08
「きゃー!」
甲高い聞きなれない声。階段から飛び降りる。抵抗の声を漏らしながら杖の方向から逸れようとしている。彼女は龍を飛ばすと、女の子は静かに床へ倒れた。
夜に汚れた小袋は光を見せる。光は僕を見ると引き当てたジョーカーを引いたように笑った。
右手が無を掴み、左手を伸ばす。選択を考えるほどの時間もなければ、他の対処ができる余裕もない。
彼女の細い腕を取ると、夜の木のように残酷で冷たかった。
肩から電撃が弾けていく感覚がする。肩を撫でるように暖かい感触が広がり手に線を作っていく。何故か痛みが少ないせいでアートのようにも見えてくる。
「動かないで」
「分かった、後ろは見ておくよ」
エイビスに向けるような言葉で僕に指示を伝えると、栓の息を吹き返す音がした。彼女は僕に薬を振りかけると、立ち上がった黒い影との距離を確認するため振り返る。吹き飛ばされた分があるお陰で袋が飛んできても洗濯には不自由しない距離がある。
影は泳ぐようにカーペットに潜っては僕たちの前へと移動していく。
「ミカロ、もう十分だ。そこをどいてくれ」
彼女は僕の前から離れなかった。いつもの荒々しい雰囲気が夜のおかげか穏やかのようにも感じる。空気を吸い込む音がする。彼女の杖から龍が頭を出した。影は僕らを大きく口を開き、僕らを闇で包んでいく。
「ウェインビュール!」
耳を塞いでも耳に棘が刺さっていく。二つの龍が弾けたカボチャのような音で影に向かった。龍は影を赤く繰り抜くと、住処に戻るように上へと消えていった。指や服に影の雫が垂れ落ちてくる。
「だから言ったでしょ。アンタがどんなにお人好しでいようとしても、ドルフェリアには届かない。犬死にするのがオチよ」
彼女は右目でしか僕を見なかった。優しさなんかじゃない。このままでは彼女の言うようにお荷物だ。
熱が僕の中を皮膚が痛みを投げかけるほどに駆け巡っていく。
影が床をハンバーグのように喰らう音。
相棒の出番だ。月明かりを弾くほどの美しさを見せつけ、相棒は目を細めて闇を睨みつけた。
「炎裂!」
炎が闇の山に飛びつき絡みつくと、山は動かず立ち止まった。
相棒の炎が効いているんだろう。このまま推し進める。
体の熱を相棒に集め山の正面に向けて相棒を叩きつける。岩の弾ける音だけが響き、山にあったはずの炎が役目を探すように相棒の元へと戻っていく。
左を突き抜けるパンチのような風音。風は僕を追い越すと、氷のひび割れるような音が耳にまとわりついた。振り返り正面を相棒で振り払うと、炎の子供たちが相棒から離れていく。
黒い輪が連なった蛇は僕から逸れると月の空に消えていく。
「そんな攻撃でアタシが倒れるとでも?」
海から呼吸をするように黒波から桃色の唇が僕をからかった。モンスターなら理解できるが、姿を見せないのは気味が悪い。
「私もコイツもアンタのことなんて微塵も興味がないのよ」
ミカロは家に現れた高速で動く黒い弾丸を掃除するように龍を投げた。
唇は三日月を浮かべると龍と共に姿を消した。
どうせ無傷なんだろう。
「あら言うじゃない。じゃ、お望み通り微塵にしてあげる」
余裕と娯楽を楽しんでいるかのようなナイフのような声とともに黒の雨が肩に零れていく。僕の服を通り過ぎ、白い床でボールのように跳ねて逃げていく。
僕の相棒は我慢ができず空を見上げた。唇は僕を見下して舌でさえずり口を開く。
いつまでもミカロに文句を言われるのも面倒だ。
波打つ黒の波の音がする。
相棒を握るとよほど嫌いなのか、稲妻のように熱が僕の体に迸る。息を噛み僕たちの熱に相棒を添えて目が熱くなるほどの一撃を繰り出す。
唇を斬りつけた感触も跳ね返りの感触もない。本体が分かれているに違いない。唇を睨むと彼女はダイヤモンドのように反射する歯を見せる。唇なのにこちらの様子が見えているらしい。
本体を狙うなら今だな。
相棒を力強く握り、熱の力で飛び上がり距離を近づける。
唇は口を開いたがもう遅い。こっちには手も足もある。
タラコ唇に巻き付くような炎の連撃で斬りかかった。
白い歯が相棒の勢いを減らそうと抵抗してくる。この感覚だ。
「ぎいああ!」
黒い床の色が白く変わっていく。相棒も早いところ磨いてあげないと怒りそうだ。
「誰か来るわよ」
嗜みのある場所としては似つかわしくない単調に一直線だけを目指し走る音。
慣れ親しんだ音と似ている布と鉄のぶつかり合う動き。
彼女は月に照らされ緑髪を見せ僕と目を合わせると、まるで餌を見つけた魚のようにより勢いを上げて距離を詰めて来た。
「シオン様、お待たせしました!」
「エイビス合流できてよかった。どの道が出口に近いか教えてくれないかい?」
「なるほど、そういうことでしたか」
上半身に鎧を用意したエイビスはまた何か閃いたらしい。
エイビスのショートカット術を学びたいが、残念なことに今はそこまでの時間は取れない。
その能力があるからこそ、僕たちが助かっているのは事実だが。
「一人で納得してないで説明してくれない?」
「ミカロに言われなくともお伝えしますわ。
推測にはなりますが、彼らはあの場所を必ず通るように私たちを誘導しているように思います」
エイビスは月に照らされている窓に移動すると、庭を越えた先にある横に長い四角形と半円が合わさった建物を指さした。
確かに庭へ出てしまえば、その建物までは一直線で移動できる。
おまけに列車にも近く脱出するにはこの上なくスムーズなルートが見えてくる。ここまで教えてもらえば確かに怪しむのも当然だな。
「で、アンタが気になってる、そこには何があるわけ? どう見ても屋内の運動施設にしか見えないけど」
ミカロが口を閉じると、エイビスはゆっくりと僕のところへと振り返る。そのまま窓から離れると心に肩が上がるほどたっぷりと空気を送ってから口を開いた。
「あまり話題にはしたくはないのですが、この学園では有名な噂の1つに、屋内運動場で美男美女がカップルになるという生徒であれば誰でも知っている有名な話があります」
エイビスは僕の目線を確認してから、卵を包むような仕草で力強く拳を握ると、窓に寄りかかるミカロの方角へ向きを変えた。
「そこで私はある方にお付き合いを申し込まれました。もちろん思い入れはありませんでしたので、お断りしています」
彼女は何か後ろめたいことがあったのか、握られた拳は離れなかった。確かにこれ以上話題にしてもしょうがない。これ以上話を推し進めても棘に触れるだけだ。
「教えてくれてありがとう、エイビス。僕はこの道を進むべきだと思う。ミカロ、君はどう思う?」
「ま、別にいいんじゃない。学園で戦ってあいつらとか呼ばれても面倒だしね。それにあの場所ならココよりも魔法は使えるし」
「私もそう思っていました。お会いするのは良い状況ではありませんが、致し方ありません」
エイビスの隣に移動すると、強張っていたかのように見えた拳は姿を消していた。
階段を降りていくと、僕たちの足音だけが響き返ってくる。
彼女は僕の傍を見て何かに気が付くと、目に光の池を浮かべて僕の腕を取った。
「シ、シオン様。1つ気になっていたのですが、その肩はどうされたのですか?」
「ああ、これは少し擦っただけだよ。赤いけど特に痛みもないから気にしないで」
確かに改めて見ると、火傷したまま放置された皮膚にしか思えない。
けれど問題なく腕も上がる。触れても痛みはない。反対の腕で痛覚も確認できているから毒も該当しない。あまり心配はないだが、エイビスは初めて歩き出した生後間もない子犬を心配している表情をしている。
彼女はミカロの杖を僕に向けた。
「ミカロ、早くシオン様の傷を治してください。あなたの偉大な魔法が輝くときですわよ」
「離して。こんなことに回復を使ったらもったいないわよ。土でも付けておけば勝手に冷えるわよ」
「なんてことを言うのですか。もしかしたら毒かもしれませんわ。シオン様、何か異変はありませんか?」
これはどう答えても、エイビスの心配事は解けなさそうだ。
ミカロが僕に向けてくるあきれ顔とため息がそう訴えかけている。
そんな顔までされると、僕までため息がつきたくなるじゃないか。




