ごしごし ⋰⋱o。⋰⋱o。 その朝、世界の片隅で
その時、ドリーはまたリーンハルトに見つかり、洗濯籠を抱えたまま執務室に引っ張り込まれていた。
そこへ上品な令嬢がスカートをたくし上げて、どかどかと駆け込んできたのだ。
「殿下! 大変です!」
「ラジーか。どうした」
リーンハルトが眉間を揉みながら先を促した。
答えに窮する質問攻めに遭っていたドリーにとっては僥倖だ。令嬢の起こす騒ぎに乗じて姿を消そうとしていたドリーだったが、その前にラジーと呼ばれた令嬢がこちらに気付いてしまった。
「殿下。こいつは?」
尋ねる声は、令嬢には似合わない低い男の声だった。
「たまたま見つけてな。面白い魔法を使う女だ」
上機嫌に紹介されてしまい、仕方なく頭を下げる。
「おもしれー女ってやつですね。殿下はそういうの好きですよね」
「おかしな曲解をするな。それで、何があった」
リーンハルトが手を振って話を戻すと、
「貴婦人たちのお茶会に潜り込んでたんですけど、ブレイゼン嬢……。いまはボッティニ子爵夫人ですが、彼女が何かを思い出したようです」
「なに!」
リーンハルトは豪奢な椅子を蹴倒さん勢いで立ち上がり、ラジーの言葉に食いついた。
「詳しく話せ」
「お茶会の規模が大きくて、人目が多くて詳しくは」
ラジーは令嬢姿にあるまじき仕草で肩をすくめた。
「でも、お茶会後の約束取り付けたんで、また行ってきます。俺は取り急ぎ面通し用の絵姿の束を取りに来たんです」
「待て。俺も行く。──ドリー、お前も頼めるか」
リーンハルトは止める間もなくマントを羽織りながら大股で歩き出した。
そうして、ドリーはなんだかよくわからないまま、ボッティニ夫人との面会に随行することになったのだった。
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「お前、なんで洗濯籠まで持ってきたんだよ」
実は男だというラジーの指摘には答えず、ドリーは籠をぎゅっと抱きしめた。令嬢に随行する役ということで、ランドリーメイドからレディーズメイドのお仕着せに着替えてはいるが、洗濯籠は持ってきたままだったのだ。
「ボッティニ子爵夫人とは何者なのですか」
「ああ、お前は知らないのか。リーンハルト殿下が婚約破棄したのは知ってるよな?」
ドリーはヘッドドレスを直しながら頷いた。馬車に同乗しているリーンハルトが、苦虫を噛み潰しながら「白紙だ」と言い直す。
「第三王子のアスラン殿下が平民とご成婚なさっただろ。学園時代、リーンハルト殿下の元婚約者であるアルヴァン嬢が取り巻きを使って、後に妃殿下となるその方の髪を切らせた」
ドリーはまた頷いた。その話は当時、王都でもだいぶ噂になっていたので、ドリーでなくても知っている。
「ところが、その取り巻きとやらは霞と消え、アルヴァン嬢に取り巻き女を紹介したはずのボッティニ夫人は、女の顔も名前も思い出せないときた。女の身元保証人になっていたはずのグラナート伯爵も、知らぬ存ぜぬだ」
グラナート伯。本来の雇用主からも聞いている名前だ。ドリーは片方の眉を跳ね上げた。
「世間の非難を一身に浴びたアルヴァン嬢はリーンハルト殿下との婚約が白紙になり、辺境の修道院へ送られた。それが、何年も経った今になって──今朝目覚めたら、ボッティニ夫人は突然すべてを思い出したらしい」
「何を?」
「それをこれから確かめに行くのさ。おい、そろそろ着くぞ」
ラジーが景色を確かめようと窓を開けると、代わりに矢が一本飛び込んできて、馬車の内壁に刺さった。
驚いた馬の嘶きが響き、逃れるように速度を上げた。
「っ。先を越された!」
顔を隠した男たちがボッティニ邸の壁に取りついている。
まさかお茶会に混ざりに来たわけでもないだろう。御者に安全な場所での待機を命じると、3人はそれぞれの武器を手に馬車を飛び出した。
ボッティニ邸の門前にいた男たちは馬車から飛び出てきたのが可憐な少女たちであることに気付くと、一瞬目を疑った。そしてそれは彼らが見た最後の景色となった。
リーンハルトは腰に佩いた剣を抜いて切りかかり、ラジーは扇子に偽装した短剣で喉元を一突きに突き刺した。
ドリーは戦力は充分と見るや、物陰に隠れてあたりを見回した。先ほど矢が飛んできたということは、どこかに弓兵がいるはずだ。
向かいの邸宅の屋根に不審な人影を認めたドリーの洗濯籠から洗濯ロープが顔を出した。ロープは蛇のように壁を這い上り、背後から弓兵に忍び寄って足に絡みついた。弓兵はそのまま縛り上げられ、地上へと落ちていった。
「へえ」
くねくねと不思議な動きで敵を制圧する令嬢姿のラジーが、面白そうに声を上げた。
「急げ。夫人の安否を確認せねば」
リーンハルトの号令に合わせ、3人は門扉を飛び越えて館へ向かった。
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幸いと言っていいのか、茶会は既に終わったようで、ボッティニ邸の庭は閑散としていた。
「夫人は既に館に戻ったようだな。しかし、どの部屋から探せばいいのか」
大声を出して呼べば早いが、賊にも気づかれる。焦るリーンハルトに、ドリーはついと指を伸ばした。
「確証はありませんが、貴人のご婦人が普段おられるのは、そちらの奥の間です」
「わかった。賭けてみるしかないだろう」
そう言って向かった先には、残念ながら夫人はいなかった。残されていたのはヴァレットらしき男の死体がひとつと、怯え切ったお仕着せ姿の女がふたり。女たちに夫人の居所を質しても怯え切っていて話にならない。結局は虱潰しに探すしかないようだ。
「結構なお茶会でしたからね。向こうの手の者もいたのかもしれない。──殿下。奴ら、完全に殺る気で来てますね」
行き合う曲者共を切り伏せながら、ボッティニ邸の廊下を駆け抜ける。随分と雑な仕事をする輩らしく、事故に見せかける素振りすらない。女ひとりの為にここまでの人数を差し向けているということだけでも、夫人の思い出した情報の価値が分かろうというもの。
──遠くで、短く甲高い女性の悲鳴が上がった。
「上だ!」
リーンハルトとラジーはビロード敷きの階段を3段飛ばしで駆け上がり、ドリーは洗濯ロープを伸ばしながら窓から踊り出た。




