人間も見てきた。


 だが。


「……選べないのか」


 ふと、口に出る。


 死神がこちらを見る。


「何を」


「戻るか、このままか」


 沈黙。


 ほんの一瞬。


「……推奨は戻ることだ」


 答えになっていない。


「推奨じゃなくて」


「可能かどうかだろ」


 死神が続ける。


「完全には無理だ」


「完全じゃなければ?」


 葬儀屋は食い下がる。


 なぜか。


 理由はわからない。


 ただ、聞かなければいけない気がした。


「……揺らぎはある」


 その言葉に、空気が少し変わる。


 男も、わずかに顔を上げる。


「揺らぎ?」


「完全に同じにはならない」


 死神は言う。


「だが、大きくは変わらない」


 その言い方。


 どこかで聞いた。


 何度も。


「……なら」


 葬儀屋は言う。


「少しでも違うなら」


 言葉を選ぶ。


「……意味はあるんじゃないか」


 自分でも驚くくらい、自然に出た。


 死神が、わずかに目を細める。


「……お前、珍しいな」


「何が」


「そっち側のこと言うの」


「そっち側?」


「選ぶ側だ」


 その一言に、心臓が少しだけ強く打つ。


 理由はわからない。



「……じゃあ」


 男が言う。


「一回だけ、試していいか」


「何を」


「このまま、帰る」


 葬儀屋と死神を見る。


「普通に家に帰って、普通に過ごして」


「それで」


「それでもダメなら」


 少しだけ間を置く。


「……戻る」


 静かな言葉だった。


 だが、はっきりしている。


 迷いはある。


 でも、決めている。


 その感じが、妙に引っかかる。


 どこかで見たような。


「……いいのか」


 葬儀屋が聞く。


 誰に対してかはわからない。


「推奨はしない」


 死神が答える。


「だが」


 わずかな間。


「観測はされる」


 その言葉に、また既視感。


 だが、掴めない。



 男は立ち上がる。


「……行ってくる」


 軽く言う。


 まるで普通の外出みたいに。


 扉に手をかける。


 その瞬間。


 ほんの一瞬、動きが止まる。


 息が止まる。


 わずかに。


 それから、外に出る。



 扉が閉まる。


 静寂。


「……どうなると思う」


 葬儀屋が聞く。


「ほとんどは同じだ」


 死神が言う。


「だが」


 少しだけ視線をずらす。


「少しは違う」


 その言葉が、妙に残る。



 予定表を見る。


 同じ名前。


 昨日と今日。


 終わったはずの、そのあと。


「……消えないんだな」


 小さく呟く。


「何が」


「記録が」


 指でなぞる。


 線を。


 同じところを。


 何度もなぞっている気がする。


 それでも。


 ほんの少しだけ、


 前とは違う気がするという感覚だけが、


 確かに、残っていた。


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