すすぎ ⋰⋱o。 空に架かる橋 o。⋰⋱
3人。
切り伏せられない人数ではないが、夫人に太刀が届くほうが早い。向こうもそれを承知の上で、髭面の男が見せつけるように泣き叫ぶ夫人に歩み寄る。
「くそっ」
ラジーが歯噛みするが、リーンハルトの視線は賊の足元にあった。
──否。髭面の足元を静かに駆け回る、洗濯石鹸に。
「おわっ」
ぬるぬるする床に髭面が一瞬蹈鞴を踏んだ。
それで充分だ。
夫人の前に躍り出たラジーはドレスの裾をたくし上げ、太腿に巻いていた柔剣を外して振り回した。鞭のようにしなる剣の舞は切れ味鋭い盾となって、賊は夫人に近づけない。
次いでリーンハルトが正面から斬り結んだが、刃が滑って鍔迫り合いに持ち込まれた。上から抑え込むように体重を乗せると、全力で押し返してくる。相手が体重を乗せ切ったところで、体を左に開きながら引いてバランスを崩させ、一気に切り捨てた。
一対一の戦いであれば、お手本のような動きだ。しかし、がら空きの背中めがけて別の男が剣を振りかぶる。
が、濡れた手拭いに足を取られてひっくり返った。
最後のひとりに、ラジーが延髄から扇子を突き刺した。
「夫人。このような場で申し訳ないが、少し聞きたいことがある」
賊を片付け、リーンハルトはボッティニ夫人に手を差し伸べながら、涙でぐちゃぐちゃの顔から礼儀正しく目を逸らした。
逸らした先で目に入ったのは、どやどやと館に向かってくる次鋒の一軍。
「──が、今では無いようだな」
正攻法で階段を下りれば、上がってくる奴らと鉢合わせになるのは間違いない。
「下りられないなら、空から行こう」
リーンハルトはそう言うと、懐から怪しげな絡繰をとりだした。
「ちょうどいいものがある。──宅配ドローンだ」
「は?」
意味が掴めず、ドリーの口から変な声が漏れた。
「弟が開発した新作だ。使い魔がなくとも魔石を動力に荷が空を飛ぶ。これを使えば」
リーンハルトは自信満々にボッティニ夫人を横抱きにし、宅配ドローンを起動した。
ウィィィンという音を立てながら宅配ドローンは高度を上げ…………落ちた。
「ふむ。過積載のようだ」
「何やってんすかこの緊急事態に!」
ラジーの雄叫びを尻目に、リーンハルトは涼しい顔でドローンと夫人をドリーに押し付けた。
「女ふたりなら飛べるだろう。夫人を馬車まで連れて行け。私たちは、荷物がなければ生きては帰れる」
「殿下!」
否応なしにドローンを起動され、空を舞いながらドリーは叫んだ。
「きゃあああ!」
先ほどよりも勢いよく高度を上げるドローンにボッティニ夫人が悲鳴を上げた。暴れる人間を摑まえたまま空を飛ぶのは、小柄なドリーには骨が折れる。
足の速い幾人かが先ほどまでいた部屋に到達し、ふたりが応戦しているのが空からでも見える。ここまま退路を塞がれれば、無事では済まないことくらいドリーにもわかる。
──下りられないなら、空から行こう。
リーンハルトの言葉は正しい。逃げ道は空にある。しかし、手持ちの洗濯ロープでは長さが足りない。
焦るドリーを尻目にドローンは更に高度を上げる。──目の隅に、お茶会の後の雑然とした庭と、端に山と置かれたクロスが目に入った。
お茶会で使ったあとの洗濯物。あれなら──。
「お願い! 手を貸して!!」
その声に応えるように、テーブルクロスたちが飛び出した。手をつなぐようにがっちりと絡み合い、1本の長い縄となっていく。
みるみるうちに、空にクロスの虹が架かった。
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男たちの決断は早かった。
リーンハルトはクロスで出来た縄に飛びつくと、猿のようにぶら下がって渡り始めた。
身軽なラジーはひらりと飛び乗り、細いクロスの上を絶秒なバランスで駆け抜けていく。
その上を、宅配ドローンにぶら下げられた女ふたりが飛んでいる。
足元で、黒ずくめの賊たちがぽかんと口を開けてこちらを見上げているのが見えた。
このまま空の道を渡り切れれば、ボッティニ邸の外に出られる。そうしたら、馬車の待つ位置まではほんの少しだ。
ぎし、と縄が軋んだ。あの部屋までたどり着いた男たちが、縄を伝って追って来ている。
「殿下、ラジー、飛ばしますよ!」
掛け声と同時にクロスの綱が蠕動し、ふたりを前方にぽーんと放り出した。あおりを食らった黒ずくめの男も幾人か吹っ飛ぶ。なんとか耐えた者たちも、ただの布に戻ったクロスと一緒に真っ逆さまに落ちていった。
転がりながら受け身を取ったふたりが、待ち構えていた馬車に飛びつくが。
「ぐっ」
リーンハルトの身体が後方へ引っ張られ、危うく落ちるところをグラブレールに取りすがり、振り向きざまに蹴りを放った。
あきらめの悪い輩がひとり、銀糸の髪を掴んで引き摺り落とそうとしてきたからだ。
しかし、それが悪手だった。
足場を失った敵が、リーンハルトの髪にぶら下がる格好になってしまった。
馬車は既に動き始めている。
疾走する馬車に振り落とされまいと、賊は髪だけを頼りにしがみついてくる。
「くそっ。離せ!」
続いて放つ蹴りも、体勢のせいでうまく腰が入らない。
「ああもう、立ち回りの時は髪くらい括っとくもんですよ!」
ラジーはリーンハルトが落ちないよう支えるのに必死で、攻撃まで手が回らない。
「令嬢姿のお前にだけは言われたくないな!」
絶体絶命の体制で言い合いをしているふたりのもとへ、ドリーと夫人がふわりと降下し、馬車の屋根の上に着地した。
「リーンハルト殿下──御免」
ドリーが迷うことなく銀糸の髪を断ち切ると、支えを失った暴漢はもんどりうって転げて行った。散った幾本かが、陽光を反射して七色の影を作る。
「貸して」
反動でひっくり返ったラジーの胸元からジョーゼットのリボンをむしり取ると、ぽいと無造作に投げ捨てた。
「おい、何するんだよ」
ラジーの抗議をよそに、リボンは程なくして銀糸の髪束を結んで帰ってきた。伸びた男の手から奪い取って来たらしい。ドリーはそれを、洗濯籠の中に仕舞う。
「ここに殿下がいた痕跡は、無いに越したことはないですので」
それからやっと人心地ついて、皆はお互いの姿を目に留めた。
血と汗と砂埃に塗れ、ざんばら髮のリーンハルトと、あちこち皮が破けて浅黒い肌が覗くラジー。
「おふたりとも、そんなに汚して。ーーお洗濯が大変になるじゃないですか」
ドリーの愚痴に、リーンハルトが声を上げて笑った。




